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【本編6】メルマガの大義名分

 何となく始めたメルマガ。もっと言うと、忙しい職場という私を取り巻く労働環境を考慮し「メルマガならできるかな」という消極的理由により始めた組織活性化活動でした。そんな弱い動機だときっと続かないだろうと思っていました。

 今だったら、MVVが必要とか、パーパスが必要とか言うんでしょうけど、何か大義名分となるものが必要でした。

 それで思い出したことがありました。それは入社4年目に赴任した東北支社での出来事。

 当時の当社では、新人は原則として東京で一括採用するようになっており、各支社の若手社員は少なくなっていました。東北支社も半分以上の社員は課長代理以上でした。そこで「支社活性化施策」という名目で、東京から私たち若手社員が全国の支社へ送り込まれることになったのです。

 東北には同期5人が3年間という条件で異動させられました。

 何事も素直に考えてしまう私は、「支社活性化」というからには何か活性化することをやらねばいかんだろうなあと思っていました。

 そこで始めたのが、新聞でした。電子メールはボチボチ始まっていましたが、インターネットもない時代でしたから、新聞といえば当然「紙」でした。

 当時のワープロソフトの主流だった「一太郎」で作成したA3サイズ1枚の新聞。漫画好きの若手社員にも声を掛け、上司たちをモデルにした四コマ漫画も掲載していました。

 自分で言うのもなんですが、四コマ漫画は上司の特徴をよく捉え、面白い内容になっていました。しかし、なにぶん上司を揶揄したような漫画だったので、大っぴらには配布せず、若手社員を中心にこっそりと配布していました。

 そのお陰で社員同士の輪も広がり、一緒にサクランボ狩りに行ったり、芋煮会をしたり、もちろん他社との合コンも、恋もと、新聞のお陰で楽しい仙台ライフを送ることができました。

 私が赴任して一年が経ち、直属の課長が東京に異動することになりました。秋田出身の課長は入社以来30年もの間、東北でしか勤務経験がなく、これが初めての東京生活でした。

 送別会の宴席で、課長は一人ひとり挨拶をして回っていました。私のところに来たとき、思い詰めたように私の手を両手で強く握り締めたのです。

「MoMo SEさん、オレはね、あの新聞を見た時、涙が出るほどうれしかったよ。東京から仙台に、職場のことを考えてこんなことをしてくれる人が来てくれたってね。本当にありがとう!」


 そう言って、涙ぐみながら何回も何回も握手をしてくださったのです。

 課長には直接その新聞は渡してはいませんでしたが、実は見ていてくださったんだと、私も目頭が熱くなりました。

 たった1枚の新聞でも職場を活気づける力がある、私はその時、そう思ったのです。

 それで、これから発行するメルマガの目的を「社員を元気にすること!」と明確に定義づけたのです。それは、私自身をも元気にしてくれる、そんな予感に溢れていました。

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