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<5月>過去の積み重ねに気づいてモチベーションを取り戻した話

先月「スランプまっただなか」と書きましたが、それを脱出した話です。


モチベーションを取り戻した

相変わらず先月に引き続き研究のモチベーションを取り戻せずにいたんだけれど、ほんのつい昨日少し「研究もう一度頑張ろう!」と思えた出来事があった(昨日の今日すぎて、まだモチベーションを本当に取り戻したかはわからないんだけど)。昨日までは本当に研究のやる気がでなくて、博士課程をもう卒業できないかもとまで思っていたし、研究の進まない自分に対して自尊心さえも失っていたぐらいだった。

それで昨日何があったのかというと、教授(以下先生)と研究室の後輩と一緒に夜ご飯を食べに行って話が盛り上がる中で、先生が大学時代から修士時代の私の話を後輩にした。私は過去のことをすぐ忘れてしまう傾向が強いので、いろいろ忘れていたことも多く、先生から話される内容を自分の話というよりもどこか客観的な話として聞いていた。
先生によれば、今の研究室に入った大学3年の時の私は非常にやる気がなかった笑。確かに言われればそうだったようにも思う笑。だけど、学校の研究展示会のようなイベントの時に私の作品を来場者の人たちがとても面白がってくれて、それで良い気になった私は大3の冬くらいに先生に学会で発表してみたいと相談する。それでも研究室に対する意欲はなかったようで、大3の終わりに先生にやっぱり研究室をやめたいと相談するが、止められた。大きな転換点としては、大4になる時には学会発表の準備をきっかけに研究の面白さに少しずつ気づきはじめ院進することを決意した。その後、大4の時にコンテストでデザイン賞、卒業時にはキャンパス内の優秀学生賞をもらった。そこから修士課程ではかなり研究をがんばって、学会のデザイン賞を取り、査読論文を通し、その論文も賞をもらった。

過去の積み重ねに気づく

上記は大きな出来事を掻い摘んで書いただけだが、確実に過去には努力を続けていたし、賞やチャンスをもらうたびに確実に努力をしていた自分がいた。そして今の自分からみても、大学〜修士時代のわたしはとんとん拍子だったなと思う。努力すればするだけ評価ももらい、研究も進み、とても楽しく満足もしていた。
たぶん、この当時と比較すると、今の私の実績は悪くはないが、ここまでのとんとん拍子ではない。でもそれは運が悪くなったとかそういうことではなく、単純に昔よりも努力していなからだと思う。自分でも感じているが、今の私はすごくダラダラしていて自分でも気持ちのいい生活ではない。そんな生活だからもちろんコツコツ作業して、積み重ねをすることができていない。
(ちょっと余談だが、)人によっては反対意見を持つ人もいると思うが、私はあまり努力至上主義ではない。その人の幸せが必ずしも「努力すること」とイコールかは分からないし、人それぞれでいいと思ってる。しかも努力は結果に結びつく努力であればいいのだけど、「頑張っている自分」に心酔しているだけのように見える努力もあると思っているので、私的には努力することだけが100%良いこととは思っていない。だから自分の作業の様子を表現する言葉として「努力」はあまりしっくりこない。だけど、作業の「積み重ね」は重要だと思っている。実践や研究など、淡々と取り組みを積み重ねることは大事だ。特に研究では積み重ねによる発見も多いし、小さな積み重ねでしか到達できない域があると思う。

今は過去の積み重ねの上にあった

それでいうと、ここ最近は積み重ねができないでいた。それから昨晩の発見として大きかったのは、先生が大学時代からこれまでの経歴を振り返ってくれたことで、今現在の自分があるのも過去の自分が積み重ねてきたからであって、ちゃんと一段一段ステップアップしてきていたことに気付かされた。
昨日までの自分は博士課程での自分しか見えておらず、修士の時のようにチャンスが新しく回ってこないし、賞を取ることもなく、今の自分は不憫だと感じてしまっていた。修士までの自分と、博士課程での自分を断絶したもののように感じ、今の自分を過去の自分と比較してしまっていた。だけどそれが間違っていた。修士までの自分の積み重ねがあったから博士課程での自分に到達できていることに気付かされた。
たしかに修士課程の時のように、今はとんとん拍子ではいかなくなった。(今から見るととんとん拍子だったように見えるだけで、当時はもがきながらやっていたんだと思う。)だけど、そもそも修士課程の時から研究を頑張って、査読論文を通したりしたから博士課程に進学しようと思えたわけだし、昨年には南アフリカでの国際学会まで辿り着けた。(そういえば飛行機から南アフリカに降り立った時に、研究の積み重ねがここアフリカまで私を連れてきてくれたと思ったのを思い出した。)国際学会での発表は確かに名誉な賞の受賞などではないが、私にとって確実に積み重ねがなければ辿り着けなかった域であることは間違いない。過去の自分は今の自分の比較対象ではなく、むしろ地続きなものとして今の自分を支えていることに気付かされた。「今からでもまた積み重ねていけば、また新しい境地を見られるかもしれない」と、過去の自分に励まされたような気持ちになったのは初めてだった。

終わりに

今回のスランプを通して学んだことの一つなのだが、わたしはここまでどん底にやる気が落ちても締切は守る人間だった笑。だから締め切りや誰かとの約束を無理矢理にでも作っておけば、いやでも最低限そこまでは進められるということもわかった。それでいうと、5月の私は研究について最低限のやる気で過ごしてしまったものの、5月中には絶対論文を提出する!!!と前々からデッドラインとして決めていたので、海外の学術誌に査読論文を提出するところまでは漕ぎ着けた。昨年の11月くらいから書いていたので、論文を提出するペースとしてはめちゃくちゃ遅かったと思うけど、ようやく提出するまでに至れたのでホッとしている。リジェクトされなければいくらでも修正するから通してくれ!!と現在めちゃくちゃ祈っている。
さてここまでモチベーションが戻ったと言ってはいるものの、今日から、あるいは明日から本当に研究や作業をはじめられるかどうかは分からない(その結果は来月のnoteを書く頃にはわかるでしょう笑)。だけど、こうやって文章として過去を振り返って書くことが、さらにモチベーションを上げてくれるようにも思う。

余談

私は中高でテニス部だったのですが、中3のときにもスランプを経験しました。その時は部活だったので、スランプだから一旦テニスから離れるという選択ができず、ひたすらテニスをし続けることで気づいたらスランプから脱出してました。まあ研究はスポーツのように明確なスランプって言えないかもしれないけど、やっぱりやり続けることでしかスランプ脱出できないのはテニスも研究も一緒だね。
あと夫が、(先月くらいに)やる気が出ない時はでんぱ組.incの「きっと、きっとね。」を聞くといいよと教えてくれたんだけど、その時の私はまだまだスランプまっただなかすぎてあんまり響かなかった。だけど、今この記事を書いたあとの私はこの曲の歌詞が死ぬほど響いている笑。
ありがとう、夫👍

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