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初めから君に恋してる十

十 文化祭で
文化祭前日まで、私たち二人はピアノの前で練習した。
先輩は耳がいいのかもしれない。うらやましいくらいだ。
右手はもう完璧に弾けるようになっていた。
「文化祭のステージで、先輩ならソロでも弾けるんじゃないですか」
「え? 嫌だよ。右手だけなんだぞ。陽葵といっしょがいい」
先輩が首を横に振った。たしかに右手だけだと迫力に欠けると言えば、そうだけど。
「たまに間違うし。それにこれ、連弾用の楽譜だろ?」
「まあ、そうですけど」
「俺を見捨てるな! お願い、一緒に弾いて!」
蓮先輩が拝む。
「……、いいですけど」
そんなに目をウルウルさせてお願いしないでください。私が渋々返事をしていたら、川中先輩たちがニヤニヤしながら立っていた。
「もう、なんで笑ってるんですか」
恥ずかしくて、思わず強く言ってしまった。
「いやいや、お二人は仲がいいなってね?」
近藤先輩が川中先輩とひそひそと話す。
「ちょっと、止めてください。その内緒話。何か企んでるでしょ」
「何も企んでなんかいないよ、ね?」
近藤先輩は、今度は蓮先輩に話を振る。
「ええええ? 俺に振るな!」
蓮先輩が慌てふためく。
「ええ? 蓮先輩までグルなんですか? ひどい、兄だと思えっていったくせに」
「え? 兄? 崎山、そんなこといったの?」
近藤先輩は眉間に皺を寄せて、すごく嫌そうな顔をした。
「蓮はバカだな、大馬鹿だ」
川中先輩が蓮先輩を小突く。
「馬鹿だよ、どうせ。ああ、うるさい。言ったのは、ちょっとしたはずみだ。言い間違いというか。本当は、そういう意味じゃないんだ」
蓮先輩の主張が響く。
「バカだねえ。こじれてるよ、ほんとバカ」
近藤先輩も憐みの目だ。
「大丈夫ですよ、そんな、蓮先輩、ちゃんと弾けますから。そんなに心配しないでください。私も隣で弾きますから」
蓮先輩があまりにもいじられているので、助け船を出したら、川中先輩と近藤先輩は苦笑するばかりだった。
「明日は、崎山のことよろしくな」
「はい」
私はうなずいた。
私たちのお喋りの声が廊下にも響いていたみたいで、第一音楽室から数人が顔を出す。
「陽葵ちゃん、崎山、明日がんばれよ」
「がんばれよ」
「俺らもがんばるからよ」
みんなが激励しに来てくれた。
音楽は孤独じゃない。私は、蓮先輩は、ひとりじゃない。
みんなの気持ちが伝わってきて、胸が熱くなった。

文化祭当日。青い空がまぶしい。
講堂のステージ発表の順番は3番目。持ち時間は10分だ。
蓮先輩と弾くのは校歌1曲だけだから、普通バージョン、連弾、ロックバージョンを弾いて、お辞儀をして舞台袖に戻ろう。
心臓がバクバクしているのがわかる。興奮状態だ。
いや、もう考えないようにしよう。ああ、一人で弾くコンクールより緊張するんですけど。
「陽葵、きょうは楽しもうな」
きりっとした顔の蓮先輩。
「先輩、急ぎ過ぎないようにしてくださいね。5小節目からどんどん走っていっちゃいますから」
小声で注意する。
「うう。わかってるって。任しとけ。それより、陽葵は緊張してないの?」
少し不安そうに蓮先輩が首をかしげる。
「大丈夫です。弾けますから。緊張はしていません」
本当はバリバリ緊張して、心臓が口から飛び出そうだけれど、ここは余裕の態度を見せる。
「かっこいい、陽葵! さすが。でも手が震えてるよ」
「ははは。先輩も落ち着きないですね」
蓮先輩が茶化してくるので、なんだか肩の力が抜けた。
ステージで、私たちの番を告げるブザーが鳴る。
先輩と私は中央に出て、一礼した。
