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フィクションです。本音です。


大学を中退した。海外にある大学だった。卒業直前のところで。学費もたくさんかかっていた。
正確にいうのならば、たくさんの学費を払ってもらっていた。
ただ、気持ちい。信じられないほどに後悔がなく、至極当然のようにこの真実を受け入れているのだ。

ずっと違和感があった。なかなか学校というシステムに順応できない自分と、辛い顔をしながらもそのシステムに溶け込んで行っている他人との間に。僕は学ぶことは好きだ。どこかの何かの学者がいうには、人間の脳は新しい知識を知り生活を豊かにすることで、ドーパミンが放出されるのだとか。これはきっと真実だと思う。僕は授業の中で多くのことを学んでいたし、それを大いに楽しんでいた。どれだけ学び、それをどのように活かしていくのか、それを計る
テストがあり、それを評価してくれるなら、僕はきっとクラスで一番だったであろう。

ただ僕は、大学を中退した。

僕はわがままで、とても頑固だ。その先に目的の見出せない事柄や、そもそも価値のないと思う物事に時間を費やすのが嫌いで、実際に費やせない。例えを挙げるなら、大学のディスカッショの課題だ。人と面と目を向き合って、唾を飛ばしあうディスカッションなら意味合いを感じられるのだが、このご時世好き勝手人に唾は飛ばせない。今はオンラインディスカッションポータルに一週間のうち最低一とつ疑問を投稿する。そして二人以上に返信すれば良いのだ。みんなだったらこの課題をどう捉えるのだろうか、もちろんどう捉えていても、僕は否定しない。ただ、僕には全く意味がなく思えてしまう。わからないことは先生に聞くかネットに聞く。情報は今やコモディティ、嘘も本当も自分一人で見つけられる世の中で、どうして学習途中のアマチュアの溜まり場に質問を投げかけるのか。僕には理解ができなかった。

僕にはみんなが輝いて見える。そしてまた、暗く悲しくも見える。

こう感じ始めたのは決して最近からではない。いつ頃からだろうか。きっと高校生の半ば頃だったと思う。僕は英語ができた。これは自慢だ。とてもよく英語ができた。ただ、学校のテストではいつも平均以下だった。虚言を発しているのではない、真実だ。それもまた、学校の試験の問題を解けるようになることに、価値を見出せなかったからだ。講釈を垂れるならば、そもそも問題自体が英語力の真意を問うてなかった。そしてそのテストの成績が影響するものは日本の大学への受験であり、それもまた僕向きのものではなかった。僕は何を勉強するかもわからない、何のために勉強するのかもわからないまま、自分の人生の四年間に影響する選択をするのが怖かった。とても臆病だった。だから学校のテスト勉強はしなかった。ただ、みんなはしていた。睡眠を削って、気持ちも削って、勉強していた。僕にできないことをしているみんなはとても輝いて見えた。尊敬していた。ただどこか悲しい気がした。

Ignorance is Blessed

アメリカではよくこんな言い回しがある。「無知であることは幸せなことに繋がる」そんなような解釈だ。知らなければ傷つくことも少ない。知らなければアンパイな日々が過ごせる。きっとこのような思想が生み出した言葉だろう。みんなはこの思想に賛成するだろうか。俺はできない。僕にとっては「Ignorance is a Fear」である。怖く、危険なものなのだ。日本の多くの高校生は、血眼になって受験勉強をし、大学へ入学する。とても喜ばしいことであり、どんな結果であれ、勉強した事実は讃えられるべきものだ。ただまたその中の多くの学生は、自分で選んだ環境や向き合わなあければいけない学業に文句を垂れる。四年間。そして大学4年生になると、冬や春に汗をたらしながら就職活動をし、職を手にする。それは大変喜ばしいことで、さらなる成長の一歩を踏み出したことは称賛されるべきことである。そしてまたその多くが「仕事をしたくない」とため息を漏らすのだ。

かといって僕も、文句を垂らしている。

僕は決して自分自身を棚に上げてしゃべっている訳ではない。僕がアメリカへ留学した理由は、本当に勉強したいものを勉強し、より多くのことを学習できる環境にいきたかったから。その狙いは見事に当たった。僕は学校で学んでいたことはとても好きだった。ちなみに学部はビジネスアドミニストレーション。日本で言う経済学部と商学部を足して二では割らずにそっとしておいたようなものだ。学習内容以外にも、自分自身のアイデンティや、価値観、その他人生により価値をもたらすものを数多く学んだ。ただしかし、教育機関のもつシステムには文句を垂れ、こぼれ落ちたのだ。ただ僕にとってはこれは多くの気づきをもたらしてくれた。自分が人生で本当に大切にしたいものや、その中での時間の使い方。僕は大学を卒業しなくても、知識を得ることが学習の本質であると信じた。そして多くのものを得た。仕事ももちろん見つけた。僕の学習してきたものを活かせる仕事で、さらに多くの物事を学ばせてくれる職場だ。

つまり何を言いたかったのかと言うと、何も気づかず考えずシステムに沿って生きていくのが僕は怖かった。だからたくさん考えて選択をして、文句を垂れることもありながら多くのことを学んできた。みんなもたとえ今自分の在る環境が自分の想像したものとは違っても、学ぶ方法はいくらでも転がっているし、大きな気づきのチャンスもたくさん芽を出している。ぜひそ言う物事を探すのに時間を割いてみてはどうだろうか。いつまでも文句を垂れ続けるよりは、楽しいことにつながるかもしれない。

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