見出し画像

【人相学】『武者鑑』白拍子妓王/平相國清盛/佐馬頭義朝/常盤御前

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二


白拍子しらびやうし 妓王ぎわう
妓王ぎわうは、江州ごうしう 益須やすごふり中比なかひさとうまれなり。いもうと妓女ぎぢよといふて、同胞はらから ともまひ上手じやうづなれば、清盛きよもりこれを せうとなして、寵愛てうあい かぎりなかりしに、ほとけ御前ごぜんためてう おとろへければ、たちまち  発心ほつしんなして、栄枯えいこのべうたのこし、姉妹けうだいともに のがれて、嵯峨野さがのおくいほむすびて 一生いつしやうおくりける。

妓王ぎわうは、いやしき たみむすめなれど、うまだち きよらかにして、りやう眉毛まゆげあひだへだゝり、しかも、そのいろ あかつやありて、きはめて たつとき さうありしとかや。発心ほつしんせし とき妓王ぎわうは 二十一さい妓女ぎぢよは 十九歳なりしといへり。

※ 「江州ごうしう」は、近江国おうみのくに
※ 「益須やすごふり」は、近江国の野洲郡やすのごおり


平相國へいさうこく 清盛きよもり
清盛きよもりは、忠盛たゞもり一子いつしなり。じつは、白河帝しらかはてい落胤らくいんにして、はゝ祇園ぎおん女御によぎよなり。

保元ほうげん平治へいぢ擾乱じやうらんを平げてより、一門いちもんとみさかへて、くわん 太政だいじやう 大臣だいじんいたり、一族いちぞく高位かういふんで、三十余国よこくれうし、威権ゐけん天使てんししのぐに いたり、暴行ぼうぎやう 日々ひゞ増長ぞうちやうなす ゆへ子孫しそん 一門いちもん 西海さいかいなみしづむといへど、清盛きよもり眼中がんちう 烏晴くろだま 大にして、ひらくときは、白眼 ● しに見へ、はな 大に にくありて、くちくちのごとく、みゝ 長大ちやうだいにして、古今こゝん福相ふくさう也しとかや。宜成むべなるかな、人臣じんしんつかさにいたりて、一生いつせう我意がいほしいまゝ にして おはる。 [■は放+心]

※ 「烏晴くろだま」は、そのふりがなから 眼睛がんせいのことと思われます。目の黒目部分、瞳のこと。


佐馬頭さまのかみ 義朝よしとも
義朝よしともは、六条ろくでう 判官はんぐわん 為義ためよし嫡男ちやくなんなり。

その さう勇然ゆうぜんたれど、まゆうすく、うへ所々ところ/\ ぬけたるやうにて、小眼せうげんにして、みゝとがり、ものいふ ときともみゝうごきしといへり。これ父子ふし兄弟けうだい わかれ/\になり、うらみむすんで、刃傷にんじやうおよさうありしとかや。これ安倍あべ泰成やすなりでんなり。

あたれるかな、保元ほうげん大乱たいらん勅命ちよくめいとは いひながら、ちゝ 為義ためよし ならび舎弟しやていらを なさけなくも だまして ころすゆへに、天罰てんばつ すみやか にして、平治へいぢらんには 家臣かしん 長田おさだために、正月三日 湯殿ゆどのにて ころさるゝ。ときに、とし 三十八才なり。のちに、せう二位にゐ 内大臣ないだいじん贈官ぞうくわんを給ふ。

※ 「安倍あべ泰成やすなり」は、平安時代末期の陰陽師。
※ 「贈官ぞうくわん」は、生前功績のあった人に、死後、朝廷から官職を贈ること。


常盤ときは御前ごぜん
常盤ときはは、義朝よしともつまにして、尾州びしう 熱田あつただい宮司ぐうし 末憲すゑのりいもとなり。近衛院このえのいんの 御とき容顔ようがん美麗びれいをんなめされんとて、五百人のうちより たゞ一人 えらみ いだされしほどの 美人びじんなりければ、義朝よしとも ほろびて のち清盛きよもり これめかけとなして 女子によじうましむ ゆへに、今若いまわかおと若、うし若の 三子さんしたすく。

のちに、この 牛若うしわかために、さしもの 平家へいけ一朝いつてうほろぶるは、あだめかけとなりし 常盤ときはこう也。しかれば 〔一行判読できず〕 とかや。これ をつとかゆるの さうなりと きけり。

※ 「さしもの」は、あれほどの、さすがのという意。



『武者鑑』の人物一覧はこちら
 → 【人相学】『武者鑑』人物まとめ 👀

筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