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ショートエッセイ集「ガラスペン狂いの日常非日常」

心を乱す7.9パーセントのはなし。

 私はふだん情弱情報弱者であることを心がけている。

 自他共に認めるガラスペン狂いで自制心も弱いので、自衛しないと限界ギリギリで踏みとどまっている崖っぷちから転がり落ちるから。

 文具雑誌やSNS上で知らないガラスペン作家を見つけたが最後、その人が作ったペンが欲しくて欲しくてたまらなくなってしまうのだ。


 ランプワーク専門誌「LAMMAGAランマガ」が特別号を出すという情報が出回ったとき、まず浮かんだのが警戒心だ。

 ランプワークとはバーナーを使ってガラスを成形する技法全般のことで、代表的な工芸はとんぼ玉。

 特別号のサブタイトルは「ガラスペン」。神戸とんぼ玉ミュージアムの企画展を記念して発行され、同展に出品されたガラスペンの写真が大量に掲載されるのだ。

 なぜとんぼ玉の美術館がガラスペンの企画を、と思われたかもしれないが、ガラスペン作家の殆どがランプワークで活動しているため。

 ランマガ特別号を読んだが最後、大勢のガラスペン作家を知ることになり、果てない物欲と金欠に苦しめられるのが容易に想像できた。

 買わない。選択肢はそれしか考えられなかった。

 自称・情弱の私もガラスペン以外については真面目に情報収集する。

 特に毎年決まった時期に開催されるハンドメイド系イベント。好きな作家さんが何人出展するか、それぞれどんな新作を販売するか、ブースを回る順番をどうするか――綿密な計画を立てないと欲しい作品は手に入らないのだ。


 とあるイベントでのこと。
 早朝から並んだ甲斐あって無事にお目当てのペンダントが買えた。

 イベント開始早々に目的を果たしてしまったので、あとは作家のSさんや他の常連さんたちとの雑談タイム。

「みねのさん、これもう買った?」

 Sさんが差し出したのは、あのランマガ特別号。そういえばSさんも企画展に作品を出してたんだった。

 正直にまだだと告げる私。だったら一冊あげよう、とニコニコのSさん。

 推しからのせっかくのご厚意である。過去の決意をあっさりねじ曲げた私は、Sさんにお礼を言って特別号を受け取った。


 その後の会話は特別号の内容が中心になった。

 私、常連さん、Sさんでページをめくる。

 作品はガラスペン作家ごとにまとまっていて、「これ本当に書けるのか?」と疑うほど凝りに凝った企画展ならではのペンが並んだページもあれば、普段から販売しているものばかりのページもある。

 その場で熟読はできなかったが、インタビューなども充実していた。

 Sさんは顔が広いので、私が「このペン、最近通販しました」というと即座に「ああ○○くんね」と返ってくる。

 まれにSさんが「この作家は知らないなぁ。誰?」と言うと、今度は私が「この作家さんは『吹き』の人だからSさんはご存じないかもですね」と答えたり。

 気がつけば一通り特別号を眺め終わっていて。

「……持ってない作家ひと、3人でした」

 ランマガ特別号に掲載されたのは38作家。

 私のつぶやきに、一同なんとも言えない表情になる。

 思ったより少なかったとはいえ「知らない作家」がいたことに変わりない。

 一緒になって苦笑いする私の内心では、既に物欲が狂おしいまでに燃えさかっていた。



ガラスペン路線バスの旅のはなし。

 旅先でとつぜん「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が始まることがある。

 ガラスペン蒐集でガンガンお金が飛んでいくため関東圏以外への遠征ができない、そんな私でもまれに旅費の工面ができる。

 いざ一人旅、と目的地にどう辿り着くか調べるのだが、交通手段の少なさ――種類も本数も――にしばしば困惑する。

 大学卒業いらい一度も車の運転をしたことが無い筋金入りのペーパードライバーなので、移動はいつも電車かバス。大都会の公共交通機関網の便利さが骨の髄まで染みこんでいる弊害だ。


 ある夏、岡山駅から湯郷温泉へ向かった。

 もともと岡山駅発のバスツアーに参加するための旅行だったけれど、ここまで来ることは滅多にないからと旅行日程を延ばし、有名ガラスペン工房を訪れることにしたのだ。

 岡山からの交通手段は路線バスのみ、しかもどうやら途中で乗り換えが必要。

 工房の予約時間という制限もあるため、気分はまさに路線バスの旅である。

 前夜にバスターミナルの下見する徹底ぶりが功を奏し、予定のバスに無事に乗り込んでホッと……はしなかった。乗り換えのバス停で下車するまで、下りたあとも次のバスが見えるまで不安は尽きなかった。

