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ニートにも才能がいるらしい

映画の感想noteでも始めようかとアカウントを作ってみましたが、とりあえず自己紹介しといた方がいいかなと思ったので自分のことを書いてみます。

23歳女性、実家暮らし、無職。

無職と文字を打つとき未だに情けない気持ちにはなるけれど、どうにかしなきゃという焦りは正直あんまり無い。小さい頃から勉強はそこそこ好きな方で、小中高とずっと中の上くらいの成績を収めながら地元の大学に進学した。周りが一斉にエントリーとやらを始めた時期に慌てて就活を始め、そこそこの企業から内定を貰い、実際働いてみて即「あ、自分、労働ムリっぽいです」となった。何となく周りに合わせておおよそ「普通」「一般的」と言えるだろう人生を歩んできたけれど、社会に引き摺り出され歯車に組み込まれたことでいよいよ誤魔化しが効かなくなったのだと思う。私は社会不適合者なのだと、まあ薄々感じてはいたけど、実際社会に出てみてほんの数週間で確信した。会社員時代(時代というほどの期間では全くない)のことはあんまり思い出したくもないが、自分の中に閉じ込めた記憶は時が経つにつれて美化なり劣化なり勝手にしてしまうので、まだ記憶が鮮明なうちに書き残しておこうと思う。

まず前述したように、私は同級生が就活を本格的にスタートさせた3年生の3月1日の時点でようやくヨッコイショと腰を上げた。普通はその日までに自己分析やら企業研究やらを済ませ、何ならインターンシップにも参加して経験なりコネなりを築いていくのだろうけど、私は3月1日まで本当にひたすら寝っ転がって堕落した生活を送っていた。コロナ禍に突入して授業がほとんどオンラインになってからというもの、塾講師のバイトが無い日は1日中パジャマのまま、チョロチョロっと授業の資料や動画を確認して30分もかからない課題を終わらせ、あとはソシャゲか映画か読書という毎日。めちゃくちゃ楽しかった。楽しかったというか、ここから課題に費やす時間を引き算した状態が今の生活なので、現在進行形でめちゃくちゃ楽しい。

まあ今の話は置いておいて、とにかく就活というものを舐め切っていたのですが、何故そんなに舐め切っていたのかというと自分に自信があったからだ。頭がめちゃくちゃ良いわけではないけど、要領の良さと愛嬌には自信があった。特にやりたい仕事があるわけでもないので(まあそもそも仕事自体やりたくはない)、そこそこの会社でそこそこの給料が貰えればそれで良かった。だから企業研究なんてしなくても名の知れた大手を適当に何社か受けて面接でヘラヘラニコニコすればいいやと思っており、実際にそれで内定を貰った。何ヶ月もかけて準備し、何通もお祈りメールを貰って泣きながら就活をしたような人からすれば私みたいな奴は夜道で刺されてしまえという感じだと思う。私の就活への舐め腐った態度を心配してくれていた友達にも、内定報告をしたら「はあ!?」と言われた。私も私みたいな奴が身近にいたら「はあ!?」って言うと思う。でも本当にそういう、全然一生懸命やってないくせに土壇場でそこそこの結果を出せてしまう人間が私という女だった。

