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初めから君に恋してる五

五 オケ部
オケ部には、バイオリン、ヴィオラ、オーボエ、フルート、ホルン、チューバなど、楽器ごとにグループがある。さらにうちではピアノグループもある。
オーケストラにピアノは使われないことが多いが、チェンバロや二十世紀に生まれた作品にはピアノが使われている。またピアノを指定している楽曲もあるから、ピアノグループがあるらしい。
練習方法は、基本的に先輩と後輩がペアを組んで、個人練習をする。そのあと、グループ練習、最後に通しで全体練習っていう感じだ。
基本的に、毎日部活があるけれど、勉強もしっかりやれという学校の方針から、部活が終わる時間は5時半と早い。毎年オケ部からは、音大や芸大合格者が出ているので、近隣の楽器弾きの中学生がこぞってうちの高校を目指し、オケ部に入部するという、夢のある部活だ。
ピアノグループは部長の川中先輩と副部長の近藤先輩、私と新入部員の蓮先輩だ。蓮先輩は、近頃、川中先輩と近藤先輩の代わりに、私のところにやって来る。
そんなに心配しなくても、逃げません。
少なくとも、先生にも近藤先輩にも、川中先輩にも頼まれてるんですから。
と言っても、蓮先輩はきっと毎日来るに違いない。小さなため息がおもわずでる。
「陽葵! ピアノに行こう!」
蓮先輩が廊下の窓から手を振る。
蓮先輩の後ろには、ニ年生の女子が数人集まって、蓮先輩の動きを見守っている。
蓮先輩は私の姿を見つけると、嬉しそうにまた手を振った。まるで、でかいワンコに見える。可愛い、撫でてみたい。
周りの女子たちはポーっと蓮先輩の方を見つめていた。
「ねえ、あの先輩かっこいい」
「知ってる。三年の、陸上部だよ」
クラスの女子たちも、私の方を向いてひそひそと話す。
「ねえ、あの先輩と杉浦さんってどうなってるの?」
「どうもなってないよ、だって先輩も、オケ部の新入部員だって聞いたよ?」
「よくわからないけど。お迎えがうらやましいわ、かっこいいもん」
蓮先輩は、見た目はかっこいいと思う。ちょっと軽い感じがするけど。
ただし、近藤先輩や川中先輩が言うように、蓮先輩は実は真面目で、ピアノに向かう姿勢は本気だ。
蓮先輩には、ピアノが弾けると自信をつけてもらって、とりあえず、一曲弾けるようにしてあげたい。それから、やる気があるうちに校歌に着手する予定だ。
「崎山先輩! がんばって」
廊下にいた他のクラスの女子たちの、黄色い声援が飛んできた。私を見る目が冷たいのは、気のせいでしょうか。女子、怖い。
私の味方をしてくれる真希ちゃんと若菜ちゃんを探すと、もういない。陸上部に行ってしまっていた。
私もさっさと撤収しよう。
蓮先輩は、ニ年生女子たちに囲まれていた。
私は自分の荷物を持つと、「先に行きますね」と蓮先輩に声をかける。
「陽葵、待ってよ。迎えに来たんだから、一緒に行こう。じゃあね」
蓮先輩は周りの女子たちに軽く手を挙げて挨拶して、私の後を追いかけてきた。
蓮先輩目当ての女の子たちは、第ニ音楽室まではついて来なかった。川中先輩のファンや近藤先輩のファンたちから、オケ部の邪魔をするな、近寄るなとでも言われているのかもしれなかった。いや、それとも、川中先輩が怒ると怖いからかもしれない。このあたりは微妙だ。
