染めを始めた理由

自然の風景を切り取ったようなゆらぎのある色合いとfeelingをbetterにする言葉。まとうことで気持ちが満たされLifeをよりよい方へ動かすような衣服を作りたい
雲間から明かりが差すような、あたたかな愛を感じてほしい 

Sprinkle the colors of love
服に、自然の愛をふりかけよう

植物染めを始めてから、毎日こんな想いが胸と頭をいっぱいにする。
染めはじめるに至った流れを、いまのわたしが言葉にできるかぎり、書いてみた

7月なかば、会社をやめる決意をする
日本にいる限り死ぬことはないし、という境地に至ったから。
とくに次の仕事は決めていないけど、9月末で退職する。

飲食の仕事に出会い10年。人をおもてなしすることが私の天職だと感じ、
なんの経験もないところから、毎日すこしずつできることを増やしていって、たくさんの人の笑顔やありがとうをいただけるようになった。
一緒に働くスタッフが成長していくのを見るのも本当に嬉しくやりがいがあった。
常に真剣にお客様にも、働く仲間にも、街にも、向き合ってきた。
お客さまに最高の時間を提供するために寄り添う仕事が心から好きだが、
食もお酒も、その時流れていた空気感も、泡のように消えてしまうことに、
だんだんと、すこしずつこころがすり減っていっていた気がする。

それでも仕事が大好きで、ワーカーホリックで心配性な私からすると、次も決めずに辞めるなんて今までならあり得ないことだ。
29才くらいのころから、心身の疲れが積み重なり何もする元気が出なくなり、口をひらけば「隠居したい。」しか言わなくなった私は、それから数年間仕事のペースを落として低迷、停滞した時期を過ごしていた。
最初の数年はバリバリと働かないよう自分をいさめなければならなかったが、じっくり孤独に向き合ってきたことで
世間から見て止まったり、休んでいるように見えることを恐れたり恥ずかしいと思わなくなったことが大きい。
それでも、大好きだった仕事を「大好き、だけど、もう好きじゃない」と受け止めるのは、とても時間がかかった。
(誤解を避けるために言うと、私は飲食業がいまでもとても好きだし、働く人を尊敬しているし、そこで働いてきたことを大事に思っています。)

そんな中でも自分の好きなことや楽しいことがだんだんと復活して、自分らしい道を描こうと楽しみにしていた2020年。
年始からホテル内の飲食スペースのマネージャーになり、いままで一番良い仕事仲間にめぐまれ、毎日職場にいくのが楽しみなほど充実していたが、
コロナという未曾有の危機。
幸いなことに仕事を失うことはなかったが、ホテルの仕事からは離れざるを得なかった。大好きな仲間たちを失ってしまったこと、ずっとやりたかった仕事から離れなければならないショックで4月半ばまで本当に悲しかった。

これから一体どうなっていくのだろう。
誰も経験したことのない事態、とりあえずやれることをひたすらに実行する日々だった。心身ともにかなりのダメージをくらった。STAY HOMEを有意義に過ごしている人がうらやましく感じたりもした。
だけどその日々にだって意味はあったと思うし、生活できていることに感謝しなければいけない。しかし、ある程度の期間を過ぎてから、毎日涙が出て身体も30キロくらいの重しを背負ってるように感じるようになり、これ以上自分を捧げいてはいけない、やめよう、と決めた。
そもそも私がやりたかったことってなんだったけ。
世界がある意味平等に大変な事態になっている今、もはや何かを心配しても仕方ないんじゃないかしら。

おはずかしながら、その頃は今年になってほとんど飲まなくなっていたのに、あまりにもストレスフルなため酒量が一気に増えてしまっていた。
飲んでも飲んでもまったく酔わない日々が続いていたので、人生で始めてウイスキーのボトルを買ったのもその頃だった。

ある晩お酒を飲みながら、ふとYoutubeにアップされていた魔女の宅急便を見始めたら、かなり早い段階で号泣していた。自分でも困惑するくらいの嗚咽に、
その涙の訳を理解したいと思った

30歳を過ぎてからしばらくの間の私は、劇中の中のキキそっくりな顔をしていると思うことがよくあった。元気がなくなって、ぼーっとした目でカウンターに肘をつきながら店番をしている顔だ。

