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2040年の世界 みんなと同じことが正しいこと

VRゲームで楽しそうに遊んでいる年少組4人を温かく見守りながら、アラタ博士とコトリちゃんは美味しいドーナツについての話をし、ナオはコウヨウ氏と機械の話をして盛り上がっていた。カイはお茶を啜りながらドーナツをゆっくりかじり、さりげなく、注意深く周囲の様子をうかがっていた。そして、そういった研究室全体の様子をYUKIは記録していった。

コウヨウ氏との話題がひと段落したナオがぽつんと言った。
「わかった。この匂い。」
ナオの一言にその場にいた皆が彼を見る。
ナオは続ける。
「ここに来た時から、この匂いがずっと気になってたんだ。昔から知っている匂い。甘くて強い匂い。」
博士もコウヨウ氏もコトリちゃんもいまいち飲み込めない顔をしてナオを見ていたが、
カイはすぐに
「お菓子工場の匂いだろ。」
と間髪入れずに言った。
「お菓子工場?ここが?」
コウヨウ氏が言う。
「ドーナツとホットチョコレートの匂いですね?」
コトリちゃんが言うと
カイとナオは頷いた。
「俺たちがいた施設は大きい菓子メーカーの工場の裏でさ。震災でもその工場の一部は全く無害で、その一部だけで災害後から比較的すぐに工場運転を再開できたんだ。元々経営者が国際支援のコネもあったらしく原材料も比較的手に入りやすかったらしくてさ。俺がその施設に入ったのは5歳からだったけど、その頃には工場の半分以上は回復してた。これは後から知ったことだけどな。で、5歳から10歳までの5年間、毎日菓子工場から流れる菓子の甘い匂いを嗅いで育ったんだ。嗅ぐっていうより施設の全てのものに匂いが染み込んでたな。なぁ?」
とカイはナオの方を見る。ナオは頷いて続ける。
「そうそう、そこはチョコレート菓子を主に作る工場だったから甘くて濃いチョコレートの匂いがするんだ。ここの匂いでそのこと思い出した。」
そうナオが言うと、カイもナオもその頃をそれぞれ思い出しているようで黙った。

アラタ博士はふたりの様子を見ながら、
「そのお菓子工場のお菓子は施設では食べれたのかな?」
と聞いた。
「うん。味は全く問題ないのに割れたりしたお菓子を施設に寄付してくれるんだ。食事をしないでお菓子だけ食べたら良くないってことで子どもに与えられるお菓子はある程度制限されてたけどね。毎日同じようなおやつでも飽きることなかったなぁ。」
とナオが言うと、
「そうだな。」
とカイは窺い知れない表情で答えた。
そこには言い表せない感情が混ざり合い、何か強い思いを抑え込もうとしているようにも見えた。アラタ博士はなんとなく痛々しいものを感じた。
コトリちゃんが
「『チョコレート工場の秘密』みたいですね。その物語も主人公の家まで工場からのチョコレートの甘い香りが入ってくるということでしたから。」
と言うと、
「その匂いのせいでチャーリーが空腹に悩まされたんだよね?昔、映画見たな。君たちはお菓子の甘い匂いのせいで空腹に悩まされなかったの?」
とカイとナオにコウヨウ氏が聞いた。
するとカイは
「そうそう、最初のうちは本当に困ったんだよな。でも空腹に悩まされるって言うより、いつも甘い匂いがするから、どんなごはんでも最初は甘い味を想像する。でも、実際に口に入れると全然違う味がして。特に野菜とか魚とかを食べるときは違和感がすごかった。慣れるまでに時間がかかった。」
ナオがそれに続けて、
「そうだったね。僕なんか、最初の頃は匂いと味が合わなくて吐き気を催すこともあったんだ。そういえば、野菜の切れはしが入ったコンソメスープにカイとユウキと一緒に、あ。ユウキは今回来なかったやつなんですけど、甘い匂いのせいで味が変な気がして、塩ひたすら入れて、結局塩の味しかしないまずいスープになったけど、無理やり飲まされたよね。」
「ほんと、あそこはいろんなこと無理やりさせようとするとこだったな。すげーやだった。俺たちの言い分なんか聞こうともしなくて、理由とか言うと、笑って流されたり、すぐ反抗的だ、とかみんなもやってるとか、みんなそれぞれ違うのに。」
とカイは憤ったように言った。
それを聞いて、
アラタ博士もコトリちゃんも思わず黙り込んだ。
「みんながやっていることは良いこと」「みんなと同じことが正しいこと」
という概念を子どもの頃から繰り返し、暗に刷り込まれてきた。その行間には「そこから外れている者は認められない」というメッセージがあり、彼らは、自分たちがそれによってどれほど傷つき、疎外されてきたかを静かに振り返っていた。

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