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さみしさは埋めるものじゃない

さみしくて、さみしくてしかたがない時

誰かで埋めようとする。

何かで埋めようとする。


私は最近

さみしさは埋めるものじゃない

って思った。


誰かで埋めようとしたって

何かで埋めようとしたって

ほとんどの人は

虚しさ

だけしか残らないんじゃない?


だって、本当は、自分が1番わかってる。

このさみしさを埋めるものがなんなのかを。


愛する人だったり、夢中になってたもの。

だけど、もうそれはどんなに欲しくても手に入らないからさみしいのだ。

だから他の誰かだったり、他の何かで補おうとする。

だけど、それはやっぱり自分が心から欲しいものじゃないから、気づくと虚しくて涙が出る。

好きでもない相手とセックスしたって、終わったあとに相手が背中向けて寝てたらどうよ?

温もりが欲しかった!

さみしくて、誰かに抱きしめて欲しかった。


その誰かは、本当は誰でもいいわけじゃないよね?


じゃあ、どうすればいいのさ?


私にわかるわけないっしょ!

わかってたら、こんな記事書かないわさ。


ただ、さみしさを埋めるのは違うってことがわかっただけ。


まぁ、ベタなところで言うと、やっぱり友達に話をきいてもらうのが1番かもしれないけどね。

ただ、この歳だからかどうかはわかんないけど、それも何気にめんどくさかったりする。


私は、最近、ドライブかな。

夜の高速道路ドライブ。

さみしさを埋めるというより、さみしさを消すって感じかな。

逆に、さみしさを味わう?

1人、車を運転しながら、まっすぐのびる高速道路をひたすら走ってると、さみしいのかもしれないけど虚しくはない。

これって、けっこう大きな違いだと思う。

私は、さみしさに向き合う必要はないと思ってる。

それこそ、向き合ったところで虚しいだけだと思うから。



これって、強がりなのかな?



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