どうトレーニングして努力しても、休養を取っても、魔法の力が回復しないばかりか弱っていく。
だけどイワシパイのおばあちゃまのような、自分にできることで人が喜んでくれる人に出会ったり
森に住む絵描きのお姉さんが自分と出会ったことで新しい絵が描けたように、自分の存在が人にとってプラスに働く経験をすることで少しずつ元気を取り戻していく。
そして心が利他に100%集中した時に自分でも制御できないほどの力が爆発する。
すごいポテンシャルを秘めていたんだな。自分の壁を越えたんだな。

私が泣いたのは魔女の宅急便を見ていたからだけではなかった。
画面のすぐ近くには私の大切にしてきた本が並んでいた。

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そのうちのひとつが「ロマンティックに生きると決めた理由」という本である。

私はロマンティックに生きているだろうか。
なんだその抽象的な表現は、と思うかもしれないが、とにかく全然ロマンティックじゃない。ぜんぜん!

その本の横には「ミラノ 朝のバールで」
「YOU ARE SO BEAUTIFUL」という本が並んでいる。

わたしはフィクション作品を読むことはほとんどない。
最初の1冊の著者はお会いしたかったが、以前この本が与えてくれたことをSNSに投稿した際に、著者を知っている方から、私が本を手に取った2年ほど前に亡くなってしまっていたことを知った。
数年後にまた投稿したとき、著者をよく知っているという方が、本当に素晴らしい方、空間、思い出だとコメントをくれた。
今はライフスタイル系雑誌などに出てくるひとばかりで、その人たちがまだ名前が知られていない頃、著者の永井さんのギャラリーに集まっていたのだそうだ。

2冊目は手にとって読んだ時に衝撃を受けてイタリアまで行ってしまったくらい影響をくれた本。著者のEikoさんとは会うことはできなかったが現地で電話でお話ししてそれきりだったが、数年後EikoさんがFacebookで私を偶然見つけてくれて繋がった日はとても嬉しかった。
現地まで行く勢いはあるくせに繋がる勇気がなく時が過ぎたが、
まったく共通の知り合いがいないのになぜか数年後に見つけてくださったのだ。

3冊目は元看護師でメイクアップアーティストの方が書いている。
この本を読んで、私はこの人のように、ひとの美しさを引き出す、健康的な仕事がしたいと思った。
それからインナービューティーやフィトテラピー(アロマテラピーなども含めた植物の力を健康に生かす療法)を調べるようになった。
食の仕事をもっとウェルネスに繋げていきたいとその頃は考えていた

1冊目からは葉山の海辺の近くで様々な人たちが自分のとても小さな才能の種を仕事にしていったり、自分の感覚を大切に生きていく様子に心が動かされた。多様性とか、自分らしさ、それぞれの授かったもので生きていくみたいな感覚。
2冊目からは自分を表現したいことを表現できる場所で、
五感がいきいきとした生き方をすること。
全く知らない地で人生を過ごすことの孤独とそれを上回る素晴らしさがあることを教わった。
3冊目からは
私も心身ともに健康的な生活をして、他人の健康や美しさを引き出す仕事がしたいと心から思った。

一連の心の動きはとても抽象的かもしれないけれど私にとってはイメージがとてもカラフルで常に頭の中で輝いていて、ずっと私の心を温かくしてくれるのである。

実は魔女の宅急便を観る前に、これに近い鮮明な印象が湧いて眠れなくなった夜があった。
それはとても希望に満ちた喜びにあふれた気分だった
その晩わたしは(一体なにがなんだかわからなかったが)、
「この場所から出ていく時が来た」と思ったのだ。
今思うと、変わらなければならない時が来た、という意味だったのかもしれない。


そんなある日、人をよく理解したいと、研究の一貫として最近星読みをしているシェアメイトが私のことも読んでくれた。
その時に私が2014年から書き足してきたFBのプロフィール自己紹介を送ってきた。てっきり消えてしまったと思っていた。毎年いまの自分となりたい自分を書き加えていて、ロードマップみたいなものである。
それはまさにいまの私と変わらない気持ちであった。
自分が思いを定めるきっかけになった瞬間や、願いを叶えようと動いてきたことを鮮明に思い出させてくれた。
先述したような本や人との出会い。
だけど途中、おそらく自分の望みと違う選択をしてしまいキキのような状態に陥った。