というわけで、名前を知らない人はいないだろう大手保険会社に事務職として入社した私は、働き始めて1ヶ月であり得ないほど体調を崩した。
大学でぬるま湯のような4年間を過ごした私は高校生ぶりに「月曜が来るのが怖い」という感覚を取り戻し、早朝の満員電車に乗る絶望を思い出し、職場に10時間も拘束される恐怖を知った。会社がブラックだったのか、と聞かれると、わからない。私の思うブラック企業というのは、例えば終電まで残業が続いたり、パワハラ上司に腹の底から怒鳴られたり、休日も返上して有給も取らせてもらえなかったりとか、そういうイメージだった。そういうことがあったかと言うと、全然なかった。朝9時前に出社してそこから10時間も帰れない(新卒だから19時には帰してもらえるけど先輩たちはもっと遅くまで残っているようだった)のは泣くほど辛かったけど、終電まで帰れないとかではないしな……と思った。営業所長はパワハラ気味の威圧的で横柄なオッサンだったけれど、度を超えた暴言や暴力があるわけではないしな……と思った。福利厚生に関しては、日本でもトップレベルに良かったのではないかと思う。どうやら「入社して半年経つまで有給は取れない」という会社が結構あるらしいけれど、そういう同級生たちを横目に私はGWのど真ん中に2日の休みを貰い、脅威の10連休を勝ち取った。嬉しかった。しかし今思えばこの10連休が良くなかったのかもしれない。ほぼ毎日、出勤中も退勤中も子供みたいにシクシク泣いていた4月を何とか乗り越え、いきなり10日も休んでしまったことで完全に心が折れた。もう行けないと思った。GW明けの5月9日、会社に行くのが本当に嫌で嫌で嫌で死にたかった。ドアノブで首を吊ろうと思ったし、家のベランダから飛び降りようとも思ったけど、週末に劇団四季のチケット取っちゃってるな……と思ってギリギリ耐えた。中学生の頃からバリバリの希死念慮を抱いていた私は、こういう時のために月1回は何かしら楽しみなイベントを設けることにしていた。来月は◯◯があるから頑張ろう、それが終わっても死にたかったらその時死のう、そうやって誤魔化し誤魔化し今日まで生きてきたのだった。

そうして何とか出社したものの、やはり苦痛は緩和されなかった。まず仕事が難しすぎる。これまでの人生で「難しくて出来ない」という経験をほとんどしてこなかったので、自分はこんなに頭が悪かったのかと私は結構ショックを受けていた。長年働いている人からすれば「新卒で仕事がわからないのは当然だろう」と思うかもしれないが、なんか、そういう次元じゃなかったように思う。本当にわからなかった。Excelとかは一切使わなくて(せっかくExcelの資格取ったのに)、会社が作った独自のシステムを使う事務作業が本当に難しい。専用のコードを大量に覚えさせられ、専門用語しか出てこない謎のページと睨めっこさせられ急に「あと任せるね」とか言われたりする。最終面接を担当してくれた偉いオジサンに逆質問のコーナーで「4月までに準備しておくべきことはありますか?」って聞いたら「学生のうちはいっぱい遊んでおきなさい^^」と言ってきたくせに、あれは嘘だったのかと呆然とした。私はその言葉を鵜呑みにして呑気に遊び呆けていたけれど、もしかしてあの期間に専門書とか買って勉強しなきゃいけなかったの?じゃあそれ言っといてくんね?と思った。
極め付けは電話だった。内線も外線も鳴り止まない。働き出して3日目に内線を取るよう言われ、まあ取り継ぐだけなら何とか出来たものの(職場に100人弱いるので3日で名前を覚え切れるはずもなく、知らない人から掛かってきた電話を知らない人に取り継ぐのは結構難しいことではあった)、7日目に外線も取るよう言われた。取引先ならまだしも、客から掛かってくる電話が本当に怖い。生命保険なので、旦那を亡くして意気消沈したおばさんとかから電話が掛かってくる。「ご愁傷様です」という今まで真剣に口にしたことのない言葉を捻り出し、何とか必要な項目を聞き出すべく会話を続ける。向こうは旦那を亡くすなんて初めてのことだろうし、こっちも未亡人から電話が掛かってくるなんて初めてだ。向こうは専門家に相談するような気持ちで話しているのだろうが、電話を受けているのは何の知識もないのに何故か親機の前に座らされている22歳の下っ端事務員だった。正直に「まだお客様の電話を取るのは怖いです」と言えば良かったのかもしれないけど、多分「慣れてね」と言われて終わりだったと思うし、そんなことは言ってられないくらい電話が鳴っていた。私を含めて事務員4人では対応し切れないくらい鳴る。後から聞いた話だけど、エリア内で1番忙しい営業所に配属されてしまっていたらしい。とにかく、何もわからないのに即戦力扱いされるストレスは相当なものだった。先輩たちも私があたふたしているのはわかっていたはずだけど、助けられる余裕はないし、とりあえず実践で慣れてくれという感じだった。私は変に生真面目なところがあるので、傷心のお客様を新卒の電話対応の実験台にするという思考に結構ビビった。電話が鳴るだけで肺の奥がチリチリ痛くなり、早く17時になってくれ、早く留守電のボタンを押させてくれと祈るような毎日だった。今でも家の電話が鳴ると少しだけ怖い。

