寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井了意。地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。マガジンはこちら→【 艱難目異志(かなめ石)】
六章では、耳塚と五条の石橋の様子が伝えられています。
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六 耳塚の事 并 五条の石橋落たる事
※ 「ふびん」は、不憫。
※ 「五輪」は、五輪卒塔婆のこと。
※ 「其ぬる」は、このような文字に見えるのですが、意味が読みとれないので自信がありません。
※ 「慶長 十九年十月廿五日」の地震は、1614年11月26日に起きた大地震のことで、越後高田では津波の被害があり、会津、銚子、江戸、八王子、小田原、伊豆、伊那、駿府、三河田原、桑名、伊勢、津、京都、奈良、大坂、紀伊田辺、伊予松山など、広い範囲で大地震の記録が残されているそうです。
※ 「大なゆ」は、大なゐ と思われます。大地震のこと。
※ 「ふりくづされ」は、振り崩され。
※ 「返哥」は、返歌。
※ 「もろこし」は、唐土。
※ 「あなはあきけれ」は、穴は開きけれ。
※ 「わたしおほせて」は、渡し果せて。工事が完成して、という意味と思われます。この地震の十七年前、正保二年(1645年)に五条大橋の橋脚は石造のものに架け替えられました。
※ 「假令」は、仮令。たとえ…(ても)。
※ 「いか成事」は、いかなる事。
※ 「当来」は、必ず来るはずの世のこと。
※ 「弥勒出世」は、彌勒の出世。釈迦入滅後、五六億七千万年後に彌勒がこの世界に出現して衆生を救うこと。
※ 「ことゆへ」は、事故。よくないことが起こること。
※ 「いえのしごとしけるもことはり也」は、誤読しているかもしれません。
※ 「おそれてはねあがり」は、恐れて跳ね上がり。
※ 「一あしもゆかず」は、一足も行かず。
※ 「ひけどもうてども すゝまざりける」は、曳けども打てども進まざりける。
※ 「きどく」は、奇特。非常に珍しく、不思議なさま。
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