「蓮先輩、この曲って知っていますか?」
ベートーヴェンの交響曲第9番を右手のメロディのみを弾いて見せる。
「ああ、この曲知ってるよ」
「はい、年末に第九の合唱がありますからね。よく聞きますよね?」
私の言葉に蓮先輩がうなずいた。
「この曲、蓮先輩でも実は弾けるんです」
第九の楽譜を蓮先輩に渡す。
「ええええ?」
「弾けますから、チャレンジしてみませんか?」
「……うん。俺でも弾けるの?」
「はい。できますよ」
ゆっくりと音を読んで、メロディを歌ってもらう。それからピアノの鍵盤に手を置いた。指を正しく鍵盤に置くように教え、ピアノの鍵盤を押してもらう。
それから、楽譜の通り、蓮先輩が右手の五本指をきちんと使って弾けるように、指使い中心に見ていく。
「おおおお、俺でも、弾けるようになった」
一時間後、蓮先輩の顔が明るく輝いた。
「俺、ピアノを弾きたいって言ったけど。本当のことを言うと、弾けないかもなってどこかで思っていたんだ」
「よかったです」
私は微笑んだ。
「こんな有名な曲、俺が弾けるなんて……、感動。音楽っていいな。胸が熱くなる」
先輩は嬉しそうに大きな笑顔を浮かべている。教えてあげることができて、私も気分がよくなった。

蓮先輩が練習を始めて十日が過ぎた。
オケ部に着いたら、まずベートーヴェンの第九を数小節ずつゆっくりと弾く。それから校歌の譜読みだ。一緒に数小節ずつ読むようにし、ピアノで少しずつ弾いていくといった地道な練習が続いている。真面目な蓮先輩はちゃんと復習しているらしい。
音楽を愛しているのがわかる。何とか校歌を弾かせてあげたい。私の指導も熱が入るけれど、嫌がられなかった。
放課後。オケ部に行くためにカバンに詰め込んでいたら、真希ちゃんと若菜ちゃんが私の方にやってきた。いつもは授業が終わると、真っ先に陸上部の部室にいくのに珍しい。
「ねえねえ、陽葵ちゃん。オケ部に陸上部の3年の先輩、きたでしょ?」
「うん、よく知っているね」
「もちろん陸上部だからね」
真希ちゃんと若菜ちゃんが目を合わせる。
「三年生の新入部員ってさ、足を悪くした崎山先輩だよね? 」
真希ちゃんが聞きづらそうにしている。陸上部でも蓮先輩は心配されているんだなと思う。真希ちゃんたちは、先輩の、オケ部での様子が知りたいのかもしれない。
「うん、蓮先輩は、ピアノで校歌が弾きたいんだって」
二人に説明する。
「え?」
真希ちゃんと若菜ちゃんが驚いた声を上げた。
「びっくりでしょ」
真希ちゃんと若菜ちゃんは一瞬黙り、二人で目を合わせた。なんとなく納得しているようだ。
「オケ部が練習していると、音楽を聴きに行っちゃう人だからね、崎山先輩は」
真希ちゃんが苦笑いをしている。
「そうそう、ピアノの音が聞こえてくると、ふらっとどっかいっちゃったりしてね。点呼とるとき、いない、どこにいった?って大騒ぎになったんだよ」
若菜ちゃんが懐かしそうに話してくれた。
あれ? 今日は珍しく蓮先輩の迎えが遅い。そろそろ来るんじゃないかなと思いながら、廊下の様子を伺う。
まさか、ピアノに飽きちゃったとか? ピアノが嫌いになっちゃった?