 乗り換え先は更に小さな車両。八月の暑いさなか、道を縫い細い橋の上を進む。

 景色の詳細は既におぼろげだが、窓から見る緑の濃さは憶えている。

 なんとか無事に湯郷温泉にたどり着き、ガラスペン工房では楽しい時間を過ごすことができた。

 その日は温泉宿で一泊。買ったばかりのガラスペンとインクで自分宛の葉書を書いた。


 翌日が東京に戻る日だったが、来た道を戻ったかと言うとさにあらず。

 湯郷温泉について調べた際、新大阪からの高速バスルートも載っていたのだ。さすがに帰りも冒険する気力は無かった。

 美作ICで時刻表を改めて確認する。

「この路線、出張でよく使ってたやつじゃん」

 今より前の仕事ではよく関西方面に出張していた。その際に乗り降りしていたバス停の名前は忘れようがない。

 岡山旅行の前は躊躇しまくっていた湯郷温泉行きだったが、実際はそこまで行き来が不便な土地ではなかったというオチ。

 高速バスって便利だぁ……簡単に県境をまたげるし、本数が多くてSuicaも使える。あの番組が路線バス縛りなのも納得です。


 さて、新大阪経由ルートを知ったことでガラスペン工房行きのハードルが大きく下がったと思うでしょう?

 新大阪経由の交通費は岡山経由の交通費と殆ど変わらない。むしろ高いかもしれない。

 結局のところ、旅費を貯められるかどうかが最初にして最大のハードルなのだった。



インク瓶のフチは要注意というはなし。

 ガラスペンはその名のとおり「割れ物」。

 軟質一般的なガラスではなく硬質耐熱ガラスを使っていても割れるときは割れる。

 ガラスペン愛好家どころか作家すらも「ペン先にインクをつけたあとインク瓶のフチで余分なインクを落とす派」「そんなことするなんてとんでもない!派」に別れているのは、ペン先最先端が最も破損しやすいから。

 前者は「割れないように気をつけよう」で後者は「割れる可能性があるならやるべきではない」という考えである。

 うっかりガラスペンを割ってしまった場合、硬質ガラスで作られた作家ものであればまず修理してもらえる。

 軟質ガラスだと作家ものでも修理不可のケースが多い。これはガラスの融解温度が低くバーナーで加熱すると関係ないところまでけてしまうからではないだろうか。


 ガラスペンを200本以上も買えば、それなりの確率で初期不良に遭遇している。

 初期不良はなにもペン先最先端の欠けだけではない。

 ペン軸の表面に施された波模様スイッチバックのヒビ。
 それとは逆に、模様の下にあるクリアガラスの芯だけに入った亀裂。

 通販したガラスペンの箱を開けたら軸が綺麗に3分割されていたこともあった。棒状パーツを丸玉パーツでつなぐデザインだったので、輸送中の衝撃が棒と丸玉の接点に掛かって折れたのかもしれない。

 たぶん「ガラスペンの初期不良」という言葉から連想されるありとあらゆる不具合は引き当てたんじゃないかと思う。


 あるガラスペンは一見してどこも破損してなさそうだった。試し書きでも問題ないように思える。

 しかし、ペンを傾けて書いた場合だけときどき引っかかる。針で紙を引っ掻いたような、極細のガラスがプチプチと折れていくような嫌な感覚。

 間違いない。このガラスペンどこかが破損している。

 怪しそうなところにアタリをつけてからインクを洗い落とし、爪先で軽くなぞってみるとほんのわずかにへこみを感じる。

 欠けていたのはペン先最先端より少し下、溝の凸部だった。

 いやーこれは検品通っちゃいますわ。こんな微妙な位置、普通は欠けないし気づかない。

 私の試し書きは1回つけたインクを全部使い切るまで書き続けるから、ペンの角度を変えまくる。だから異変に気づけたようなもんです。

 初期不良がわかったガラスペンは工房に持ち込み綺麗に直して貰ったので、もう書くときに違和感は無い。


 ガラスペンはその名のとおり「割れ物」。

 ペン先最先端ではなく側面でも欠けるときは欠ける。

 だから私は「ガラスペンをインク瓶のフチに当てるなんてとんでもない!過激派」なのだ。



薄暗い屋外でトラックの出入りを見守ったはなし。

 ガラスペンは同じ手順で作ったとしても少しずつ違う。すべて一点ものだから、ガラスペンの購入はイコール争奪戦になる。

 通販でいつも1本を争っているため、キングジムから透明ポメラの限定販売が発表されたとき「200台? 多いから余裕だな」と狂った感想を抱いたほど。

 このエッセイは勝ち取った透明ポメラで書いています。

 イベントでの先着販売であれば、まず考えるのは「何時に現地に着けるか」「待機列はどこに作られるか」「待機開始の時間にルールはあるか」だ。

 この手の戦略を立てるのに一番困るのは、イベント会場がデパートの催事場だった場合。

 どのエレベーターが最も催事場に近いか、更にそのエレベーターに乗るにはどの入り口から建物に入るべきか念入りに検討しなければならない。

 新宿京王百貨店で開催された「文具女子博インク沼」は入り口問題こそ無かったが、デパート開店までの待機場所が新宿西口の地上だったので通勤・通学する人たちの見世物状態だった。

