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目の前の景色を直視する

教典  310  「目の前の景色を直視する」

威張って言うことじゃないけど、私はちょっぴり『痛い人間』です(苦笑)


どういうことかというと

けっこう、、、いや。かなり『妄想』することが好きで、

日常生活のほとんどを妄想の中で生きてると言っても過言ではないくらい、隙間があれば妄想しています。

たとえば、街中でかっこいい人をみかけただけで、「これが運命の出会いかも?」から始まり、勝手に脳内で自主ドラマが始まったり、

それこそ、テレビドラマや映画でも、それはそれで物語が出来上がっているにもかかわらず、これまた勝手にアナザーストーリーを脳内で展開する。

妄想って、自分の好きなように思い描けるので正直、気持ちいいんですよ。^^;

まぁ、これはたぶん、学生時代の仲間ハズレの名残りというか、仲間ハズレにされて、妄想に逃避してましたからね。

妄想が支えだったといっても間違いではないと思う。

ただ、この妄想も一歩使い方を間違えると逆効果を引き起こすことがある。

それは


妄想と現実を混合してしまうこと。


ドラマやアニメ、ファンタジー、なんかを妄想する分には

かわいいですまされるかもしれないけど(それでも、かなり痛いけどね)

これが、現実となると


ありそうで、ない。


ことのギャップに苦しむ。


学生時代の仲間ハズレにされてた時もそうだった。

私の妄想は、仲間ハズレにした奴らに天罰がくだったり、私が逆にヒーロー扱いされる。

そんな妄想ばかりしてた。

けど、現実は万に一つの可能性すらなかった。


実は、ここんところの情緒不安定だったのも、妄想と現実のギャップに苦しんでたのかもしれない。


ただ、先日、だんなと散歩に出かけたんです。

私たちは、たまに散歩するんですが

その時の散歩はいつもと違ってました。

目の前の景色がはっきりみえる。

だんなの存在がはっきりみえる。


これもどういうことかというと

これは、私だけかもしれないけど、

落ち込んでたり、凹んでたり、なんなら病んでる時って、実は目の前にみえるものがみえてないんですよ。

あまりに習慣化されてるから、ご飯食べたりお風呂入ったり、日常生活に支障はありません。

でも、心はそこにはない。

だから、天気が晴れていようが雨が降ろうが関係ない。

食事がおいしかろうが、まずかろうが、そこに感情はない。

家族が笑っていようが怒っていようが関係ない。

そう。

心ここにあらず!

って言葉がぴったりですね。


ところが、この時の散歩は違った。

そこにだんながいることをはっきり認識したし、道に咲いてる紫陽花もはっきり見えた。

その時は、表向きは普通に散歩して帰ってきたけど、

私は、一人で感動していた。

何かがクリアになった感じがした。


これはたぶん、きっかけにすぎないと思う。


こうすれば、メンタル安定しますよ。とか

こうすれば、元気になれますよ。とか

なんなら

現実みろよ!

なんて言いません。

ただ、

目の前に何があるのか。

その目にうつるものはなんなのか

それを認識することが、実は、心の解決につながる場合もあるかもしれないよということです。









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