拍手と同時にキャーという黄色い声があがる。
今日の主役は蓮先輩だ。私は伴走。
先輩のサポート、精一杯務めさせていただきます。あんなに練習したんだから、蓮先輩の演奏を成功させてあげたい。
顔を上げ、振り返ると、スポットライトに照らされ、ピアノが待っていた。
蓮先輩を安心させるべく、私は先輩の顔を見る。
「大丈夫です。私がいます」
「うん。心強い」
先輩と私は椅子に座った。
一つのグランドピアノに椅子が二つ並んでいる。いつもと同じ光景だが、スポットライトがいくつも当たっている。
私たちは静かに座ると、お互いの目を見て、呼吸を合わせた。
ステージが静まる。
私は右手を滑らせるように伴奏を始めた。
先輩が入るところを分かりやすくするために、途中ゆっくりと弾き、蓮先輩へ視線を投げかける。
無事、蓮先輩が滑り込んできた。
普通バージョンのあと、リズムを変えるため、一瞬、間が空く。二番はロックバージョンの校歌だ。
蓮先輩の方を見ると、緊張のせいか蓮先輩の顔に汗がにじんでいる。
左手の低い音でリズムをとりはじめると、蓮先輩がいたずらっ子そうな顔で笑った。
え? 蓮先輩?
ふと違和感を感じる。バックステージが騒がしい。
何が起きるの? どうしたの?
いきなりスポットライトが落ちた。
「ええ?」
声にならないよう小さくつぶやく。
「陽葵、そのまま弾いて!」
蓮先輩が暗闇の中で私に指示する。
舞台袖からさささと大勢の人が入ってきた。キラっとトランペットが光る。
ああ! まさか、オケ部!
「さあ、陽葵。演奏を楽しもう!」
蓮先輩が私に大きく、クシャリと笑った。
オケ部のみんなと一緒にロックバージョンの校歌を弾くと、観客が総立ちとなり、身体を揺らし始めた。
誰かが足を鳴らしはじめると、それに合わせて、みんなで足を鳴らし、ノリのよい手拍子が私たちの音楽を求める。
講堂は観客と弾き手たちが一体となって、時間が過ぎて行く。
私はみんなのロックのリズムを取ろうと必死だ。
オケ部のトランペット、トロンボーン、チューバ―、ヴァイオリン、ビオラ、フルート、ホルン、チェロ、コントラバス……、みんなの顔が輝いていた。
「陽葵、眉間にしわ。笑顔、笑顔」
「え? あ、はい」
まさかここで先輩に指摘されると思わなかったので、目をぱちくりとしてしまう。
「大丈夫、陽葵は完璧に弾けるでしょ。俺もいるし、オケ部のみんなもいる。さあ、陽葵も、音楽を楽しもう? リズムに合わせるとか考えない! 心で合わせる」
蓮先輩が心配そうに私を覗き込んだ。
川中先輩は指揮をしながら、大丈夫かと私の方を伺っている。
トライアングルを持った近藤先輩は、笑顔で私に手を振った。
そうだ。楽しまなきゃ。
この空間を大切にしたい。みんなと一緒に弾きたい。
目の前が急にクリアになったような気がした。
間奏の時、川中先輩がふいに私に指揮を振る。アレンジした早弾きを披露すると、観客から歓声が上がった。
楽しい。音楽っていいもんだな。私の心に感動が広がっていく。
オケ部のみんなと校歌を弾いた後、ステージ発表の持ち時間いっぱいまで、音合わせのときにみんなで合わせるいつもの練習曲を披露して、私たちの出番は終わった。
ステージの上に立って一礼すると、大きな拍手が起きた。気持ちをオープンにした演奏というものが分かったような気がした。
文化祭での発表は無事終わった。大成功だった。舞台裏は軽い疲労感と高揚感に包まれている。
いまは四番目の人たちがステージで披露中。オケ部のみんなは、しずかに楽器を持って移動中。片づけをするため音楽室へ戻るのだ。
残りの文化祭を楽しむため、先輩たちは急いで音楽室で楽器をしまっている。
私も手伝おうっと。