ただ最近気が付いたのはそのおかげで、「何もしていない私」でも幸福感を感じるようになったこと。
昔の私といえば、ありあまるエネルギーで理想を追いかけて自分で自分の首を絞めてもがいていた。
何かしていないと自分には価値がないとなげいていた
キキも劇中で魔法が使えなくなったらアタシ、なんの取り柄もなくなっちゃうと言っていたのが、よくわかる
そんなストイックな生き方じゃ苦しそうって言われたこともあったけど、当時はそれが正しいと思っていた。

しばらくの間「とても努力して」何もしないトレーニングをした。
こんなこと続けていたら私はいつか私自身を忘れてしまうのではないかと恐ることもあった。だけどまた頑張って、何かうまくいくと思えなかった。
それが正しいやり方ではなかったかもしれないけど、間違っていたとも思わない。
なぜなら燃え尽きたことには理由があるからだ。
自分の考え方の癖。それを直さないかぎり私はまた同じことを繰りかえし
理想を求めて燃え尽きてしまう。
ただ生きていること、くだらないことで笑ったりドジをして失敗する、それでも楽しく生きる、たまにズルしたりなまけてみる、みたいな人生観はなかった

今は自分の中の理想は大事にしつつ、まず届く範囲から階段を1歩ずつ上がっていけばいいと思えるようになったし
ぼーっとしてる時間も、ただご飯をつくったり家事をしている時間も、いいねって思う。
それは下方修正したのではなくて、より現実的に物事を見るようになったということではないかと思う。
あと、体もとても柔らかくなった。

さて前置きが長くなったが、
仕事を辞めると決めたものの、どうするんだい
とりあえず世間はこんな状態だ。悩んだってどうにもならない。

もし何も心配することがないなら何がしたいか考えたときに、
海の綺麗な場所で暮らしたい、色んな場所を旅したい、と思った

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これは私の部屋の「神棚ゾーン」。私が好きなことを詰め込んでいる。

それでとりあえず行ける場所から行こうと。
あと野菜が大好きなので、海と野菜で考えていって、
前から気になっていた房総へ。
8/9、1度目は木更津のクルックフィールズへ。
食や宿の仕事を続けたい気持ちがまだあり車を出してくれる人も見つかり、行ってみることにした。コロナ以降、初めての県外なのも相まって、とても気持ちがよかった。

8/24、友人に誘われ、2度目の千葉、今度はさらに南の和田浦へ。
平日だったが、どうしても行った方がいい気がして、休みを取っていくことにした。
別荘を持っている人がいて、いろんな人たちが泊まりにきていた。
昼に到着し、近くのプライベートビーチへみんなと行くことに。

最初のうちはみんな水に入ったりしていたが、しばらくすると日陰に引っ込み談笑を始めた。
私は誰よりも海の前から離れず、ずっと波の近くにいて、波の音を聴きながら太陽の光を存分に浴びていた。
あなたは本当に海の人なんだね、吸い寄せられてたね〜とみんなから言われて、みんなはそうじゃないんだ、と不思議に思った。
自分でも海の近くにいる自分が、とても好きだと感じた。

夜は砂浜で焚き火をしてBBQをしながら、流れ星や天の川を見上げながら眠り、日の出を見た。
北海道で鹿を狩っている女性が持参した鹿肉も食べた。
たった一晩と半日のことだとは思えないほど長く充実した時間だったが、ほとんどお金がかかっていないことにも驚いた

お金としあわせは、必ずしも比例しないんだ。
少なくともわたしは。

そこに集まったみんなは自分のスキルで仕事をしていた。
IT系の人はまったくおらず、ハンモックを作る人、冬季は鹿を狩る人、ぬいぐるみを作る人、ライター、仕事を辞めてバンライフを始める予定の人など。
私は漠然と、自分のペースで休んだり移動したりできるっていいなあ、本当は私も休み希望なんて気にしなくていい生活がしたいなと思った。

