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ももばちが「"自分を生きる"日常の学び舎コミュニティ」をオープンする理由
この度、2023年4月1日にリリースした「"自分を生きる"日常の学び舎コミュニティ」は、ももばち企画を立ち上げた時、いや、そのずっと前から掲げているビジョン
誰もが自分の内側の「大切なもの」と繋がって、
自分を自由に表現して生きられる、
自分のヤミも人のヤミも愛しあい、
しんどい時にしんどいって言える繋がりが、
すべての人の日常にあるセカイをつくる
という壮大な試みを、実際に実現するための大きなチャレンジです。
自分を生きるために必要な「環境」をつくる
これまでも点々と、ビジョンに向けてさまざまなことに手を出してきたわけですが、点でできることなどほんのわずかなもので、
その時その場でその人が自分と大切なものと繋がれたり、それを他者と分かち合うことができても、その後その人が普段の日常に戻っていくと、また自分の大切なものを封印し、しんどい時にしんどいって言うことすら難しい生き苦しい環境は変わらずそこにあるのが現実です。
そこで今回特に力を入れるのが、その人が自分を生きるために必要な「環境」を整えること。
環境の中にも様々あって、
・自分の内側の大切なものと繋がり、表現し、他者と分かち合える機会があること
・自分や他者とうまく付き合える最低限の知識を学べること
・好きなことが分からない人にとっては、好きなことと出会える機会
中でも私が、自分を生きる上で一番大切だと考えているのは、
自分をさらけだし、自分のヤミも人のヤミも愛し合える、しんどい時にしんどいって言える繋がりです。そんな繋がりを、一時的な繋がりではなく、継続的に関わる日常の繋がりとして感じられることが、その人の生きる環境をより生きやすい環境に変えてくれるのではないかと信じています。
これまでいろんな人のヤミの話を聴いてきて、また、私自身も自分のヤミとずっと向き合ってきた中で、自分の大切にしたい「宝物」に気付けたところで、それを自由に表現して生きるということがいかに難しいことか、身を持って感じてきました。
狭いコミュニティの中だけでは、その場の「普通」の価値基準から逸脱して自分を表現するなんて、私ならできません。そのコミュニティの中では、息を潜めて生きることを選ぶかもしれません。
でももし、日常の繋がりの中で、ありたい自分でいられる人との繋がりがあったら、自分のヤミも人のヤミも愛し合える繋がりがあったら、居心地がいいと感じられる居場所があったら、
一部の息苦しいコミュニティが世界の全てじゃないと思えたら、少し息がしやすくなるんじゃないか、そのコミュニティが合わないのなら、そこにしがみつかなくても大丈夫かもしれない、そう思えるようになるんじゃないかと思うのです。
ももばち自身の経験から
私は高校まで、狭い学校社会の「普通」という価値観が世界の全てだと思い込み、「普通」になれない自分の存在を否定し、消えたくてしょうがなかった時期がありました。「普通」じゃない自分にコンプレックスを感じ、自分というものを捨て、「普通な人」になろうととにかく必死でした。
「私さえいなければ。」そんな言葉が頭の中をこだまする毎日で、この世界に、私が生きていける場所なんてないと、本気で思っていました。
大学進学を機に、「やりたいことをやってさっさと死んでやる」と何かが破裂したかのように吹っ切れて、超アクティブ大学生に変身した私の中にも変わらずヤミはいて、でも、頑張れない自分が悪いんだからと自分を責め、信用を失うことが怖くてヤミを隠して生きていました。
しかし、ヤミを押し殺して生きることにも限界が来て、それまでできていたことができなくなり、無限に湧き上がってきていたエネルギーが尽き、全てから逃げるように大学を休学しました。
▽ももばちの生い立ち
この「"自分を生きる"日常の学び舎コミュニティ」は、その当時の自分に届けたかったものでもあります。
