わかっちゃいるけど
Twitterでこんなつぶやきを見かけた。
音楽はあくまでも現実逃避の手段でしかなくて、
現実を解決してくれるわけではない。
痛いとこを突かれた気持ちになった。
そしてそんな気持ちになった自分にも悲しくなった。
わたしは年に10本くらいのライブやコンサートに行ったり、家にいる時も外に出かける時も、イヤホンを欠かさず付けて音楽を聴いている人間である。
趣味は何?と聞かれたら、いちばん初めに「音楽を聴くこと」が出てくる。
そんなわたし自身、音楽というものに強く惹かれたのは中学生の頃。
クラスや学校で振る舞っている自分が、ありのままの自分とは反対にいる自分で、そうでないと友達や先生、周りにいる人たちがみんな離れてしまうのだと思い込んでいた時期。
ラジオから流れてくる音楽に心がふわっと持っていかれた経験から今のわたしが形成され始めたといっても過言ではない。
つまりわたし自身も、現実の生活で立ちはだかっていた大きな壁を音楽に助けてもらった、心を軽くしてもらった経験があるということ。
実際、現在進行形でも目の前にある山積みの「普通」と「当たり前」に目を背けながら、自分の好きな音楽を聴いて毎日過ごしている。
毎日、毎時間、毎分、毎秒を生きていくにはそうでもしないと周りの雑踏に押しつぶされそうな気がするから。
イヤホンを外して聞こえてくる生活音ももちろん大好きだけれど、周りの会話を小耳に挟むのも楽しいけれど、
すぐに他人と比べて、落ち込み、否定的になるわたしにはイヤホンという自分のテリトリーを囲ってくれるものがないと、他人が言う「普通」からこぼれ落ちてしまうのだから。
「普通」なんてクソ喰らえと思いつつも、余計なプライドが邪魔して「普通」にしがみついているわたしが、誰の邪魔もされずに、否定されずにいられるのは音楽のおかげなんだから。
現実逃避なんて字面が音楽に向けられても、それは事実だけれど、逃避がマイナスの意味ばかり持たれるのは悲しいから。
現実と向き合うのは、今の社会と向き合うのはとても、とても、エネルギーのいることだと思うから。
卑屈なわたしに音楽を届けてくれるアーティストも、すぐに聞きたい曲が見つけられて、聴ける今の文明にも、感謝しかないのだ。
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