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宮原健斗〜50年目の全日本プロレスのバトンを受けた者〜後編

前編はこちらより

6月の大田区決戦。ジェイク・リーとの完全決着戦に敗れた宮原健斗。三冠ベルトを失い9月の全日本プロレス50周年記念大会のメインが遠のいたと思われた。しかし7月に更に波乱が発生。14日という平日に開催された後楽園ホール大会。ジェイク・リーはVMに回帰した諏訪魔を相手にして三冠戦に臨んだ。試合自体はVMの反則介入などもあったが最後は圧巻のバックドロップホールドで諏訪魔がジェイクに勝利。ここで諏訪魔が戴冠を果たし、日本武道館大会メインの座席が一つ埋まる形となった。三冠王者諏訪魔は8月から開催する王道トーナメントからの欠場を発表。更に王道トーナメント優勝者と三冠ベルトをかけて日本武道館大会のメインで戦うことを宣言した。

日本武道館大会のメインの残る1つの椅子を巡り、総勢16名で争われた第9回王道トーナメント。宮原は1回戦でTARU、2回戦でサイラスに勝利。8月20日には準決勝で新日本プロレスの永田裕志に勝利し、決勝戦ではジェイクと対戦。6月に敗れたジェイクを今度こそはとシャットダウンスープレックスを完全に決めた宮原。見事王道トーナメントを制して日本武道館大会のメインの座を射止めた。

迎えた全日本プロレスの50周年記念大会である日本武道館。小橋建太やスタンハンセンなど多くのレジェンド。そして5000名近くのファンが固唾を呑んで見つめる中。黄金のガウン。そして全日本プロレスのファンとの約束「これから先も全日本プロレスを大好きな気持ちをずっと抱き続けさせるため」に。諏訪魔の合計4発のバックドロップを何度も跳ね返し。反対に2発のシャットダウンスープレックスを決めて諏訪魔を下し。ついに最高の舞台で至宝を再び己の腰に巻いた。

宮原の快進撃は尚も続く。日本武道館大会翌日には野村直矢との初防衛戦を決行。おそらくは史上初であろう2日連続の三冠戦。しかし宮原はここでも折れずに野村に勝利。勝利後は流石にすぐに立ち上がることは出来なかったが、己の姿をもって「俺が全日本プロレスを引っ張る」という覚悟を見せた。

年末の世界最強タッグ決定リーグ戦は大日本プロレスの野村卓矢と組んで出場。序盤の出遅れはあったが終盤からの猛スパートで優勝戦決定戦に進出。優勝をかけた石川修司とサイラスのスーパーヘビー級コンビとの試合では、二人のパワー殺法にに苦しめられるが最後までフォールは許さず。耐え抜いた後には必殺のシャットダウンスープレックスホールドで勝利への虹をかけた。これにより宮原&野村が最強タッグの優勝。これにより23年は1月2日に世界タッグ戦(諏訪魔&KONO)。翌3日に三冠戦(パートナーの野村卓)というカードが決定。23年も宮原がスーパーエースとして年頭を飾ることとなった。

全日本プロレスは日本のプロレス界におけるいわば保守本流である。創設者のG馬場という存在から王道プロレスという言葉も生まれた。しかしそこから時は流れた。G馬場の逝去から20年以上も経過し。「王道プロレスとは何なのか?」「全日本プロレスとは何なのか?」。50周年を迎えるにあたってその解から逃れることはできない。そんな中で宮原が見せた姿勢。単純に試合だけを見ればそれは王道プロレス(G馬場のプロレス)ではない。鶴龍対決でも。四天王プロレスでも。武藤全日本の試合でも。秋山全日本の試合でもない。何者でもなく宮原健斗の試合だった。

では王道プロレスではない。過去の試合ではないのであれば。そこに「全日本らしさ」は存在しないのか?そうではない。スタイルは異なれどそこには観客を笑顔にさせる明るさが。ときにリラックスさせる楽しさが。クライマックス時に自然と足を踏み鳴らす激しさが。そうした哲学は今現在も存在する。そして何よりも。それを求める観客の期待に必ず。いや期待値以上で応えてくれる。そうした絶対的な安心感を宮原は観客に与えている。更にはそれを次の時代にも継承させる強い意思もある。

全日本プロレスの50周年という記念すべき年に。何かに導かれたかのようにバトンを受け継ぐべき継承者が存在していた。それは神の意思か?はたまた…。

スーパーエース宮原健斗を超えることは簡単なことではない。しかし1年前には思いもよらなかった可能性が。今現在全日本プロレスには生まれつつある。もちろん宮原は次代の継承者候補がいようとも。そう簡単にはエースの座を宮原が渡すことはないだろう。宮原の全日本プロレスのスーパーエースとしての立ち位置は完成されたが、まだ残されたことはある。「プロレス界のスーパーエース」という立ち位置。それを近い将来得ることで。プロレス界自体がさらなる最高に至ることを期待したい。

終わり






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