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おウワサはかねがね その29「悲しみ・涙について、学び報告の回」

「おウワサはかねがね」は、お互いの「ウワサ」だけは知っている波多野伶奈(俳優)と野花紅葉(劇作家)がnoteを通じてやりとりする企画です。会ったことのない2人の関係はどう変化するのか、2人が本当に会う日はやってくるのか。毎月0のつく日は野花紅葉、5のつく日は波多野伶奈が更新します。

前回のおウワサはかねがね【その28(8月25日)】

ちゃんさんへ

電話、楽しかった……野花紅葉です。「傍受された電話」みたいな体でやったことでバランス感がイカれてしまい終わった後「これで良かったのか?」という不安と自意識がすごかったです。まあいっか。電話だし(言い聞かせています)。

は!言い忘れたことがあったので記事の最初に言っておくのですが、「おウワサはかねがね」マガジン化、したい!やり方を聞いて電話中にやっちゃえればな〜なんて思っていたのに話している間にまんまと忘れてしまいました。あちゃ〜。もし、ちゃんさんが良ければまとめちゃいませんか?なんなら9/5までにやっていただいても大丈夫です……記念すべき?30回目ですし……。

では、本題ですが。前回のちゃんさんの文章を読んで、涙に種類があるということに実感がない自分に気づいて引きました。いや、当たり前なんだけど。悔しいとか嬉しいとか悲しいとか怒ってるとか感情の種類はもちろんのこと、その涙が泣いている人自身に向かっている(他者への伝達として泣いているわけではない)ということを、泣かないわたしは実感として持っていないんですよね。やべえ。だから相手に「泣かれる」という表現になってしまうというか、「泣いているということはわたしに何か訴えかけたいんだ」と思い込んでしまうというか。それで言えばわたしは完全に勘違いしている側で、勘違いというかもはや、別の可能性を考えていないし知ろうとしていないなと……反省しました。

放置して慢性化させてしまうよりかは一極集中“鬱”で乗り越えようとする

つ、つ、強すぎ!!!!!!!!!!かっこよすぎですねなんですかこの言葉、台本にしたいです。わたしはこれで言えば完全に慢性化タイプで、なのに一丁前に鬱にはなる、くせに別に乗り越えられないという……え、なんか書いててバカみたいですね。悩みとして、全然「進歩がない」んです、わたし。次回傷つかないためのあれこれ(理由を整理して、問題を明らかにして、改善策や工夫を提示する)が圧倒的に下手で、喧嘩とか振り返ると毎回同じことにキレてるような気がする。あるいは、もう一生会わなきゃいいやみたいな短絡的な思考になってしまう。弱いというよりは、わたしはものすごく幼稚なのですね、死にて!「悲しみにわざわざ近く」とちゃんさんはおっしゃっていましたが、上に挙げた言葉も含め、わたしよりよっぽど理性的というか、建設的だなと思いました。「悲しみが一番扱い慣れているから悲しみを積極的に自認するのかもしれない」という言葉もすごく印象的で……マジで前回は面白い言葉が多かったというか、勉強になった箇所ばかりでした(何この締め方)。

さて、先月末「感情」というテーマをいただいて1ヶ月交換通信してましたが、ほとんど「悲しみ・涙」でしたね……「怒り」の話もチラホラしてましたが、ちゃんさんのおっしゃる通り輪郭がぼんやりしてしまった感もありつつ、ただ、先ほども書きましたがとても勉強になりました(特に「悲しみ・涙」については全然わからないことばかりだったので!)。9月はどうしましょう。語り足りなければ「怒り」を掘り下げますか?他の喜怒哀楽のどれかでも、全く別のものでも構いません。

短めですが、今回は学び報告の回ということで。9月もよろしくお願いします。

ノハナ

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