見出し画像

緑の日々、午前5時の夢

 80年代の邦楽に、「朝もや」を感じる時がある。アイドルというよりは、バンドの曲に。
 見えそうで、ぼんやりとしか見えない景色のような。確実にこの世界に足をつけているけれど、何となく浮いているような。不気味といえば不気味だけれど、なんだか心地よいような。

 YouTubeで見かけた、P-MODEL「フ・ル・ヘッ・ヘッ・ヘッ」のPV(非公式)のコメント欄で、いい言葉を見つけた。
 「5時半くらいの夢」
 これはあくまで映像に関してのコメントだけれど、「朝もや」みたいな曲、の言い換えとしても適用できそう。あの5時とか5時半独特の、妙に解像度高め、とはいえ「朝もや」がかかっていて、現実としてはあり得ない光景を、様々な曲から感じることができる。

 最近初めて聴いて、最も「午前5時の夢」を感じたのは、オフコース「緑の日々」だ。

 昔両親の車で、小田和正セルフカバーバージョンの同曲をよく聴いていた。最近そのことをふと思い出して原曲の方を聴いてみたけれど、これはハマった。
 なにせ、まさに「午前5時の夢」である。特にAメロの、マイナー調のパート。当時導入されて間もないであろう、シンセが不気味に、印象深く光る。そこに、小田和正のあのふわっとした、ソロ時代よりもぶっきらぼう気味の歌声が重なる。

 あたりは、もうほとんど白飛びしている。どこなの、前が見えないよ、と叫ぶけれど、かえってくるのは自分の声だけ。
 モノクロの虫たちが、チカッと眼前に映っては消えていく。あの日この町で会った、懐かしい人々の顔も浮かぶ。しかし、今ここには誰もいない。
 それでも行かなくちゃ。また会うために。いつか見た十字架を目指して。そうして白飛びの、古ぼけた街を無作為に歩くのだ。

 …みたいな。
 この午前5時の夢のような「緑の日々」に、時間を問わずいつでも浸れる心強さ。いつでも曲の中を散歩できる嬉しさ。
 両親の車の中の、過去の私にも知らせたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?