 先頭の人は背もたれ付きのキャンプ用椅子を使っていた。驚愕パネェ。

 文具女子博は年中どこかでイベント開催している印象だが、やはり本番は年末の東京だと思う――と書いたが去年の会場はパシフィコ横浜だった。

 パシフィコでのイベント参戦は初体験で勝手がわからなかったが、過去同様に始発で会場に向かった。

 季節の関係でみなとみらいに着いてもなお暗く、Google Mapだのみで何とかたどり着いたパシフィコ横浜は、

 会場設営の真っ最中だった。

 トラックや什器、作業員や関係者が行き交う中、明らかに場違いな一般参加者。

 土地勘が無いため散り先がわからず、設営が終わるまで建物の外の邪魔にならない場所にいるしかなかった。

 幸いだったのは建物のドアが開け放されていてお手洗いを使えたことか。

 余談だが、設営が終わった頃に来た何人かの一般参加者は全員、私と同じガラスペン作家目当てだった。

 現地参戦を繰り返すと名前も知らぬ顔見知りが増える。
 よくある話である。



幸運を引き当てたときこそ周囲をよく見るべきというはなし。

 私はくじ運がすこぶる悪い。

 入場順が抽選のイベントだと平気で3桁後半の数字を引くし、ガラスペンの抽選販売が当たることも極めてまれだ。

 正直な話、ほぼ実力勝負の先着販売のほうが圧倒的に勝率が高い。抽選販売に関しては最初から諦めながら応募している。


 くじ運の悪さがこれ以上無いほど発揮されたのは、銀座の画廊で開催されたグループ展でのガラスペン販売でのこと。

 指定の時間に集まった人に整理券が配られ、あとから抽選で購入順を決めるという方式だった。

 整理券をもらった人数は、販売されるガラスペンの本数プラス3人。

 もうおわかりですね? 私はみごとにあぶれた側となりました。会社の年休を取ってこのありさま、つらい。

 肩をがっくり落として帰るしかないところ、奇跡的に1本ぶん購入キャンセル発生。

 あぶれた組で敗者復活のじゃんけん勝負を行い――勝った!!

 絶望からの大逆転、うれしさのあまりピョンピョン跳ねた。

 比喩表現ではない。本当にその場でジャンプした。

 そしてフリーズした。この販売会、Xの相互フォロワーさんも参戦していたのだ。最悪の身バレである。

 買った経緯を黙っていれば当のフォロワーさんは気付かなかったかもしれないのに、なぜ当時の私はバカ正直にXでつぶやいたのか。

 喜ぶときは素直に喜ぶべきだが、謙虚さを忘れてはいけないと痛感した出来事だった。



雲上人は一見それとわからないはなし。

 私見だがインク沼にはヒエラルキーが存在する。

 上流階級に位置するのはガラスペン作家などの作り手、有名文具店、そして美しい字のカリグラファーだ。

 私のような一般消費者は雲上人たちを仰ぎ見て作品にひれ伏すばかりである。

 逸般消費者、な気もするが。

 特殊ニブのはしりであるリボンニブは、関東では銀座蔦屋書店で初売りされた。これはカリグラフィー向きの幅広い線が引けるガラスペンだ。

 例によって綿密な計画を立てて買いに行った結果、文具売り場に一番乗りしてクリア軸のリボンニブを確保できた。

 私のすこし後、二人組の男性客が売り場に到着。うち一人がリボンニブの試筆をしてみたい、と言うので快諾した。

 するとその男性、驚くほど美しいカリグラフィーで試筆用紙を埋めたのだ。

 私に先を越されたことを残念がっていたので「緑の軸のがあるはずですよ」と伝えると、どうやら本命はそちらだったらしく、大喜びで購入していった。

 帰宅後にTwitter(当時)を見てびっくり。

 インク沼きっての人気カリグラファーが挙げた写真に、あの緑軸のリボンニブが写っていた。

 そりゃ試筆が芸術的なはずだわ。というかなんで気づかなかったんだ私。顔と名前の一致が今でも苦手だからか。

 それにしても、なんであの試筆を蔦屋書店に頼み込んで貰ってこなかったのか。

 正直、今でも後悔している。



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