2023年、正月(後編)

前回のあらすじはコチラ https://note.com/momo_anne_s/n/nd92d26d99145

「市外の者ですがそちらの透析クリニックを一時利用したいんです。たった2週間程なんですが。」
…そんな申し出を受け入れてくれる透析クリニックがあるとは全く思っていなかった。
平時ではなく年初、それもコロナ第8波が多大なる影響を及ぼしている状況だ。だから
「通いではなく転院という形を取らせて頂けますよ?お急ぎですよね?週明けにでも受け入れ出来ますよ。」
という好意的なお返事が頂けるなんて思ってもなかった。
それも、たったの2件目で。

トントン拍子に話がまとまった後、義母から『転院を断りたい』という主旨の電話を受けた。
コロナになっても良いから帰りたいとまで言う。
「主治医の先生がね、うちでは絶対あと2回しか透析できないし、転院したら今まで透析してくれてたクリニックは二度と受け入れしてくれない、って言うのよ。そんなことになったらおかあさんはどうなると思う?死んじゃうのよ?お願い、転院なんてさせないで」

主治医が本当にそんな言い方をしたのだろうか?
それは分からない。
『節度を守って少量なら生果物を食べて良い』という栄養士の説明を聞いて
「果物食べて良いって言われた」と解釈してバナナを1本食べたりするような義母だから。
しかし『転院したら今までのクリニックで透析はできない』という内容が含まれていたのは事実なのだろう。
私達患者家族は、確かに、非常識で無茶な要求をし病院に迷惑をかけた。
だからと言ってこんな、義母を脅すようなやり方をして良い、ということになるだろうか?

なんとしてでも義母を転院させると決意した私はいつもの透析クリニックと転院先、両方に電話を入れた。
そして、双方に転院→退院後の再受け入れが可能であることの確認を取った。
最大の不安が解消された義母は転院を了承した。
その後病院同士がどんな話し合いをしたのか私には分からないが、転院はこの電話の翌日となった。
自宅療養中の夫と同居家族の私はその対応ができないので、全てを義姉(長女)夫婦に委ねた。
義姉夫が正月休み中だった為、二つ返事でOKをもらえた。
義姉夫の実家から昇降シート付きの大型の車を借りて転院先まで送迎して下さるとのことだった。

こうして義母は無事に転院した。
その数日後、私はついに陽性になった。
結果、回復し元気いっぱいの息子の保育園送迎ができない為、我が家の巣ごもり生活は延長となった。

そこで私達夫婦は、息子との遊び方が全く分からないことに気付いた。

息子自身も、親との、人との密な接し方が分からない様子だった。
つみき、ぬいぐるみ、絵本。何を見せても、思うような反応が返って来ない。
触らない、投げる、破る。
『こうやって遊ぼうよ』という言葉が耳に入っている様子がない。目を合わせない。
前に遊んだ時はこんな風じゃなかった、と思った。
しかし前とは?じっくり時間をとって遊んだのはいつが最後だった?
思い出せなかった。
私達はそれ程までに義母に時間を割く生活を送っていたのだ。
息子を犠牲にして。

そして、長引く巣ごもり生活のストレスを叫んだり暴れたりすることで発散するようになった息子。
間もなく他の住人から『音が響くので走り回らせるのを止めさせてください』と直接クレームを頂く事態にまでなった。
しかし、どうすればそれを止められるのだろうか。
分からなかった。
どんな風に接すれば息子に想いが伝わるのかも、今後どうすれば良いのかも。

同居介護をする最大の条件は『義母の安全最優先』ではなく『育児との両立』で
それが出来ないのなら最初から同居などすべきではなかったのだ。
…今となってはそう思う。
私達は同居を、在宅介護を、何より育児を、あまりにも軽く考えていた。

『これではいけない』と思いながらどうすることもできない同居生活は、もう数ヶ月、続く。

【補足】身バレ必須の内容で、それを覚悟で書き綴っておりますが一部はフェイクを入れております。(詳細な日時など)

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