もしあの時、私のまわりの「普通」とは違う価値観を生きている人に出会えていたら、
もしあの時、お互いのヤミを分かち合い、愛し合える人たちに出会えていたら、
もしあの時、自分の中の大切なものを否定せずに生きていける道があると信じられていたら、
生きることの意味、自分とは何者なのか、答えのない問いを1人でぐるぐる考えるのではなく、他者と共に本気で語り合える場があったなら、
相手を傷つけないために自分を削るのではなく、相手も自分も慰る術を知っていたら、
少なくとも私は、生きることに希望を見出すことができていただろうと思うのです。
そして、これまで100人近くのヤミを聴きつづけてきて、
このような環境を必要としている人たちが、実はこの世の中に溢れているという確信があるのです。
社会的に埋もれている「生きづらさ」と、架空の壁
人のヤミというものは、社会的にほとんど認知されていないものです。そもそも本人ですらその存在に気づいていない場合も多ければ、もし本人が気づいていても、ヤミは出してはいけないという社会的風潮が強いので。
分かりやすい、顕在的なニーズであれば、誰かが手を差し伸べてくれる。
(良くも悪くも、近年特定の生きづらさに医学的根拠がない名前をつけるのが流行っているのも、名前がつかなければ生きづらいと言えないという前提があるからだと私は思っています。)
では、生きづらさの名前もつかない、助けてということができない人たちは、救われることなく、理由のわからない生き苦しさに耐えるしかないのしょうか。
今がなんとなく苦しくて、現状を変えたいと思っても、「自分らしく生きる」なんてことができるのは、自分のやりたいことが明確にある優秀な人たちだけでっしょって、
そこに見えない壁があるように感じて、やりたいことがよくわからない自分はどうしたらいいのか分からず途方に暮れる。
そんな人と数え切れないほど出会ってきました。
その度に私は悔しくなるのです。
その人が自分らしく生きることを諦めてしまうのは、その人に才能がないとかそんなんじゃなくて、たまたま、好きなものと出会えるような機会がなかっただけ、自分を生きている人が身近にいなかったからイメージがつかないっていう、環境の違いだけなのに…って。
自分らしく生きるって、別に起業するとかフリーランスになるとか、そんな大袈裟なことじゃなくてよくて、例えば会社員や公務員の中にも、自分の大切にしたいものを大切に生きられている人ってたくさんいると思うんです。
なんとなくキラキラした眩しい印象を持たれがちな言葉だけど、本来自分を生きることは、もっと地味でも小さくてもいいんです。
そこに、あなたの大切なことがあるのなら。
さいごに、伝えたいこと
信じてほしい。
たとえ今は見えなくても、あなたの大切なものは、あなたの心の奥底で、あなたに気づいてもらえるのを待っている。
その大切なものを表現できた時、あなたはもっと輝ける。
誰と比べる必要もない、あなただけの誇らしい宝物を、否定も封印もせずに生きていける力が、あなたにはある。
本当はみんな、分かち合いたいと思っている、自分にも見えない心の奥底のこと。それを分かち合うことで、あたたかい気持ちが溢れ、あらゆる壁を超えて繋がれる。
しんどいって言っちゃいけない人なんて、誰もいない。
そう信じられる、実際に実現することができる環境をつくりたくて、
「"自分を生きる"日常の学び舎コミュニティ」をオープンします。
自分に自信を持てない人、
自分がよく分からなくなっている人、今の生き方に漠然とした違和感がある人、
生き方を変えたいけど、どうしたらいいか分からない人、、、
自分の心の奥底の願いと繋がって生きたい全ての人に、
しんどい時にしんどいって言える繋がりを求めている人に、
届きますように。
⬇️"自分を生きる"日常の学び舎コミュニティの詳細はこちら
いただいたサポートは、自分のヤミも人のヤミも愛しあえる、しんどい時にしんどいと言えるつながりを広げていくための、ももばち企画の事業運営費に活用させていただきます。