「校歌か。音楽の授業で、一応は歌ったけどさ。あんまり覚えてないな」
真希ちゃんがうなずく。
「蓮先輩もあまり覚えてないから、しっかり校歌を弾けるようになりたいんだって」
「へえ。変わってるねえ」
若菜ちゃんが何とも言えない顔をしている。
廊下からキャーと黄色い歓声が聞こえてきた。
どうやら、蓮先輩がニ年生の廊下に来たらしい。少しホッとした。
真希ちゃんと若菜ちゃんと、廊下のほうへ顔を向けると、蓮先輩がひょいと顔を出し、手を振った。
よかった。きょうもちゃんと来てくれた。校歌がまだ弾けないからつまらないとか、ピアノが嫌いになったらどうしようと心配していたけど、杞憂だったようだ。
うちのクラスの廊下には、女の子のグループが三つも来ていて、不躾に教室をのぞいていた。女の子たちの視線が痛い。
「もう、先輩は、なんでこんなに目立つんですか」
呆れたように蓮先輩を睨む。
「俺のせいじゃないよ」
先輩は前髪をかきあげた。細くて柔らかそうな茶色い髪の毛ががさらっと落ちる。
この前、手触りのよい、先輩の髪に触れたことを思い出した。
「ねえ、もう陽葵のこと、借りてっていい?」
蓮先輩が真希ちゃんと若菜ちゃんに断ると、
「もちろん! どうぞ、どうぞ」
「あ、おまえら陸上部の……」
蓮先輩は陸上部の後輩の顔を思い出したようだ。
「はい、真希と若菜です!」
「先輩、ケガの具合はいかがですか?」
若菜ちゃんが心配そうに聞く。
「この通り、元気だよ。たまに痛いこともあるんだけど、大丈夫。たぶんね。心配かけてるね?」
蓮先輩はにかっと笑う。
「ごめん、陽葵。俺、先に行くわ」
蓮先輩は居づらかったのかもしれない。出て行ってしまった。
「やっぱり、聞いちゃだめだったかな」
「崎山先輩、ちょっとつらそうだったよね。やっぱり陸上、復帰できないのかなあ。リハビリしてるって聞いたけど」
真希ちゃんと若菜ちゃんが悲しそうにうつむいた。
リハビリ、大変なのかもしれないな。蓮先輩の強がっている笑顔を思い出す。
「ほら、陽葵、急いで! 先輩、追っかけて」
「先輩は、私たちじゃだめだから。陽葵、行ってあげて。陽葵じゃないとダメなの」
真希ちゃんと若菜ちゃんにカバンを押し付けられて、私は廊下へ押し出された。
「先輩の面倒をみることが、顧問と部長、副部長の命令なんでしょ。崎山先輩を助けてあげて。私たちも応援してるから!」
真希ちゃんと若菜ちゃんが無理やり私を送り出す。
私はコクリとうなずいた。
廊下を見ると蓮先輩はもういない。私は早足で先輩の姿を探した。
早足で向かうと、蓮先輩は、隣の棟の階段を歩いているのが見えた。もうすぐ第2音楽室だ。蓮先輩の足音だけが響いていた。
「蓮先輩!」
なんとか捕まえると、「陽葵、あいつらともういいのか?」と寂しそうに笑った。
「はい、真希ちゃんと若菜ちゃんも部活がありますから」
先輩は顔をほんの少しゆがめた。
「……、そうか」
2人の間に重苦しい沈黙が漂う。
「いい天気ですね?」
とりあえず、何を言っていいのかわからず、天気の話題を出してみた。罪のない話題ってなんだからわからないんだもの。
「ああ、そうだな」
蓮先輩は苦笑いした。
「天気がいいから、真希ちゃんと若菜ちゃんも部活ができますね」
「そうだな。俺もまた走れたらいいんだけど。でも、痛いときがあってさ。リハビリをすればいいんだろうけど。病気なんじゃないかって不安なんだよ」
蓮先輩の顔が曇る。
「治ったばっかりだからですよ、きっと」
「そうだよな」
蓮先輩は肯いた。
これじゃいけない。なんとかしないと。気分を盛り上げないと。
「蓮先輩、ピアノって習ったこと、ありますか?」
話題を変えるために、わざと明るい声で先輩に話しかけた。
「ぜんぜん、ないよ」
蓮先輩が真顔で答えた。今更の、まさかの質問だったのかもしれない。
「エレクトーンとかは?」
「ないよ。習ったことがないとだめなの?」
蓮先輩は心配そうな顔をする。
第二音楽室は誰もいなかった。ピアノの前に並んで私たちは座る。
「ダメってわけじゃないですけど」
