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自分の時間乞食

何で女には生理なんて苦痛だらけのものがあるんだろう、ということを考えたとき、原点を忘れるなという身体からの警笛の役割があるのかも知れないな、と思うことがある。


生理前後は、心身ともに余裕がなくなる。今回もそうだった。というか、1週間経たんとする今でもまだ少し引きずっている。(ねえ今回の低気圧ひどくない? 頭痛いし眠い眠いほんと眠い)

日曜日の夜、悲しくて泣いた。例によって平日が来るのがよほど嫌だった、ということもあるが、それだけではなかった。「夫が最近、休みを取りたがらない」ことに気づいて悲しくなったのだ。

以前は、「休んじゃおう!」と積極的に休みを取ってくれていた夫。休日に価値があった。でも今、在宅勤務で融通が効くからということもあって、はっきりとした休みを取らなくなった。毎年「祝日無くて最悪〜」とこぼしていた6月も、休みを取らぬままに過ぎ去った。


私からすると、理由は明白だった。彼は(仕事の)勉強がしたいのだ。休日は、午前の数時間しか「自分の時間」が設定されていない。一方で平日は、仕事の合間を縫って勉強することができる。今、彼にとっての休日が「平日よりも勉強出来ない日」になってしまっているのだった。もっと言ってしまえば、「休日よりも自分の時間が持てるのが勤務日」だから、積極的に休日を取らない。

気持ちは分かる。私も同じ状況に陥っているから。
書き物がしたい。自分の時間がほしい。

娘が生まれて、1年半。
私たち夫婦は、「自分の時間乞食」になっていた。


娘を出産してからというもの、我々の「自分の時間」はガツガツと削られていた。もちろん、子どもを産むとはそういうことだ。当時、なにか書きたくてもなかなか筆の進まなかった私にとって子供との時間は楽しみでしかなかったし、夫も、時間とコストを子どもに割かれる腹を決めて、決めたからにはきっちり家庭にコミットし楽しんでいた。

この1年半。
夫婦2人だけで娘の面倒を見てきた。人の手を借りたのは、ベビーシッターに預けてみた3時間(うち2時間ほどは別室にいた)のみ。他の誰にも預けたことはない。もちろんそれが可能だったのも、夫の家庭への意識的フルコミットがあったからだ。

そうやって2人で、産後すぐのてんやわんやの時期を抜け、娘が人間として意思表示が出来るようになってきた、今。
要は、少し気が抜けたのだ。2人とも。そしてやりたいことが明確に浮き彫りになってきたのだ。2人とも。

「自分の時間がほしい」

ほんの少しだけ出来た余裕に、その欲が際限なく湧き上がって幅をきかせ、「家族を楽しむ気持ち」や「休みをエンジョイする姿勢」、「育児(娘)へのフォーカス」や「ちゃんと休んで体を整える意識」を圧倒していた。

日曜の夜の私は、そんなふうに「自分の時間来ないかな〜」と思いながらなんとなく育児してしまっている自分たちに気づいて、悲しくなったのだった。


もともと、心のどこかで薄々感づいてはいた。
けれど、それもいいか、今はそういう時期なのか、なんてぼんやり思っていたのだ。生理が来るまでは。そして生理にNOを叩きつけられた。それは違う、と。痛くて眠くてだるくて自分の時間すら上手く使えず、無性にモヤモヤして、無性に悲しくなって、初めて私は、「原点に立ち返らないと」と思い直したのだ。

もちろん、自分のやりたいこと・自分の時間が原点ではないというわけではない。それも大切だ。けれど、大切な人とのふれあいから離れてしまっては、日々は虚しい。その原点を、生理は私に思い出させてくれた。

夫とも話し合った。始めは難航したけれど、ちゃんと着地した。初心を思い出し、自分の時間への欲をダダ漏らしにするのではなく頭を切り替えていこう、と夫婦で決意を新たにした。


我が家では、月に一度、こういうことが起きたりする。
月に一度、やりたいことを思うように出来ず、悔しく己の無力を噛みしめる時、私は「人生で本当に大切なこと、原点を忘れるなよ」と言われているような気がするのだ。


いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!