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「らしさ」の時代なんて言われますが、

自分の「らしさ」って何だろう、、、と思いますよね。

ましてや、それを発信しようと言われても
一体何をどう発信すればいいのか

わからない方も多いと思います。

『ファンが増える! 文章術---「らしさ」を発信して人生を動かす』
によると、

「自分らしさ」とは

「自分の特徴がよく出ていることを表す」

とあり、「自分の特徴」とは

①好きである

②得意である

③喜びを感じる

この3つが「らしさ3要素」と書かれています。

そう考えると、私は「何かを紹介する文章を書くこと」が
好きだし、得意だし、喜びを感じます。

私が紹介したものを誰かが使ってみて
「すごくよかった!ありがとう」

と言ってくれると、紹介してよかった!と思います。

そう考えると、若い時にやっていた「営業職」は
私らしい仕事だったのだなあと思います。

他にも、「教える」ことも、私「らしさ」と
言えるかもしれません。

学生時代、家庭教師をしていて、わからないことを
わかるように説明することが、好きで、得意で
喜びを感じることだったから。

そして、今も起業塾で「教える」仕事をしている
ところをみると、私は「私らしく」働いている
のだなと感じます。

そこに無理がないので、ストレスなく

毎日楽しく仕事ができているのだなあと思うわけです。

ある時、夫(さきほどの本の著者の山口拓朗)が
「朋ちゃんって、あっという間に初対面の人と仲良くなるよね。
相手の懐に飛び込むのが本当に上手いよ」

と言いました。

私にとっては、ごくナチュラルにやっていたことを
改めて言われて、とても驚いたのを覚えています。

でも、これも私の「らしさ」に間違いありません。

「らしさ」は案外、自分よりも他人から見た方が
よく見える
場合もあるのかもしれません。

自分が魚でスイスイ泳げていたら
泳げることは当たり前だと思います。

でも、かもめから見たら
「魚は泳げていいな」だし、

魚から見たら、
「鳥は空を飛べていいな」なんですよね。

自分の当たり前に自分で気づくって難しいですからね。

昔読んだ本に「かもめのジョナサン」
という本がありました。

かもめは空を飛ぶのが当たり前で

そこに疑問を感じるカモメはいないと思いますが、

ジョナサンは変わっていました。

群れを離れ、アイデンティティを求めて旅に出る
ジョナサンは、誰よりも早く、高く飛ぶことを決意
するのです。

ジョナサンは、自分の「らしさ」を追求したのですね。

北京オリンピックでの羽生結弦選手の挑戦は、

なんとなくかもめのジョナサンを彷彿とさせます。

彼は、人とではなく、自分の限界と
戦っていたのかなと思ってしまうのです。

人も、自分が本当に好きなこと、やりたいことが
わかって、それをすることができたら幸せだと思いませんか?

でも私たちは、小さい頃に、親や先生に

「人と同じようにするように」言われたり、

「人と違うことをはずかしいこと」だと思わされたり、
自分で、「みんなと同じだと安心」と思ったりして

いつの間にか「自分らしさ」をどこかに
置いてきてしまったような気がします。

「らしさ」を発揮するためのセンサーが
曇っているような感じ。

その曇りを取り除くために、

私は今年から「起業の専門家」という枠を

自分から外して、マルチカラーな発信に切り替えました。

「起業の専門家」でいる私は、

「ブログとは〜」「集客とは〜」「SNSとは〜」
と主語を他者にして、その説明をしていれば

よかったので、ある意味、楽でした。

肩書きを外した私は、自分が何者であるかを

自分で語らなくてはいけません。

「私は、〜〜〜と思います」

「私は、〜〜〜が好きです」

主語が「自分」になるのです。

水族館から飛び出して、大海に出た魚の気分です。

水族館では、プレートがつけられていて
何者なのか他者が決めてくれていました。

たとえば「ルリスズメダイ」とか。

でも、大海の中では自分で自分は何者なのかを

表明しなくてはいけません。

「私は、日本から来ました」

「私は、娘がいる母親です」

「私は、ミュージカルやホテルステイが好きです」

「私は、起業という働き方をしています」

「私は、好奇心旺盛でせっかちです」

「私は、、、」

それら全ての素材から、私ができていて、
それらが私の「らしさ」なのです。

私はnoteでも、これから

いろいろな発信をしようと考えていますが、

それらは、自分の輪郭を自分で見つける

作業でもあると考えています。

自分がどんな価値観を持っていて

何に幸せを感じるのか

それを書きながら見つけていこうと思っています。

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