先輩たちは笑顔で「楽しかったな」と声を掛け合いながら、音楽室を立ち去って行った。
譜面台の片づけをして、楽譜の束を机の上に置く。音楽準備室はあまり使わないからか、ちょっと埃っぽかった。
ああ、終わっちゃった。楽しかったな。またみんなと演奏したい。
風を感じようと窓を開ける。
満足感でいっぱいだった。音楽って素敵と思う時間だった。蓮先輩と一緒にピアノが弾けてよかった。オケ部に入ってよかった。みんなと校歌を楽しく弾けて、本当によかった。
気がつくと、いつのまにか音楽室は静かになっていた。外では違う催し物が行われているらしく、楽しい声が聞こえてくる。
すこしひんやりした風が入ってきたと同時に、楽譜がふんわりと2、3部と飛んでいく。
「きゃっ」
小さな悲鳴をあげると、蓮先輩が顔を出した。
「どうした? 大丈夫か?」
また、風が吹いてきた。ふわりと楽譜が床に落ちていく。
「突然風が吹いてきて……、楽譜がとんでいっちゃったんです」
「なんだ、そんなことか。何かあったのかと思った。よかった」
蓮先輩が突然私を抱きしめた。
あまりに突然のことなので、何が何だかわからない。思わず、私はフリーズする。
先輩の身体からは、この前と同じ、ミントの匂いがした。ワイシャツ越しに先輩の体温を感じ、状況を把握しつつある私は、みるみるうちに体が沸騰する。
「せ、先輩……」
「陽葵、ありがとう。俺、全く弾けなかったのになあ、きょう、ちゃんと弾けたよ。頑張ったかいがあったよ。やってみたかったことが叶えられた。陽葵のおかげ」
蓮先輩が私を静かに強く抱きしめ続ける。
「私も音楽は楽しいって思い出しました。先輩のおかげです。ありがとうございます」
無駄な力を抜いて、蓮先輩の腕に任せる。逃げないのに、蓮先輩の腕の力がさらに強くなる。
「次は俺の番だな」
蓮先輩の顔が真剣になる。
「そうですね。お兄ちゃんですからね、頑張ってください」
ほんとうはお兄ちゃんじゃありません。
先輩のこと、好き……。好きなんです。
でも、そう言ったら、もう先輩の隣にはいさせてもらえないですよね? 
妹でないとダメなんですよね? もしかして、文化祭が終わったから、私たちの関係も解散ですか?
「お兄ちゃん……。いや、本当はそうじゃないんだ」
蓮先輩は私の背中に回していた手を外した。
蓮先輩は悔しそうな、苦しそうな顔をしていた。
何か悪いことを言ってしまったのだろうか。不安になる。
「蓮先輩なら、できますよ。私、どこへでも応援に行きます」
文化祭が終わってしまっても、せめて蓮先輩のことを応援させてほしい。それくらい許してもらえるよね? 遠くからでもいいし、蓮先輩のことを見ていた。
「ありがとうな。俺、当番があるから、先に行くな。陽葵の当番の時は、クラスに遊びに行くから」
青白い顔で先輩はふらふらと音楽室を去っていった。
「文化祭、一緒に回りたかったけど、時間が合わなくて残念だったな。帰りは、絶対一緒に帰ろうな。話があるから」
蓮先輩は片手をあげた。
なんとなく元気がないし、背中が寂しそうにも見える。お祭り後の寂しさってやつだろうか。先輩、ピアノ頑張っていたしなあ。
なんだか様子が変だったけど、なんか悪いこと言っちゃった? 帰りにずっと応援してるって、それだけは蓮先輩に伝えたい。
また涼しい風が吹いてきた。
ああ、とりあえず、窓を閉めないと。楽譜がまた散らばっちゃう。
真希ちゃんと若菜ちゃんが二年生の教室で待っていてくれるはずだ。私も急がないと。
クラスの出し物の当番準備の時間が迫っていた。

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