見出し画像

『かなめ石』上巻 七 清水の石塔 并 祇園の石の鳥井倒事

寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井あさい了意りょうい。地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。〔全十章〕

七章では、清水寺と祇園社の様子が伝えられています。

📖

七 清水きよみづ石塔せきたう 并 祇園ぎをんいし鳥井とりゐ たをるゝ

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

清水のいしたうは、上二ぢうをゆりおとす。たきまうでのもの、其外さんけいのともがらきもをけし、色をうしなひ、あまの命をたすかりよみがへりたる心地して、下向げかうの道のおそろしさ、いふばかりなし。

※ 「清水のいしたう」は、清水寺きよみずでらの十一重石層塔のことと思われます。
※ 「たきまうで」は、たきもうで。
※ 「さんけいのともがら」は、参詣さんけいともがら
※ 「きもをけし」は、肝を消し。非常に驚くこと。
※ 「あまの命」は、あまいのち。天からの授かり物の命。
※ 「下向げかう」は、高い所から低い所へおりて行くこと。
※ 「いふばかりなし」は、言ふばかり無し。言葉で言い尽くせないの意。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下
ぎおん

祇園ぎをん南門なんもんに立られし石の鳥居は、の国天王寺てんわうじ鳥居とりゐになぞらへ、笠木かさぎたかくそびえ、ふたばしらふとしく立ならび、がくはこれ青蓮院しやうれんゐんの 御門跡もんぜきあらはされ給ひ、筆畫ひつくはくゆたかにめでたくおはせしを、たちまちにゆりくづされ、たつ鳥居とりゐのふたばしら、地をひゞかしてどうどたをれ段々きだ/\にうちをれて、がくもおなじくくだけたり。

※ 「ふとしく」は、ふとく。ここでは、鳥居をしっかりと立ててあること。
※ 「段々きだ/\」は、段段きだきだ。物を細かく切り刻むさま、ずたずたの意味。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

八坂やさかちや屋どもは、鳥居のたをるゝ音にいよ/\きもをけしさればこそ、地のそこがぬけて、どろの海になるぞやとて、建仁けんにんのうしろなる野原のばらをくだりにかけ出たり。

おやは子をすて、兄はおとゝをわすれ、あるひは、わがつまの女房かとおもひて人とめ女の手をひきてにげいで、あるひは、わが子とおもひて ちやつぼをいだきてはしりいで、ふみたをされ、うちまろび、夢ぢをたどる心地して、目くらみ、たましゐきえて、をこがましきありさまどもなり。

※ 「おとゝ」は、おとと
※ 「人とめ女」は、人留女とめおんな。宿屋の客引きの女のこと。
※ 「茶《ちや》つぼをいだきて」は、茶壷ちゃつぼいだきて。
※ 「うちまろび」は、うちまろび。
※ 「夢ぢ」は、夢路ゆめじ
※ 「たましゐきえて」は、たましいえて。

わが妻の女房かとおもひて
人とめ女の手をひきてにげいで
わが子とおもひて
茶つぼをいだきてはしりいで

茶やにあそびるわかきものどもは、あわてふためき、あみがさを手にもち、草履・席駄 かた/\しはき、わきざしをとりわすれ、みだれあしになりてかけいづるもあり。

その中に井づゝ屋のなにがしとかや、年のころ八十四五なるおとこ、はう/\にぐるを見て、ある人かくよみてわらひけり。

  としたけて まだいくべしと おもひきや
    いのちなりけり 茶屋のながにげ

※ 「席駄」は、せきだ。雪駄せったのこと。
※ 「わきざし」は、脇差わきざし
※ 「かけいづる」は、いづる。
※ 「にぐる」は、ぐる。



筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