「でも、ピアニカは得意だったよ。ほら、第九も弾けたし、校歌の最初の方も、言われた通り、ちゃんと覚えてきたよ」
先輩はピアノの鍵盤をたどたどしく押す。
右手だけだけれど、きちんと第九のメロディを弾けている。家でよく練習している成果だろう。
「なんかさ、一つ一つの音符が音になり、音が集まって曲になるって、なんかすごいよな。俺が弾けるようになるのかな?」
「まあ、そういわれると、そうですけど。先輩、もう弾けているじゃないですか」
蓮先輩に言われ、改めて考える。たしかに音符の集まりが曲である。
「そうだけどさ。陽葵ちゃんの音楽は、陽葵ちゃんの指が連続して音符を音にしているっていうことだよね」
考えたこともなかった。今まで楽譜にある音符をそのまま指で弾いていただけだったから。
蓮先輩は面白いことをいう。
「あのさ、春休み、すごいスピードの曲、ピアノで弾いていたのって、陽葵だろ?」
「……鬼火のことですか」
「鬼火っていうのか。たしかにそんな雰囲気だった」
蓮先輩が口角をあげたが、儚げに見えた。笑っているのに、なぜか悲しそうだ。
「オレ、走って、走って、走ってさ。楽しかったのに膝が壊れちゃったんだ。なぜ壊れたのかなんて、誰もわからない。体質なのかもしれないし、疲労だったのかもしれない。前に転んだのが悪かったのかもしれないし、運が悪かったのかもしれない」
辛そうな蓮先輩の顔。
胸がギュッと痛くなった。
「ただ、どんどん膝が悪くなっていって……。どうして俺の足がダメになるんだよって思った。なんで俺なんだ。なんで今なんだ。走るのがこんなに楽しいのに。足が痛かったけど、無視して走っていたら、とうとうドクターストップがかかった。もう手術するしかないって言われた。だから手術をして、ようやく普通に歩けるようになったんだ」
「それは、聞くだけで痛そうな話です」
私は眉間に皺を寄せた。そんなに走るのが好きだったなら、ショックだろう。自暴自棄になるのも無理はない。私だって小指を骨折して、動揺したもの。
「今はそうでもないよ。歩けるようにリハビリしたし。ほら、普通に歩いているように見えるだろ?」
蓮先輩は歩いてみせた。
「走るのはまだ難しくてさ。つらくて、つらくて、逃げたかった。そんな時に、つっかえつっかえ弾いている曲が聞こえて来て、でも数日後には曲になっていて……。おおおお、すげえと思ったよ」
蓮先輩が話を続ける。蓮先輩が聞いたのは、鬼火ではなく、初見で弾いたオケ部の秋の定期演奏会用の曲、ジェームズ・バーンズの交響曲第3番かもしれない。もしくはドビュッシーの水の反映かもしれない。それとも喜びの島のほうだろうか。うまく弾けずに悩んでいる曲だ。
「すごいスピードの曲も聞こえてきたことがあった。なんか、陽葵のピアノっていいなって思ったんだ。指を動かすために、真剣にキツそうな練習を毎日してるのがわかった。繰り返し繰り返しできるまで。思いつめたかのように、ずっと繰り返していたね。なんか俺の走るリハビリと似てるなって思ったんだ」
「スピードのある曲は鬼火ですね、たぶん。うわ、恥ずかしい。下手くそですいません」
「俺たちが似てるって言われたら、いやかもしれないけど……」
「え、そんなことないです」
慌てて首を横に振る。
「ああ、この子はピアノを頑張ってるんだなって思ったんだ。時々つっかえてるし、いやになるだろうな、ずっと弾いているなんて苦しいだろうなって心配してた。一曲全部が弾けるようになった時はよかったと思いながら、聞いていたんだよ。陽葵を紹介された時、陽葵は右手の小指にギブスしてるし。すっごくびっくりした。よくそれで弾けるよなって」
「ははは」
私は乾いた笑いをした。
「でもさ、陽葵のピアノって、なんか、なんかとしか言えないんだけど、何かを乗り越えようとしている力を感じるんだ。俺もがんばらなきゃって勇気をもらった」
「感情を音で表現するということが、うまくいかなくて」
自分の深い悩みを直感的に理解されたので涙目になる。
蓮先輩はわかってくれるんだとぐっと胸にきた。
「ううん、俺にとっては、陽葵のピアノは救いだった。陽葵は陽葵らしく弾けばいい。ここに救われた奴がいるよ。自信をもって?」
