寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井了意。上巻では、地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。マガジンはこちら→【 艱難目異志(かなめ石)】
下巻一章は、古い地震の記録が列挙されています。章の後半には、仏教観における地震の捉え方について書かれていて、とても興味深い内容になっています。
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一 地震前例 付 地しん子細の事
※ 「常」の「常」は誤読しているかもしれません。読みの「いた」は、甚のことと思われます。ひどく、激しく。
※ 「えきれい」は、疫癘。悪性の流行病、疫病のこと。
※ 「すゑつかた」は、末つ方。月や季節などの終わりの頃。
※ 「しそめて」は、し初めて。
※ 「もろこし」は、唐土。
※ 「至元」は、モンゴル帝国(元)のクビライ・カアンの治世で用いられた元号(1264-1294年)。
※ 「元統」は、モンゴル帝国(元)のトゴン・テムル(順帝、恵宗)の治世で用いられた元号(1333-1335年)。
※ 「弘治」は、明の弘治帝の治世の元号(1488-1505年)。孝宗は弘治帝の廟号。
※ 「金輪際」は、仏語。大地の最も底のところ。大地のある金輪の一番下、水輪に接するところ。
※ 「手だて」は、手立て。手段、方法。
他の章は、マガジン『艱難目異志(かなめ石)』を見てみてくださいね。👀
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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