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感謝


本当に久しぶりに、ここに書きたくなりました。

丁度一年前の11月。屋久島への旅があり、仲間と囲んだ焚き火、満天の星空、波の音、みんなのまなざしがありました。そして、それら全部が、私に気づきをくれました。

幼い日々に渇望していたもの。
ついぞ手に入らなかったもの。
そう思っていた私。
それを口にすることができたときに、初めて次の段階に進むことができたと思います。
それは、月並みな言い方になりますが「感謝」と言う言葉が最もふさわしい、漠とした想いでした。

翌12月の中旬ごろから、かねてより有料ホームに入居し、認知症の進んでいた父の容体が悪化しました。
医師に呼ばれて、万が一の場合にどうするかなど、家族としての意志を確認される日々に、別れの近いことを実感しながら過ごしていた年末。
容体が急変、再度の入院。
結局そこから回復することなく、最期の時を迎えることになりました。

私は父との温かなふれあいの薄い子どもで、それが私の渇望の原因のひとつでもあったけれど。
屋久島での、あの焚き火と、満天の星空と、みんなのまなざしがあったから。最後の最後に、父に「感謝」を手渡すことができました。
渇望。満たされない痛み。それを豊かに感じられる生命を与えられたことに対する想い。
そして父も、何十回も「ありがとう」を返してくれて。そして、満足したように息を引き取りました。

父からすれば、最期の時に、縁の薄かった娘に精一杯の想いを手渡した。
私からすれば、それが何よりの恩恵で。愛を持って父を送ることができた。
と言うこと。

そのことに心からの「感謝」をもっている、今の私があります。


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