あと、同期が居ないことも結構辛かった。居ないというか、私の職種は各都道府県に1〜2人しか採用されないので、居るには居るけど身近には居なかった。入社前の研修で東京に集まったとき、近隣の府県の子たちと仲良くなってはいたけれど、やっぱり同じ職場に同期がいて一緒に愚痴を言いながら帰ったり情報共有したり出来ないのは孤独だったなと思う。他の会社に就職した友達から「仕事終わりに同期とご飯行って〜」とか言われる度、羨ましいなあと感じていた。

そんなわけで10連休を挟んで仕事はもっともっと苦痛になり、私は目に見えて憔悴していった。そもそも生きていたくないのに頑張って働いているという状況の意味がわからず、死にたい気持ちが強まりすぎて食事が出来なくなった。食べるって生きることと直結するので、死にたいのにご飯食べるのはおかしくね?と思ったら、何も食べたくなくなってしまったのだ。咀嚼がダルく、かと言って本当に何も食べないと親が泣くので、ゼリーとかアイスとかフルーツとかをチョロっと食べて食い繋いでいた。職場でウィダーを飲んでいると、通り掛かった営業のおばちゃんが「まさかそれがお昼!?倒れるよ!」とクッキーとかお菓子をたくさんくれた。トイレで号泣した。たいして人と関わらないまま辞めてしまったけど、優しい人が多かったように思う。職場ガチャなんて言葉もあるけど、狂った忙しさを一旦横に置いておいて、職場の人間だけを見ればそこそこ当たりだったのかもしれない。私は一目見ただけでヤバい奴かどうか判定できる特技を持っているのですが、ハッキリとヤバい奴は3人だけだった。実際に話してみると実は……というタイプの人が潜んでいたかもしれないけれど、100人近くいて明らかな異常者が3という数字はかなり引きが良かったのでは、と思う。

5月中旬頃には、私はすっかり会社のトイレとお友達になっていた。会社のトイレというのは、逃げ場であって逃げ場ではない。とにかく自分の椅子に座っているのが辛かった私は、頻尿と思われてもサボりと思われても何でもいいと思って1時間に1回トイレに通った。最初は心休める場所だったトイレも、しばらくして慣れてくると"ここも結局は職場の一部やんけ"という事実に行き着いてしまう。職場から逃げた気になっても、結局は逃げ切れていないのだ。5分もすれば自分の席に戻らなければならない。もう5月に入ってからは「自分の席」が職場にあることもキモかった。フィクションでよくある陰湿ないじめみたいに、私の席がある日突然ぽっかり無くなっていればいいのにと思っていた。そうしたら私は「席無いんで帰ります!」と大声を出し、スキップで職場を後にする。そういうくだらない妄想をするほど参っていた。
私の職場はビルの15階にあり、トイレの手洗い場には巨大な窓があった。窓というか、壁がガラス張りみたいな感じだった。トイレがガラス張りなの意味わからんだろと思いつつ、私はこの窓が結構好きだった。そこそこ都会に建つビルの15階から見下ろすと、街はミニチュアのおもちゃみたいに見える。目を凝らさないと見えないくらい小さな人や車が蠢いていて、人間ってちっぽけな存在だなあとフワフワした気持ちになった。このガラスを突き破ったらという妄想も勿論した。高所から飛び降りると途中で気を失うという噂を聞くけど、そんなのわからないだろと思う。ビルの15階から落ちて助かった人は多分いないので、ここから落ちて気絶するかどうかは自分が落ちてみなきゃわからない。自殺に失敗した人の体験談とか、このやり方は◯◯だから△△した方がいいよ〜みたいなこと言う人って、結局あんたは失敗してるじゃんと思ってしまう。本当のところは死んでみなきゃわからない。

