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【小説】 女のやりかた、男のやりかた

 私はこれから、未婚の母になる。厳密には、もうなっている。
 お腹の赤ちゃんは、妊娠8ヶ月。もうお腹も大きい。

 子どもの父親は、逃げた。光の速さで逃げた。
「俺の子どもじゃない。お前は浮気をしている」
 そう言い残して、音信不通になった。
 もちろん、私は追いかけた。地の果てまでとは言わないけれど、あいつの勤めている会社に電話をかけ続け、押しかけた。夜通し、社宅のドアを叩き続けた。

 そしたらあいつは、あろうことか、他の女と結婚した。しかも、交際1ヶ月で。つまり、私が妊娠したことを知ってから、他の女と付き合い、結婚まで漕ぎつけたのだ。よほど、私と結婚したくなかったらしい。

 そりゃあ、私にはすぐヒステリーになるようなところがある。カッターナイフで手首を切って死んでやると喚いたことだってある。だけど、相手は傷つけてないはずだ。私は、あいつに傷つけられている。こんな不平等なことがあるだろうか。

 あいつが結婚したことを知って、私の復讐心は更に燃え上がったけれど、どんどん大きくなるお腹が、私の行動を制限するようになった。
 あいつの家に落書きするために買ったスプレー缶が、使われないまま部屋の隅にある。落書きするつもりの汚い言葉が、頭の中でとぐろを巻いていた。


 今日は仕事もなく、体調も悪くなかったので、久しぶりにスーパーへと出かけた。7月の時点で猛暑を宣告されている今夏、スーパーは散歩途中の避暑にもってこいだった。

 ただでさえ暑い上に、胃腸が赤ちゃんに圧迫された妊娠8ヶ月の私には、たいした食欲がなかった。でも、赤ちゃんの健康のために、と、野菜をたくさんカゴに放り込んでいたその時、気がついた。
 中肉中背の、中性的な顔の中年の男が、ずっと私の横をウロウロしている。始めは気のせいかと思い、勢いよく踵を返してみたりしたが、やはり男はついてきた。何だろう。

「あの、なんですか」
思い切って声を掛けてみた。

 すると、男は能面のような顔のまま、聞こえなかったかのように私から離れた。
 気持ち悪いけど、退散してくれたからまあいいかと思い、また商品を物色していると、惣菜コーナーに来たあたりで気づいた。
 また、ついてきてる。
 男を振り払うようにレジに向かう私。そそくさとついてくる能面男。

「ちょっと、何なんですか」
 今度は、大きめの声で問うてみた。すると能面男は、一瞬驚いた顔をした後、能面顔を取り戻し、他の客にぶつかりながら逃げて行った。

「あの人、妊婦さんの横に張り付いて、旦那さん顔をする常習犯なのよ。気をつけてね」
レジのおばちゃんが、私に教えてくれた。
「は。え、なんですかそれ。気持ち悪い」

 なるほどそういうことだったのか。あれか、俺がコイツを孕ませたんだぞ、とアピールしている気になって、興奮しているのか。世間には妊婦をそういうふうに見る輩もいる、と聞いたことがある。
 生命の誕生の奇跡を目の前にしてなお、そんなことしか考えられないやつがいるのが信じられなかった。まるであいつみたいだ。私を捨てた、あいつ。妊娠という奇跡に対して、私に言い放ったあいつ。
「浮気したんだろ」
 結局、男とはそういうものなのだ。良い父親など、この世には存在しない。私の中の怒りが、ぐつぐつと再加熱しだした。

 孕ませたというのなら、それ相応の責任が伴うだろう。自分に、その責任をまっとうする度量もないのに、気持ちよく果てる、妊娠させることしか考えていない人間には、分からせてやらなければならない。
 自分のしていることが、どのような結果と責任を負うのかということを。

 私は怒りで胸がどきどきしていた。ふざけるなふざけるなふざけるな。
 気がつくと、大きなお腹と大きなスーパーの袋を抱えたまま、猛然とあの能面男を追いかけていた。

「ねえ!逃げるの?!あんたの子でしょ!子作りしたよね?したんだよね!あんたこの子捨てるの?捨てないよね?!楽しみだね!名前何にする?ねえ子ども服買いに行こうね!面倒みてよね?私とこの子のこと、面倒みてよね!ほらパパ、荷物持ってよ!」

 そう叫んで、男の腕をつかんだ。能面男が逃げようとしたので、スーパーの袋を男に向けて投げつけたら、幸運なことに、頭に命中した。前のめりに転んだ男に馬乗りになり、私は囁いた。
「絶対、逃さないからね」


 結論から言うと、その後、結局、能面男には逃げられたし、やはり私は独身のままお腹の子を産むことになりそうだけど、あれ以来、あのスーパーに能面男が現れることはなくなったらしい。レジのおばちゃんや、同じ被害に遭ったことがあるという妊婦さんに、それはそれは感謝された。

 私は、お腹の子の父親の家に落書きする作戦を、呪いの手紙を送りつける作戦へと変更し、昼夜を問わず熱のこもった手紙を書き続けた。


#小説 #短編小説

いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!