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おウワサはかねがね その11「ありのままよりダメなわたしで受容されてえ〜」

「おウワサはかねがね」は、お互いの「ウワサ」だけは知っている波多野伶奈(俳優)と野花紅葉(劇作家)がnoteを通じてやりとりする企画です。会ったことのない2人の関係はどう変化するのか、2人が本当に会う日はやってくるのか。毎月0のつく日は野花紅葉、5のつく日は波多野伶奈が更新します。

前回のおウワサはかねがね【その10(5月25日)】

ちゃむちん

元劇団の同期が「お前のnoteは『ちゃむのはな』だけ読んでるよ」と言ってきてウケました。波多野さんに興味があるから、とのこと。こう言われるまで伶奈さん以外にも読まれているということを忘れていました。

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前回の伶奈さんの文章から。 “結局私にとってのコンプレックス「ありのままの自分で受容されてーーー」という話だなと思いました。” ……ありのまま、かあと思いました。ありのままってマジでなんなんでしょうね?わたしは絶対神・他己評価によって自分の「ありのまま」が行方不明なんです。

他者から見える外面と自己認知に齟齬がある問題として、“普段、普通に話していても「れなちゃんが話すと場がふわふわするよね」とよく言われることに齟齬を感じる”というエピソードを話してくれましたが、わたしの「ありのまま」が行方不明というのは自己認知が行方不明ということなんだと思いました。わたしは各コミュニティーで「あなたって〇〇だよね」の〇〇に入るものが正反対になることがよくあって(例えば真面目・不真面目 / 気が短い・長い / 清純・性にオープン、など。正反対と言うには雑なところがありますが)、これを車に〜という振る舞い方の結果だと捉えていて。これは演じ分けているとか嘘をついているとは少し違う感覚で、自分の真面目な部分と不真面目な部分 / 気が短くなる事柄と長くても待てる事柄 / 清純であった方が得な場面とオープンな方が楽な場面、という風に両方持ってるけどこのコミュニティーではこっちを強く出そうと決めているという感覚の方が正しいかもしれません。しかしこれによって自己認識は「どっちも持ってるよね〜」というふわっと大きなものになってしまう。そして、もうこれはその9を書いた時に自分で気づいてドン引きしたのですが、わたしは他者に抱かれるイメージをコントロールできると信じ込んでいる傲慢さがかなりある人間なんですよね。キメえ〜。これらが行方不明の原因なんだと思います。

(ゆえにわたしは齟齬万歳。特に何も考えずに振る舞っていた場合、「わたしの何がそう思わせたんだろう」と考えることは「ありのまま」を探ることに非常に役立つような気がしてワクワクします。自認していないありのままを知れるチャンスというか……とはいえ、自認している「ありのまま」すらないのですが。)

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びっくりでしょうがここからが本題です!!!!!!今回はゲロ長くなる予感がしますが開き直っていこうと思うよ。だってわたしと伶奈さんの交換通信ですから(しかし読んでくださっている方、本当にありがとうございます。長いです)。一応ここら辺で音楽紹介しておきます。

このアイドルグループのエース的ポジションの子の愛称が「ちゃんさん」なので、いつか言おうと思っていたのでした。タイトルも先の文章とちょっとだけ関連性があったりなかったり。嘘です、ただ好きなので聞いてくれたら嬉しいです。

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さて、今回のサブタイトルは、伶奈さんが前回おっしゃっていた「ありのままの自分で受容されてーーー」に対するわたしのアンサー、「ありのままよりダメなわたしで受容されてえ〜」です。だって「ありのまま」なんてわかんないし。「ありのままよりダメ」が受容できるなら「ありのまま」なんてよヨユーでしょ?

ていうか、わたしはあまり「生きてるだけで偉い」みたいな気持ちになれないし背中を押されはしないけど、生きてるということは自分を受容しているということだとは思っていて。納得いってるかどうかとか精一杯かどうかとか本当はどうしようもなく死にたいけどとかは一回置いておいて、それでも生きている(死なずにいる)ということはそういうことなんじゃないかなと。ちょっと希望的すぎるかもしれないが……

じゃあお前は、ありのままよりもっともっとダメなわたしを受容してくれや!!!!というのがわたしの主張。つまり、ありのままでなんか満足できない。「ありのまま」とやらの自分のことはわたし一人で抱えて踏ん張って生きてるんだから、あなたがそこに加わるのであれば「ありのまま以上」を求めたい。そうでなきゃ自分の人生に他者を深く介入させる意味なんてあるんだろうか?と。お気づきでしょうが、こんな考え方では恋愛はおろか人と生きていくことは困難です。そしてこの考えが他者によって実行されることなどもちろん不可能です。だから自身が恋愛するということがマジで嫌いなんですよね。

ちなみに「肯定されたい」という欲求はわたしにはなく、なぜならこれが肯定されるべきものでないことなどわたしが一番よくわかってるから。肯定されると「え、マジ?こんなキモ馬鹿意味わからんわたしを??こわ」という気持ちになることが多いのはコンプレックスの強さゆえな気がします。あ!!!伶奈さんの「肯定されたい」を否定する意図は毛頭なく、それは人間性の違いやそもそも自己認知があるかどうかが関わってくると思うので……わたしは肯定・否定をジャッジのように捉えてしまうので「受容」としました。肯定・否定はユニットコンセプトにも関わるほどわたしの中で大きなテーマなので、これだけでまた何往復も話せてしまいそう。

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伶奈さんはこの企画を “ある意味でストレスフリー”と言ってくれましたが、わたしにとってもマジでそう。頭の中をただただ交換するだけ、こういう人間だと思ってほしいという欲求が伶奈さんに対してはないのでとても楽しいです。「会ったことない(し、一生会わないかもしれない)」という関係すげえな〜。

というわけで、関係の心地よさからどんなテーマでも永遠に話せてしまいそうなわたしです。続けても、ガラッと変えても、ゆっくり逸れて行ってもそれはそれで楽しそう。もっとギリギリの話……?大歓迎です。しちゃおしちゃお。コンプライアンスに抵触する話題はありません。2人だけの交換通信なので!

最後に2つ。①呼び方が「伶奈さん」で定着してしまいそうなので、せめて宛名だけは攻め続けようと思っていることをお伝えします。②そろそろヘッダーが限界です。何か新しい案はないだろうか……絵とかロゴとか、誰かに依頼しちゃう?という気持ち。

それではちゃむちん、5日後を楽しみにしています!

ノハナ

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