【エッセイ】時間に、名前をつけることができたなら
大切にする、って実はかなり抽象的な表現だよな〜と思う。
というのも。自分を大切にしたい、でもつまりどうやって?と思っていたときがあるから。物を大切にすることのイメージはつくのに、その対象が「自分」になると、なぜか途端に難しく感じてしまう。
具体的にどんなことか、考えを巡らせてみたことについて書いてみる。
大切にするとは
多分、「丁寧に扱う」「慎重に扱う」「心を込める」が近い意味合いだと思うけれど、それでもまだ、私の中の「大切にする」ことはなかなか不確定なイメージのまま。ちゃんとしなさい!と言われたときの、ちゃんとって...?ちゃんとしてるもん!と感じるやつに近い(気がする)
「大切にする」「丁寧に扱う」を別の言葉に置き換えてみたらどうだろう。例えば、「汚さない」「壊さない」「崩さない」という言葉に変換できるかもしれない。
自分を「大切にする」ことは、自分を汚さないこと。自分を壊さないこと。自分を崩さないこと。
もしもそんな状態を指すのならば、「大切にする」ことが現像されてきた感じがする。なんとなくだけれども、少しずつ。
自分を壊さないために
じゃあ自分を壊さないために、どう行動すればよいのかってところが大事だと思うのだけど、これについては自分なりの答えが見つかっている。
それは『とにかく時間をどう使うかについて考えを巡らせること』これがわたしが出した答え。
自分(に与えられた命)を大切にするには、と考えたとき、限られた命という時間を、意味ある時間として過ごしてみるとどうだろう。無意識にただ垂れ流すのではなく。
意味ある時間なんて、そんな毎日素晴らしいことなんてないよと思ったけれど、素晴らしくなんてなくていい。時間にただ、名前をつければいいだけ、だと思う。
ただ、時間に名前をつけるだけで
したいこと、行きたい場所、食べたい物、欲しい物…自分を蔑ろにしていたときって、びっくりするくらいに 「want to」 がない。だから、一日中何をするわけでもなくボーっと過ごして、一日が終わる頃、しまった…と後悔してしまうんだと思う。
例えばこんなこともあった。突然ご飯に誘われて、あまり乗り気じゃないけどしたいこともないし、せっかくだし、と思ってお誘いにのってみた日。そもそもその人に会うことが「乗り気じゃない」と感じているのだから、ただただ疲れて終わってしまった…。
こんなふうに、なんとなく時間が過ぎていく日々をやり過ごしていては、時間を無駄にしている気がする。そう思ったわたしは思いつく限りの「want to」を書き出してみた。
初めはやりたいことがあまり思いつかないことに落ち込んだ。考えても出てこないときは意図的にいろいろな物に触れてみた。雑誌を買ってみたり、車を借りて遠出をしてみたり、普段は入らない店に行って、店員さんと話もした。自分の感性を信じて自分は一体なにに心が動くのだろう?と、じっと耐えてみた。
新しい靴が欲しい クローゼットを質の良い、お気に入りの少しの服で埋めたい 髪や肌を健康的な状態にしたい 山に行きたい 鎌倉に行きたい
一つの「want to」を見つけるたびに、それならこれも、と派生してきたものたち。そのおかげで、毎日過ごす時間に、名前をつけることができた。
服を見に行く日
ゆっくり身体を休める日
思いつきで行動する日
本を気がすむまで読む時間
バンドドリップの練習をする時間
noteを読む時間
名もなき時間に意味を持たせて名前をつけることで、「時間を、そして自分を大切にできている!」という実感を得ることができた。
見えてはいるけど、視てはいないこと
この世の中には、見えてはいるけど視てはいないことってたくさんあると思う。
「時間を大切にしよう」
学校の生活目標でなんとなく掲げられていた言葉がこんなに大事で意味のあることだったとは…。
時間を大切にしようとすることは、自分を大切にすることに繋がっている。すごく、大事なことに気づいた!忘れないように、続けていきたい。
さぁ、明日は何時に起きて、何をしようかな。
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