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原点

あれはまだ、私が今ような人の話を聴く仕事に就くとは想像もしていなかった頃のこと。

発達障害と知的障害をもつ長男は、当時小学4年生でした。
親はと言えば、こどもに障害がある事は受け入れていたつもりでも、特別支援学級(当時は特殊学級)への転籍にはまだ踏み切れないでいる、そんな頃。

しかし、4年生にもなると、学習の内容も抽象的に、お友達との関係も徐々に難しくなり…。
その中で、最も困ったのが担任の先生でした。
今までの担任とはタイプの違う方で、先生のお立場も慮った上で極力控えめに対応をお願いしても、
「この子だけ特別扱いはできません。」
「こんな子、見たことありません。」と。

発達障害支援法や合理的配慮が社会に馴染んできた今では耳を疑うような言葉ですが、当時はこんなこともありました。

そんなある日、突然長男にチック症状が出ました。
最初は目をパチパチしたり、首をかくっとかしげたり、頭に近いところから症状が出ます。
何かストレスがあるはずですが、それを自分から話すことはありません。

そんな時、こどもの同級生のお母様から
「うちの子が、〇〇君が数人の同級生に囲まれて、5~6段の階段を飛び降りろとはやされていて、担任の先生がそこを通りかかったけど、止めなかったし、何も言わないで行ってしまったと話していたわ…。」
と教えていただきました。

ああ、予感的中。
その後も、やんわりと状況をお伝えしても、校長先生にお話ししても、担当の心理の先生に巡回して頂いても、担任の先生が変わる事はありません。長男のチックはどんどんひどくなり、肩を揺らしたり、最後にはまっすぐ歩けなくなり、果ては転ぶようにまでなりました。

思い切って、こどもに問いかけました。
「学校で、何かあるの?」
明確な返事はありません。聞き方を変えました。
「もしかしたら…△△先生がいやなの?」
そうすると、顔色が急に変わって
「△△先生のバカヤロー!!」
大声で叫んで、それから
「わあ~〜っ!」と号泣しました。

あー、やっぱりそうだったんだなぁ。
無理をさせて、可哀そうなことをしてしまった。
こどもの背中を撫でながら、私はやっと理解して、
「そうだったんだね。明日から学校休んでいいよ。」と話していました。

不思議なことに、あんなにひどかったチックは、翌朝にはかなり軽減、2~3日のうちには消失していました。

今思えばこれが、私が「心を言葉にする」ことの力を信じ、必要とする方に問い語りとソーシャルワークを通してお手伝いする、現在の仕事に就くことの原点になった体験です。

※写真は 写真ACよりdavejapanさん提供です。

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