何だか私の希死念慮打ち明けnoteみたいになってきたので会社の話はこの辺にしておきます。とにかく私はもうこれ以上は1日たりとも働けないと思い、5月下旬に仕事を休んでメンクリに行った。木村文乃似の先生に適応障害の診断書を貰って1ヶ月休職することになり、その1ヶ月後に延長を言い渡され、結局2ヶ月休んだ末に退職した。現代っ子なのでLINEで上司にもう辞めますと言った。結局私がちゃんと働いたのは20日間くらいだった。

入社してから正式に退職願を出すまでの約3ヶ月間、鬱になったり自殺を失敗したりトップガン・マーヴェリックに狂ったりカードを不正利用されたり安倍晋三が殺されたりと、色々なことがあった。鬱になったというのはちょっと語弊がある。たぶん私は中学生くらいからずっと軽度の鬱で、それが社会に出たことで耐え切れなくなって露呈したのだと思う。
とにかく7月に晴れて無職となり、その頃にはご飯も普通に食べられるし夜も眠れるようになっていた。メンクリで貰った薬は全然効かないので3回目で行くのを辞めたけど、木村文乃似の先生のことは好きだった。メンクリの待合室って基本的には精神が終わっている人が集まってるので、人間観察するのも結構楽しかった。もう座ってるのもしんどいのかソファでぐでたまみたいに溶けてる黒ずくめのお姉さんとか、会社を抜け出してきたっぽいスーツのおじさんとか、お母さんに付き添われている中学生くらいの男の子とかがいた。日本人って本当に、老若男女が病んでるんだなあと思った。あとプライバシーの保護的なあれで、診察室に呼び出される時は8桁くらいの診察番号で呼ばれるんですが、精神が終わっている人たちがそんな番号を聞き取れるはずもなく結局受付のお姉さんに本名でアナウンスされていて面白かった。面白がっていた私もきっちり番号を聞き逃して本名で呼ばれた。

というわけで私は今ニート歴7ヶ月くらいで、親に出されるご飯を食べ、親に洗われた服を着て生活している。ニートをするにも才能がいるらしいけど、どうやら私にはニートの才能があったらしい。焦燥感とか罪悪感とか、暇だしバイトでもしようかな〜みたいな意欲とか、本当に一切ない。食べて寝て好きなことをするだけの毎日が楽しく、あるべき形に落ち着いたという満足感すらある。流石に貯金がなくなったら働くかな……とは思っているけど、物欲が消滅してしまったのでお金を使うことが全然なくて、まだ貯金が尽きた時のことは考えていない。親は私が首を吊ろうとしてからというものおっかなびっくりで、私を刺激するのが怖いらしく特に働けとかああしろこうしろみたいなことは言ってこない。申し訳なく思う気持ちもありつつ、でもあんたらがエゴで産んだ命なんだから責任取りなよという中学生みたいな思考回路で生きているので、正直そんなに罪悪感っぽいものも感じていない。甘えられるものには全力で甘えてやろうという精神で毎日を過ごしている。

それでもやっぱり、友達がボーナスの使い道を話している時や、小学生の従姉妹から「何のお仕事してるの?」と聞かれた時なんかは惨めな気持ちにはなる。開き直っているつもりでいても、社会の歯車からはみ出した不安や後ろめたさというのは、どうしたって付き纏ってくる。これはもう仕方のないことだと思う。そのネガティブな気持ちに耐え切れなくなった時、人はようやくニートから脱出するのだろう。たぶん。私は今のところまだまだ働く気にはならない。というか正社員には二度とならないと思う。派遣か、バイトか、自分で何か生み出すか、わからないけどそのどれかを頑張るか、死ぬか。まあ結局みんなそのうち死ぬんだから、焦ってゴールに突き進むこともないかな、と思えるくらいには回復している。この世には愛すべき娯楽がたくさんあるし。と言ってる翌日に猛烈に死にたくなったりするので精神疾患は厄介だけど、泣いても笑ってもこれが自分だから、ゆっくり付き合っていくしかないよなあと思う。

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