そこにいたみんなと話していて、労働の対価とは自分たちの場合お金でないことも多いが、お金に換算すると普通よりはるかに得をしていることが多く、ただそれを得るには得意分野のスキルが必要なのと、時間がかかると。

わたしも自分に出来ることを頑張れば、なんとか生きていけるのかも??
彼らは次は別の場所で、また宿泊代も不要でバケーションを楽しむことがという。
車があるってのも移動を身軽にできる理由のひとつだな。

いままで何度も、私はチャンスを逃したと感じることがあった。
各実にワクワクする、私が望む時間や体験を仕事を理由に諦めた。
というか、本当の理由は結局、そこまでやろうとしなかった自分にある。
私はまた、同じように別の会社に雇われ、同じことを繰り返すの?

言葉にはまとまっていなかったが、
旅から帰ってきて数日過ぎてから
「働きたくない」
という言葉が心の底から出てきた

いやいや、社会人でしょ、どーすんの
「とにかく働きたくないもんは働きたくない」

それからまた数日たち
「自分で仕事をしたい」という願いにはっきりと変わった
たしかに私は今までずっとそう願ってきたし行動してきたつもりだったが、どうしたらいいかわからなかった。
だけど、これから先、どんな組織で働いている自分も想像できず、
組織に属して何かをしているのは「いまの自分にとっては」時間を無駄にしかしないという思いが繰り返し湧き上がる。

「働きたくない」のではなく「自分が理想とする組織を探しても見つからない。誰かに管理下で拘束されてお金をもらう仕事はしたくない、もっと私が集中して取り組む仕事に時間を使いたい」ということだった
食やおもてなしの仕事以外に何に取り組みたいのか、この時はわからなかった。

ところで千葉から帰ってからすっかり心身が整って、ここ数ヶ月不規則でなかなか起きれなかったのが早朝には目が覚め、身体の奥にエネルギーが満ちていると感じるようになった

遊んでばかりいないで仕事探さないとな、と思いつつ
それよりも今は自分が心から楽しく満たされる時間を過ごすことの方が大事なはずだという確信に近いものがあった

相変わらず何かしたいことは特に出てこなかった。心の中はまだとても静かだった。

そんなある日、最近知り合った人に自分のルーツの話をすることがあった。
私は子供の頃にアトリエに美術を習いに通わせてもらっていて、そこで自由にいろんな年齢の子供たちが好きなものを作っていたのが自分の空間イメージになっていること、
大人になってからシェア生活をして、毎日家にいろんな人が出入りしてた頃、よくごはんを作ってあげていた。その時に、食べた人が安らぎを感じたり元気になるのがとても嬉しかった、だからわたしはおもてなしの仕事を続けてきたの、という話をした。
普通のごはんだったのにどうしてみんな、そんなに覚えてくれていたのか。
それはきっとわたしの「愛のふりかけ」効果だったんでは。

海を感じながら生きるというのはずっとテーマだった
そうしたライフスタイルを送っている人達はどんな仕事をしているのか、とずっと購読しているサーフ系ライフスタイルマガジンをふと、改めて手に取った

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じぶんたちで、生活に必要なものをつくる、、、、。いいなあ。すこやか。

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草木染めの仕事か。素敵だな。そういえば、しばらくずっと気に入る服がなくて困ってるんだよね。こういう柔らかな模様が好きなんだよな〜。草木染めってどうやるのかなあ

と、なんとなく調べ始めたら、材料は身近にあるもの、それもキッチンで出るゴミから素晴らしい色が出せると知った。
じゃあとりあえず手に入るものから、自分の服を染めてみよう、と翌日すぐに八百屋に行き大量の玉ねぎを買いに行き染めてみたのだった。9/5のことだった。しばらく自炊もしておらず、キッチンに立ち何かを煮込んでいる私をみたシェアメイトたちは不思議そうな顔をして、なにつくってるんですかあ?と聞いてきたが、実験中、うまくいったら教える、とだけ答えた。

同じタイミングで以前買ってあったこの本も読んだ。
買った時は、なんだかしっくり来なかったが、今回改めて読んでみて、
以前ならば「わたしにはできるはずがない」で終わりにしていた
でも今回は「やりたいと願い続けてきたことなら、どうやったら出来るか調べたらいい、やってみてから悩めばいいじゃない、死ぬこたないんだし」と思えた。

