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航続可能距離

先日の記事を読み返していて、そしてその時起こったことを反芻して
「恋して欲しかったんだ」 と思った。
腑に落ちた、という感じ。
好きになって欲しいとか愛して欲しいとかっていう漠然とした(?)ほんわかしたものではなくて、もっとドロっとしたほの暗い欲みたいな感じで、それを思うと自分のことがとても嫌になるんだけど、でもやっぱり私は、やっぱり、恋して欲しかったんだなあ。

というのも私の中で恋って最強みたいなところがある。
例えば好きになった人に恋人がいる時より、その人が誰かに片思いしてるっていう方が落ち込み度がすごいって思ってて。
恋人がいたらすんなり諦められるけど、その人に片思いの相手がいる状態なら落ち込みに落ち込みまくったあとに諦めると思う。

何がどう違うかの説明はできない。
できないんだけど、恋ってすごく大きな気持ちっていう考えがずっとある。

だからこそ、私は件の人に恋して欲しかったんだなと思う。思った。今日。

文章にあらわすと重いなと思って引いちゃうけど、実際こんな何年も何年もうだうだぐちゃぐちゃしていて重くないわけがないんだよな。そもそものはなし。
そこはもう「私のこの思いは一生モノで重いの。仕方ないでしょ?」くらいに割り切れるといいんだけどね。そのくらいもっと自分本位にぶんぶんと振り切れたなら少しは楽だったのかもしれない。

嫌な感じに自分勝手なのに変に臆病でどう思われてるかすごく気にするっていう、こんなの相手からしたらものすごく面倒くさい女だよなとおもう。
頭だけ大人になって心は大人になってないってことなんだろうなきっと。

いつになったらこれが過去になって
「あーんなに執着してなんだったんだろうねー」
なんてお茶飲みながら話せるんだろう。そもそもそんな日は来るんだろうか
例えばそんな日が来ないとしたら、これから先の人生ここまで育った思いはどう消化して昇華させたらいいんだろう。

これまで20年ぐらい飼い慣らせなかったものが、この先歳をとって経験を重ねたら飼い慣らせるようになるものなのだろうか
わからないから不安だし、これを持ち続けながら生きるのは本当にしんどいので、朝起きたら何も無かったことになってるのを心から望んでいる。
出会わなければよかっただの、出会えたからこそ人生が豊かになっただのそういうことで誤魔化せたり納得できるフェーズにはもうなくて、それよりももっと暗くて硬くて湿度のあるいやーな物体になって心の中にいつまでも存在し続けてるから厄介。

落としどころがみつけられないみたいな感覚。

私はいつまで過去の自分を更新するということでしか今の自分を作ることが出来ないでいるんだろう。周りの人はみんな更新しなくても新しい自分を新たに生み出しているようにみえる。例えそうでなかったとしても、他人から見てそう見えること自体が羨ましい。

新しい生活、新しい家族、新しい立場…
私はずっと古い私を古い型のまま最新のOSにアップデートして、なんとか社会に対応しようとしているから綻びが出るし欠陥品だし胸を張って外に出ていくことが出来ない。

話がどんどん変わっていったな。
これだけ面倒な事を頭と心でぐちゃぐちゃごちゃごちゃ考えているんだと、文章に打ったものを見ていまかなり引いている。他人にそう思われていませんようにと心から祈るしかできない。


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