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2.25全日本プロレス京都大会〜論理を破壊する暴力

欧州サッカーの最高峰であるCL。そこで様々なクラブを指揮し、常に高いレベルで安定した成績を残しているのがジョゼップ・グアルディオラです。グアルディオラといえば現代サッカーのベースと言われる5レーン理論を確立するなど、いわゆる戦術家としてのイメージが強いです。5レーン理論についての細かい解説はここでは省きますが、ざっくりえ言えば「今まで選手が感覚で行っていたプレーを言語化することによって再現性を高めたこと」とも言えるでしょう。

スペシャルなプレーをする選手に頼るのではなく、言語化によって再現性を高めてクラブ全体の底上げをする。これは競技問わず(更にはビジネスの世界などでも)言われていることです。ゆえに「仕組みを作ることが大切」とう考えに至ります。

一方でグアルディオラはバイエルン・ミュンヘン時代はレヴァンドフスキ。現在のマンチェスター・シティではハーランドという特別な選手を重用しています。彼らは「論理を超えた存在」です。多少プレーが崩れても。相手のプレスが強くても最後は単独でゴールを決める。ハーランドについては身体能力も異次元の選手です。

再現性を求める戦術家としての顔がある一方で。グアルディオラも「最後に決めきる区別な能力」は重視しているのかもしれません。

前段が長くなりましたね。今回はテーマは2.25全日本プロレス京都大会。世界タッグ王座決定戦(宮原健斗&青柳優馬VS諏訪魔&鈴木秀樹)の試合です。近年の全日本プロレスは19年の途中まで道場を仕切っていたあの選手の影響もあり。各々の選手の個性という違いはあれど。ベースとしては「言語化なりによって再現性(論理)を持った試合をする」という流れでした。それは今でも同じです。この日の試合で言えば宮原と青柳はまさにそうした「理屈や言語に即した動きで観客を相手をコントロールする」という選手です。また鈴木秀樹もそこは似ているように思いしました。

しかし一人その流れにない選手がいます。それは諏訪魔です。彼に再現性や論理がないわけではありません。しかし彼の魅力は「理論を破壊する暴力性」だとぼくは思っていました。それをしっかりと見せつけてくれたのがこの日の試合です。

試合終盤にエンドゲームで諏訪魔を絞り上げようとする青柳。諏訪魔がそこから抜き出すために用いたのは「ハンマーパンチで殴打し、絡みつく青柳ごと立ち上がり振りほどく」という形でした。更に青柳のロックスターバスターをくらい、諏訪魔は立ち上がると。走り込む青柳へラリアット一閃からのバックドロップ。カバーに入る諏訪魔へ宮原がブラックアウトを仕掛ければ。そのまま立ち上がり丸太をぶち当てるようなラリアットを繰り出す。そして最後は鈴木とのダブルのドロップキック→諏訪魔が青柳をバックドロップホールで3カウント(鈴木は宮原をダブルアームスープレックスホールドへ)。

近年のプロレスの攻防はスピードやテクニカルな切り返しで攻守が逆転する。ないしは格闘技的な論理で相手の攻めをくぐり抜けるという流れがあります。後者についてはこの試合が個人的に印象深いです。

理論を用いて再現性を高める。理論によって観客に根拠を印象付ける(一点集中攻撃なんかがそうかもしれません)。それは現代プロレスにおいてとても大事な点です。しかし「それさえあればよい」とはなりません。ハーランドのような「理論が崩れても決めきる特別な力」。それは諏訪魔の「圧倒的な暴力性」が近いかもしれません。そうしたものがあってこそプロレスのエンタメ性(その団体でしか見られない独自性)が生まれるとぼくは思います。

「特別な力」はなにも暴力に限った話ではありません。DDTに参戦したRAMPAGEの武知海青や、東京女子プロレスに参戦中のSKE48の荒井優希の輝きもそうした「特別な力」に類すると思います。

「特別な力」を持つ諏訪魔が躍動したこと。それは対戦相手の宮原&青柳の受けっぷりや鈴木秀樹の制御力があったことも、大きく影響しています。なのでこの試合に関しては「諏訪魔がすごかった」という印象があっただけではなく。「諏訪魔という決定力がある選手を全員で活かし、最後は諏訪魔が決めきった」という試合だとぼくは思います。だからこそ負けた宮原と青柳の格も落ちなかったのでしょう。

しかしこの試合を生観戦できた現地組は羨ましいなーーーーーー

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