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こおろぎ 「 ときお 」「 かれん 」 そして、 「 ドキア 」の話 ~ おしまい ~

6月 スーマンボース― (小満芒種)


「こういう雨のことを『スーマンボース―』と、言うのよ。」

 一向に止む気配がみえない雨、
 いつもの帰り道が 前日の記録的大雨で 
浸水被害が出た地域でしたので、
出来るだけ早く高台へ向かって 
迂回して戻ろうと、ルートを考えていたとき、
滝のような大雨を窓から眺めて その方は話しました。

私はこれまで『スーマンボース―』は 
しとしと降る雨のことだと思っていたので、
少し驚いて 
こんな大雨のことを『スーマンボース―』と呼ぶのですか? と尋ねかえすと、

「昔の人たちは 切れ間なく立て続けに降る雨のことを そう呼んでいたよ。」と、
母と同じ世代のその方は、笑顔で話してくれました。

ふと、100年前の 今の時期は 
どうだったのかと、想像します。

祖母と同じように、これから来る夏に 
生活用水が間に合ったと、安心したのかな。

野菜を作っている人は、根腐れしないか 
やきもきしていたのかな。

子どもたちは 
大雨の中 びしょぬれになりながら、
水たまりを飛び跳ねて ケラケラ笑いながら はしゃいでいたのかしら。

時を超えて、想いをつなぐ瞬間が 愛おしいです。
もうすぐ「慰霊の日」をむかえます。



やって来た こおろぎ「ドキア」

~ 話のつづき ~
 
 8月も終わりの頃、
「 部屋で虫がピョンピョンはねてる~! 」
子どもたちが あわてて虫とり網で捕まえたのは、メスの『タイワンエンマコオロギ』でした。
元気よく跳ねていたので、「ときお」たちとは別にして 少し大きいケースに入れて育てることになりました。
下の子が 「名前を『ドキア』にする。」と、
即答だったので 
本当にそれでいいのか もう一度尋ねたら、「『ドキア』でいい」。

9月 残暑厳しい朝、
前の晩、「ときお」の鳴き声が 聞こえなかったので 朝一番にケースの中を覗くと
「ときお」は土の上で たおれていました。
子どもたちに声をかけて、
先に旅立った「かれん」の傍にお墓をつくり、「ありがとう」と 土をかぶせて庭の花を供えました。
寝苦しい亜熱帯地方の長い夏を 
快適に休ませて貰い、感謝しかありませんでした。

「かれん」も、鳴いて存在をしらせてくれた「ときお」もいなくなったので、
私たちは努めて「ドキア」に声かけするようにしました。
「ドキア」は鳴かないので、食べ物をあげるとき以外は さもすると忘れがちになります。
なので、
「おはよう」「行ってきます」
「ただいま~」「おやすみ~」
と、必ずドキアに挨拶しようと話し合いました。

「ドキア」は「ときお」たちよりも ふた回りほど大きい、よく食べるコオロギで 
人が近づくと隠れ、食べ物も人の気配がしなくなってから食べはじめました。

観察しようにも 機会がめっきり少ないので、
子どもたちの興味がだんだんと薄れ始めた 
ある日、
一匹だけではさみしかろうと、
迷い込んできたコオロギを 仲間に加えることにしました。

「友達ができてよかったね」と勝手に思い込んでいたら、翌日 仲間のコオロギの姿はなく、片足一本だけが残されているのには驚きました。
コオロギは共喰いをすることを
初めて子どもたちから教えられました。

慣れ親しむこともないまま、
それでも 声かけを続けて
「ドキア」から「ドッキー」へと呼び名が変わり始めた頃。

遅い秋から、クリスマス 正月、
そして短い冬を迎えた 肌寒い2月のある日。
孤高の女帝「ドキア」は旅立ちました。
 
我が家に来て 6ヵ月。
家にきた時より 小さくなっていた「ドキア」を 初めて手のひらにのせても
涙は出ませんでした。

「ドキア」のお墓をつくり終えて
ふと、まな板の端に 小さく切って置かれていた野菜を見て 思わず笑ってしまいました。
小さな生き物たちは もういないし、
少し すきま風が通るこころも 
春を感じる頃には 日常生活に同調しているはず… 。

いつもどおり慌ただしい日々が過ぎ去り、
今日も パタッっと止んだ雨ののち、
あちらこちらから 虫たちの小さい声が聞こえてきます。

もう虫を育てることはないでしょう。

私たちは 三匹のコオロギたちとの思い出で
いつまでも 満たされているのだから。









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