「つっかえたり、音飛ばしたりもしていたはずなのに。この前部活もさぼっったけれど? いいんですか?」
思わず本音がこぼれる。
「それでも、俺は陽葵のピアノが好きだ。練習して、だんだん日を追うごとにうまくなっていくのを聞くのも好きだ。右の小指を使わなくてもうまく弾ける陽葵はすごい。頑張ってる」
蓮先輩は優しく微笑んだ。
「鬼火は、ただ機械的に弾いていたはずです」
正確に弾くことはできても、深みはないと以前コンクールで評価されたことがあるのだ。
「そんなことなかったよ。なんか、苦しそうだった。一生懸命、何かを得ようと、頑張って弾いている音がしていたよ。大丈夫、前にちょっとずつ進んでいる感じがした」
蓮先輩に個人の課題の曲の練習も聞かれていた。
恥ずかしい。下手くそなのに。全身の血が沸騰するくらい熱くなった。
「そんなこと言われたの、初めてです」
「まあ、俺は素人だからさ、よくわからないけど。逃げずに立ち向かってるのがわかった。けして機械的じゃなかった。絶対、陽葵の気持ちが入っていた」
「ありがとうございます。悩んで弾いていたのって、伝わるんですね」
音色が変わることがあるんだ。気持ちって、音で伝わるんだね。
お母さんが言っていた意味が、もう少しで分かる気がした。
「ねえ、陽葵? そのケガはどうしたの? なんで骨折したの? 痛くないの?」
蓮先輩が私の手を握った。心配してくれているのが伝わってくる。
「下校中、隣のベビーカーが突然動き出して、道路に飛び出ようとするのを止めようとしたら、ガードレールに右手をぶつけて、右の小指にひびが入ってしまいました」
「はあ? 大変じゃないか! でも、優しい陽葵らしいな」
蓮先輩が口角を下げて、渋い顔をした。
「左手は元気だし、他の指も元気だから。先輩にピアノを教えるのに、ちょうどいいというか。つまり、蓮先輩に教えるの、全然いやじゃないですからね」
「でも、さぼってたの?」
「ええ、まあ。はい」
蓮先輩にも完全にバレてしまった。
ううう。そこはスルーしてください!
「オレもさ、学校いやになっちゃってさ。休んだり、リハビリもさぼったりしたんだ。オケ部の顧問が担任でさ、すっごく怒られて。毎日電話がかかってきて、それで学校に来るようになったんだけど」
「オケ部の顧問が担任って、タイラッチ?」
「そうそう、タイラッチ。いい先生だよ」
私たちは顔を見合わせて笑った。
「まあ、おしゃべりはこれくらいにして。改めて、俺に校歌を教えてよ。陽葵」
蓮先輩がペコっと頭を下げる。
「本気で文化祭で弾くんですか」
「うん」
先輩の決心は固そうだった。
「分かりました。では、本格的にやっていきますか」
譜面台を準備して、楽譜を置く。それから、蓮先輩に気をつけてほしいところをえんぴつで、一人で自主練習ができるようにと思いを込めて小さく書いた。
ピアノを前に私は息を整えた。
「見本に弾きますね」
指を鍵盤の上に静かに置いて、弾きはじめる。
「すごいな。陽葵はすぐ弾けるんだな」
先輩は感動したようで、拍手をしてくれた。
「そんなに難しい楽譜じゃないですからね」
「でも、すごいよ。俺、感動した」
先輩が私の手を握る。
「あれ? 陽葵の手……、小さい。指も結構細いんだな」
また、ちょっと、手、触ってます。うわぁ、顔も近い近い!
「……」
体温が急上昇するのを感じる。ドキドキしちゃうじゃないですか! 恥ずかしい。
蓮先輩は私の手をひっくり返して、じっと見る。
「この手で弾いているんだなぁ。陽葵の手もやっぱり指は、十本なんだな。もっとごっつい手だと思ってた」
感心したように呟いた。
なにそれ。私ばっかり意識して、バカみたい。もう……。しかもごっついとは。笑ってしまう。
「ほら、先輩、始めますよ。右手を鍵盤においてください」
「あ、はい、はい」
練習、厳しくしてやる! 本当にもう。私の手はごっつくなんかありませんからね。
まだ赤い頬を手で抑える。心臓の鼓動がトクトクうるさかった。

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