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【フランスで出産 3日目】大量出血で出産|無痛分娩

 誘発剤を使いようやく来た陣痛。麻酔が入りあとは全開になるのを待つのみ。



前回の記事はこちら↓


<パートナーが来た>

陣痛がなかなかこないため、パートナーには家に帰ってもらったが、出産の準備ができたためきてもらった。一時間に1センチ進んでいきお昼過ぎに陣痛の痛みが出てきた。麻酔なしだったら物凄い痛みなんだろうな、、想像もできない恐ろしさに襲われる。

 陣痛の感覚がないと力むタイミングが分からないかなと思い痛みに耐えていると、助産婦さんに(痛みに合わせて)麻酔を増やしていってね。と言われたので、ボタンで麻酔を増やしていく。

 全開までリラックスして過ごすことが出来た。

 リスクはあるけど無痛でよかったと思っている。



<出産体勢に入らないベベちゃん>
助産婦さんやドクターがかわるがわるきてチェックが入る。どうやら私のベベちゃんは出産の体勢にはいっていないようだ。バランスボールに寄っ掛かたりして色んな姿勢で誘導していく。

 <全開になりいよいよ出産>
お昼過ぎ全開になり、ドクターの協力のもとベベちゃんの体勢を整え、いよいよ息むよう指示がでた。個人的に長く吐きながらリラックスして力みたかったのだが、助産婦さんからの指示は息を吸って、止めた状態でいきんで、とのこと。

陣痛に合わせて力む。会陰切開を免れたくて少し弱めに力み様子を見てると(どんだけ甘えてるんだよ私)ドクターから赤ちゃんが疲れてきてるといわれ、なりふり構わず力む、力み終わった時にスポーンと赤ちゃんが出てきた。え、そのタイミングで?と拍子抜けだったが、そのまま胸に乗せられた。

予想以上に大きい赤ちゃんで、髪の毛も顔もハッキリしていた。もっとおさるさんみたいな感じかと思ったが、、

自然分娩に比べて無痛分娩は体力と気力の削られ方が断然少ないから、感動も少ないかなと思ったが、この10ヶ月の事を考えるとやっぱり泣いてしまった。

正直ここまでは良かった。

<無事に出産!でも、、、>

 この後赤ちゃんを眺めている時、私の股の処理をドクターがしてくれていて(怖くて聞けなかったが)恐らく会陰の処置をしているようだった。すぐに助産婦さんの数が増えていき、こんなもんなのかな?と気楽に分娩台で待つことにした。その間にパートナーは赤ちゃんとSkin to Skin(裸でだっこするやつ)をしていた。 

 しばらくたって処置がおわり、体にエアベットのようなものを被せられ待つようにいわれた。しばらくすると胸の鼓動が激しくなり、呼吸が半分しかできなくなってきた。怖いな、、と思っていると色んな感情(怖い、感動、嬉しい、責任?)が大波のように押し寄せてきてパニックになってしまった。

それは20代の頃に1度なった過呼吸だったのだが、パートナーを含むまわりの助産婦さんやドクターは私をなだめるのに必死で、処置をしてくれなかった。前回過呼吸になったときは紙袋を口にあてて呼吸をすると収まったので、過呼吸だからなにか袋がほしいと、色んな感情でグシャグシャになりながら説明しているのだが、過呼吸という言葉(英語、フランス語)がわからず悪戦苦闘する。泣きながらパートナーに通訳してもらい、袋をもってきてもらった。今思うとみんな過呼吸の処置をしらないのかな?とすごく不思議なのだが、袋のお陰でだいぶ落ち着くことができた。

でも胸の鼓動はとても強く、少しでも気を抜くとまたパニックから過呼吸になりそうだったので、すぐに母乳をあげられない自分を責めずに、自分はよくやった!と奮い立たせるのにとても苦労した。

これははっきりはわからないが、おそらく麻酔によるものかなと、今になって思う。

 数時間かけて体を落ち着かせていたら、出産の時の説明をしたいとドクターがきた。話を聞くと通常の出血よりかなり多く出血したそうで、会陰切開は行われず自然に避けてしまったそうだ。なぜ予め切ってくれなかったのだー!と心のなかで思ってしまった。。


 <出血多量で意識が飛ぶ>
 とにかくある程度休んだら、産後の部屋に移動するためドクターのサポートの元、ベットから起き上がった。

 血が足りないせいか、ものすごく気分が悪い。頭がグラングランする。

あ、やばい気持ち悪くなる、、、と思いそのまま意識がとんだ。

 くらいトンネルから出るように、小さい光が大きくなり目が覚めた。

どうやら数秒ほど気絶したらしい。タイムスリップしたかのように何時間も何日も気絶していた感覚だった。涙目のパートナーと、ドクター、助産師さんに顔を除かれながら、体のチェックがはいった。

 ドクターからしたら大量出血からの気絶は当たり前のようだったが、健康体の私からしたら人生初の気絶なので(しかも呼吸がうまくできない中でw)『私、一体どうなるの?死んじゃうの?』と子供のように泣きじゃくった。

たくさんの助産婦さんや、ドクターに優しい声をかけられた。パートナーは産まれたての赤ちゃんの世話と私の世話で精神的にギリギリなようだった。

結局歩いて移動ができないため、ベットに乗ったまま部屋まで移動することとなった。

翌日へ続く

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