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いつも初めましての気持ちで

教典  87   「いつも初めましての気持ちで」

noteを始めて、4ヶ月。

ありがたいことに、こんな私にもフォロワーさんがついてくださって、しかも、ほぼ毎日訪問して好きをポチってくれる方もいらっしゃる。

こんな嬉しいことがあるでしょうか?

今もって、この場を借りて、心より×100倍の気持ちを込めて

ありがとうございます🌟

と叫びたいです。

本当にありがとうございます🌟



そんな嬉しいことが続くと、私はすぐ甘えてしまいます。

どういうことかというと、

何を書いても訪問してくれるだろう。

何を書いても好きをポチってくれるだろう。

なんなら

私のことわかってくれてるよね?

だったら

ちょっといつもと違う記事書いても許してくれるよね?


なんて、思ってしまうのです。

はい。









大バカ者です!


私のnoteの趣旨は

「教典」と題して、生きることや、働くこと、うつ病に関すること、44歳の私だから思うことを発表することです。

ところが、その日の気分によって、たまに、「今日の私の出来事」的な記事を載せることがあります。

もちろん、noteとは、自由に作品を発表できる場なので、それをやってはいけない!わけではありません。

また、私自身、今日は教典じゃなく、たまには「私の出来事」を発表したいと思って、記事を書き、投稿ボタンを押しています。

ただ、


昨日の投稿ボタンを押したあと、「あれ?」と立ち止まってみました。


私が書いた今日の記事って、私とフォロワーさんにしか向けてないな。

いや。

フォロワーさんにとってもガッカリする記事なんじゃない?


そう思った時、

全てに対して

申し訳ない気持ち

になりました。


まぁ、私ごときが、そこまで大げさな気持ちになるのもどうかと思いますが、

言いたいことは、

私にとっては、何十回、何百回目の投稿であっても、訪問される方にとっては、「初めまして」の場合がほとんどである。

そして、その貴重な「初めまして」が、趣旨と違う記事だとしたら、それは「もったいない」のではないか?ということです。

私は、せっかく私の記事を読んでくださったなら、他の記事も読んでほしい。

だけど、教典とは違う記事を読んだ人にとっては、「教典」なんて書かれてたら、読みたいどころか怪しさ満載だと思う。

だったら、どの扉を開いても、そこが「教典」であるなら違和感は少ないはず。



なので、明日からは「教典」しか投稿しません!

と、カッコよく決めたいところですが、

そこは「なるべく」ということで、

これからもよろしくお願いします。(苦笑)



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