豊島石(てしまいし)
大坂より五十里、讃州小豆島の邊にて、廻環三里の島山なり。家の浦、かろうと村、こう村の三村あり。家の浦は家数三百軒斗、かろうと村、こう村は各百七八十軒ばかり。
中にもかろうとより出る物は少硬くして、鳥居圡居の類、是を以て造製す。さて、此山は他山にことかはりて、山の表より打切堀取にはあらず。唯 山に穴して金山の坑場に似たり。洞口を開きて、奥深く堀入り、敷口を縦横に切抜き、十町廿町の道をなす。
※ 「讃州」は、讃岐国のこと。
※ 「家の浦、かろうと村、こう村」は、豊島にある三つの大字。豊島家浦、豊島唐櫃、豊島甲生。
採工松明を照しぬれば、穴中真黒にして、石とも土とも分ちがたく、採工も常の 人色 とは異なり、かく堀入ことは如何となれば、元此石には皮ありて、至て硬し。
是、今、ねぶ川と号て出す物にて(本ねぶ川は伊豫也)、矢を入れ、破取にまかせず。たゞ幾重にも片ぎわるのみなり。
※ 「採工」は、採工( 鉱物などを採取する工夫)の読みに、下財(鉱山の金掘り坑夫のこと)を充てているようです。
※ 「ねぶ川」というと、根府川石(神奈川県小田原市根府川)が有名ですが、ここでは「本ねぶ川は伊豫也」とあります。調べてみてもよく分かりませんでした。愛媛県今治市の鈍川が訛ったものでしょうか(鈍川渓谷・鈍川温泉)。
流布の豊島石は、其石の實なり。故に、皮を除て堀入る事しかり。
中にも、家の浦には、敷穴七ツ有。されども、一山を越えて帰る所なれば、器物の大抵を山中に製して、擔出せり。
※ 「流布」は、広く知られていること。
水筒、水走、火爐、一ツ竃などの類にて、格別大なる物はなく、かう村は漁村なれども、石もかろうとの南より堀出す。
石工は山下に群居す。但し、讃州の山は悉く此石のみにて、弥谷善通寺大師の岩窟も此石にて造れり。
※ 「弥谷善通寺大師の岩窟」は、真言宗善通寺派の寺院 剣五山千手院弥谷寺(香川県三豊市)の岩屋に作られている大師堂のことと思われます。
参考:Webサイト 弥谷寺公式HP 四国八十八ヶ所霊場會「剣五山千手院弥谷寺」
石理は、磊落のあつまり凝たるごとし。浮石に似て、石理麤なり。
故、水盥などに製しては、水漏りて保ことなし。されども、火に觸ては 損壊 せず。
下野、宇都宮に出せるもの此石に似て、少しは美なり。
※ 「石理」は、石理(岩石の組織・構造)に石目(岩石の裂けやすい方向)の読みを充てています。
浮石は海中の沫の化したる物にて、伊豫、薩摩、紀州、相模に産す。
されば、此山も海中の島山なれば、開闢 以後、汐の凝たる物ともうたがはれ侍る。
※ 「開闢」は、天地創造、世のはじまりのこと。
塩飽の名も、若は 塩泡の轉じたるにか。
塩飽石は、御留山となりて、今 夫と号くる物は多く、貝附を賞す。是、其邊の礒石にて、石理 粹米のごとくにて、質は硬し。
飛石、水鉢、捨石等に用て、早く苔の生ふるを詮とす。
礒石は波に穿たれて、■ ■、 異形を珎重す。
※ 「塩飽」は、瀬戸内海、備讃瀬戸にある島群の名前。塩飽諸島。
※ 「御留山」は、江戸時代、林産物や動物を取ることを禁止された山のこと。
※ 「 粹米」は、粉米。精米するときに砕けた米のこと。
※ 「質」は、質に 性の読みを充てていると思われます。
※ 「珎重」は、珍重。
筆者注 ●は解読できなかった文字、■は該当漢字が見つからなかったものを意味しています。
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