1年前にカンボジアで感じたこと

はじめてnoteを書いてみる。

過去のFacebookの投稿から抜粋して。
2017年の3月にカンボジアにスタディーツアーと題して10日間ほど行ったときのこと。
この経験が今の私の強い信念の一点となっていることは言うまでもない。

でもこの投稿をしている当時はまさかこの点が繋がって線になるなんて思ってもみなかったんだよね。これが「人生の面白み」なのかなぁ…なんてね。笑


『初日にポルポト政権下で虐殺、拷問のおこなわれたトゥールスレンやキリングフィールドに行きました。正直写真を撮るのが拒まれるほど痛々しく、人々の苦しみの跡が残っていました。
地面に残る血痕や、拷問に使われた道具、そして殺された人々の頭蓋骨。何の罪もない人が最後の最後まで苦しみ、そして亡くなっていった場所です。
たった40年前の出来事。なんとも言えない感情に襲われてすごく苦しくなりました。

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私は歴史を知っている”つもり”でした。でも実際は全然わかっていなかった。世界史で勉強した文章としての、知識としての薄っぺらいもので、そこにある何千という人々の痛みを全然わかっていなかった。

以前高校の先生から「Life is painful だから、全てのことに心を痛めていたら生きていけないよ」って言われたのを思い出した。
わかる。わかるんだけれど、やっぱりそうはありたくないと思う。

当時はただ反抗していただけだったけれど、私はそういうことに心が痛まない人間にはなりたくない。先生が言っていた意味ももちろんわかるし、実際自分もそうやって割り切っているから、こういうものを見ても普通に生きていけている。でもだからこそ、こういう痛みが詰まった場所にいる時くらいは、当時の人々の苦しみに少しでも寄り添いたいって思う。それで何ができるわけでもないし、その苦しみは自分の想像じゃ足りないくらいだろうし、自己満足なのかもしれないけれど。
痛みから目を背ける事は簡単だし、見なくても生きていけるけれど、それは正しい事ではない。負の遺産が遺産として残っている意味、私たちがそこから学ぶことができる意味ってなんだろう。

うまく言葉にできないけれど、生きている私たちには彼らの痛みを感じる義務があるとさえ思うほど、人々の悲鳴がありとあらゆるところに残っていました。カンボジアに行ったら必ず訪れて自分の目で見てみてください。


ところで、今回の旅で一番思い出深いのはやはり4泊5日のトロピアンコ村でのホームステイ。初日で帰りたくなるだろうと思っていたけれど、どうやら私の性に合っていたみたい。最終日には、携帯を水に沈めて電波の届かないこの村にずっと住みたいな〜なんて思っていました。
カンボジアは貧しい国だけれど、彼らの生活は日本に住む私たちよりよっぽど豊かでシンプルなものでした。時間に追われ、携帯を肌身離さず持ち歩き、暇さえあればSNS をチェックして…なんて全くご無用。うるさいまでの鶏の鳴き声に起こされ、お腹が空いたらご飯を食べて、汗をかいたら水浴びして、満天の星が顔を出したら眠りにつく。こんな贅沢日本にいたら絶対にできない!!おやつには庭に落ちたヤシの実をナイフで叩き割って食べたり、獲れたてでもちもちの白いとうもろこしにかぶりついたり…もう幸せでした。

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私たちの生活は一見とても豊かだ。必要なものはお金さえ出せばいくらでも手に入るし、現状ほとんど困ることはない。
でもそれが当たり前になりすぎて、周りに物が溢れすぎて、何かすごく根本的な大切なことを完全に見落としていた気がします。うまく言えないけれど…。
トロピアンコ村での生活を経験してなかったらその何かに気づくことなんてもしかしたら一生なかったかもしれないな。すごく感覚的なものだからきっと経験した人にしか分からない。本当に貴重な体験だった。(…以下略。)』

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当時はうまく言えなかったことが少しずつ見えてきたこの頃。
そして、この経験に端を発して様々な点が繋がってきたこと、最近になってやっとそれを言語化できたこと。

感情的な部分で怒涛の5日間があった。この5日間の思考回路の中で出した私なりの一歩はきっと今後に大きく影響するはずだ。
根拠はないけど
なんだかそう、確信しているのだ。

私のこの想いをちゃんと自分の言葉で紡げるように、うまく点が線へと変わっていく過程を説明できるように、noteに文字通りノートとして記録しておこうと思う。

#カンボジア

#旅行記
#物欲なき世界
#学生の戯言

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