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なんでそう思えたのかというと、これもきっかけがあった。
先日出会った狩猟系女子が、平日空いてたら、三浦にヨット乗りにいこうと誘ってくれた。
私は多分休みは取れない、だけど心底行きたい!と伝えると

仕事辞めるってのもありだけど、生理休暇使ったりもできるだろうし、なんなら仕事終わりに来て、朝ヨット乗って、出勤したら間に合うんじゃない?と提案してくれたのだ。

その発想なかった・・・・!!!私はただただ真面目に生きてきただけのつまらない人間なんだと思い知らされた。本当にやりたければ、どうやったら出来るのか、方法を考えるんだ、と。ヨットに乗るという願いを叶えるのはひとつの方法だけじゃないんだ。よく考えたら当たり前のことなんだが・・・

きっとこのひとはそうやって柔軟に考えられるから今があるんだな。
安易に諦めるという逃げ道を選択してきたのは私自身だったんだ。
そして、この人は私はきっとヨットに乗りたいというタイプなんだろうと思って誘ったのであろうことが嬉しかった。
この人はこういうことが好き、これが出来る人、というのが明確であれば、同じような連鎖が起きていくのではないか・・・・
この1ヶ月の出来事はそんな想いを強めさせた

で、とりあえず私は染め始めた。ほぼ毎日(笑)
仕事もしているから、その前後の時間しかないのだが、あまりにも楽し過ぎて、自分が着るものをつくりたいという想いを飛び越えて、この楽しさをたくさんの人に届けたいと願うようになって、
とにかく作ってみないと何も始まらないと、朝4時に起きて染め、帰宅して22時頃からまた下準備をして、数時間寝て、また染める・・・・
だんだん寝るのもやめるようになった(笑

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はじめて作った、ワイン染めのスカート(初めてなのに、さいしょっから練習用の布じゃなくて服を染めちゃうあたりが、わたしらしい・・・・)

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アボカドの皮の色をメインに、赤紫蘇なども合わせて染めたもの。ぜんぶ人にあげちゃいました。

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タネからも色が出るんです

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畑でもらった人参の葉と、お花屋さんでもらった捨てられる予定だった黄色と白のバラ。

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たたいて

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蒸して

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むすんで、また染めて

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染め方はなんせ独学で性格もテキトーだから、合っているのかまだよくわかっていないが、染まっていくやわならか色合い、出来上がりが思ったのと良くも悪くも違い、完成までどうなるかわからない不確実性、自分の右脳と手を動かして何かを作っていること、たったひとつしかない作品、使い続けていく間も変化すること、なんども染められることに加え、シンプルに出来上がったものが美しく、その感動はおそらく他人にも同様に感じてもらえるに違いないと確信した。

アートはもともと好きだが、本気でものづくりにはまることは今までなかった。ハマるのを避けてきたというのに近いかもしれない。

いつも自然のなかにある光や色を見つめるのが大好きで、空や海の波、いくら見ていても飽きることがなかった。絵に描いても、写真に撮っても、目の前にひろがる光景の方が圧倒的に美しいと毎回思わされるのが子供のころから嫌だったのだ。それほどに自然のうつりゆく色というものが好きだった。
そんな美しい風景を都会にいても感じられるような服が作りたい。その服を着ていれば、きっと私はまるで砂浜にいるときのように気分よく毎日が過ごせる、気分がよかったらきっといろんなことがうまくいく。
そしてもしかしたら同じような気持ちの人もいるのではないか・・・

そう思い、とりあえず最初の作品からSNSにアップし始めた。
予想より、草木染めに興味を持ってくれる人が多く、今までと違うタイプの人々もいいねをしてくれるようになった。
たしかに周りで同じような情報を発信している人はいない。

でも染めの専門の勉強したり弟子入りしないとだめかな、、、、
だけど、和の染物のお店とか違うんだよな。。。。。。

ちなみに私はエコでオーガニックな人間でも、天然素材系な丁寧な生活を好む人間でもない。
昔からアレルギー体質だから、すこし気をつけるくらい。
しいていうならば、先述したようにアロマなども含めた植物療法の勉強をしようと本気で思った時期が3年くらい前にあった。フィトテラピーと言って、植物の力で体を強くしたり、女性の美しさを引き出したり。インナービューティ、心身を健やかにするウェルネス、そんなことができないか・・・とはずっと思ってきた

服は自分のボディラインが綺麗に見える、すこしだけセクシーさのあるフォルムが好きで、海や空の色のように、はっきりした模様ではなく揺らぎがあるデザインや色合いの方が好きだ。
なんというか、天然素材系のひとびとは私からすると潤いがないというか、パサパサして頑固なように感じてしまう。
私が草木染めではなく「染め」にはまっているという方がしっくりくる

染め始めてみて、私は身近にある自然なもので、自分の表現ができて、それをまとって綺麗に見えたらすごくいいなって単純に思った。
自分がどれだけ色や、重ねる、ということが好きなのかがよくわかった。作業しているとき今まで感じたことのないような幸福で高揚した気分になるから。
昔、あんたっぽいから、と友達が「ぶどうのなみだ」という本を貸してくれたが、
なんだかその中に出てきそうなキャラクターだな、と思い出したりもした。
私って突き詰めるタイプなのは知ってたけど、職人気質だったとは思ってなかったな。
染め用の色に、役目を終えて廃棄される植物たち(花やワインづくりの際に出るぶどうの皮、キッチンのごみなど)を使えたら、さらに幸せな気分になる。

そんなわけで、寝る間も惜しんで日本の草木染めを調べつつ、デザインは海外の方が好きなはずだからと、instagramやpintrestをリサーチしていたところ、アメリカのCara Marie piazzaという染めのデザイナーが作った服を見たとき、ワオ!なんてセクシーで、エレガントで、美しい服なの!!こういうデザインずっと探してたの!と飛び上がった。
しかも、結婚式場や様々な場所から廃棄されるはずの植物で染めているのだという。
元々はエコなんてそんなに興味がないシティガールというのも好感が持てた。

まず彼女の服を買いたい・・・!!
そして作り方を習いたい・・・・!!
と、たぶん人生で1番熱い想いが溢れてきた。

とりあえずYoutubeでNatural Dyeのいろんなアーティストの手法を見て学んでみているところなんだけど、細かい部分がわからない。そんな折り、コロナの影響でCaraのワークショップがズームで開催されていると知る。なんと・・・・!!まずは勉強しながら、もっとたくさんの景色を見て、色んな風合いを染めていきたい。

妄想レベルも含め、いま思いつく限りは、今後
:誰かのために一点ものの服を染める「着る処方箋」
その人の持つ雰囲気や好みの色に加え、表面ではなく奥底に見える意志や願い、本人も気が付いていない願いを引き出すような「未来のそのひと」に繋がる色で染め、メッセージを刺繍した服をつくる。
:ワークショップで体験から喜びを産む。植物の種類によって色が染めの過程でがらっと変わることもあり、その瞬間は本当に感動する。
逆に思ったように染まらないこともある。この体験をした後、すこし世界が違って見える。自分で作ったものを使う(ものが存在する過程を知る)のも醍醐味。
:レストランや畑、お花屋さんなどから廃棄食材や廃棄されるお花から色を出して、エプロンなど制服を染める
:彩(色採り)の旅に出る
など
草木染めを通して人を笑顔に、美しくしたいというのが願い。
私の作った普通のごはんがすごく美味しかったとか癒されたという言葉をもらってうれしかった記憶から、
企画の名前は”Sprinkle the colors of love”(愛のふりかけ)

もしかしたら色の原材料をどこか地方のものにして
地方創生として助成金をいただくとか、
SDGSやエシカルがこれからのベーシックになることから企業からの協力も得られるかもしれない。
何かピンとくる情報があったらぜひ教えてくださいませ。
まだどこまでいけるかわからないけど、誕生日だからこんなタイミングでしかお願いもできないから、おめでとうの気持ちを100円にしてドネーションしてくれたら、全力でありがとうを伝えるし、染めにかかる費用にあてさせてもらいます。
もちろんやさしいまなざしで見守っていただくだけでも、うれしいよ。
こんなにながい、ながい文章を読んでくれて、ありがとう。








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