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夏の積乱読日記

  夏が終わり、湖畔は心地よい季節を迎えました。今年の夏はまあまあ本を読みました。「昭和初期の日本史を知る」というテーマに沿って何冊か読み終えて、興奮冷めやらぬまま、5万字くらいのものを書いたのですが、何をそんなにイキって読んだ本の要約をしているんだろうかと冷めてしまい、全部ボツにしました。

 昭和初期の日本史というテーマに興味を持った理由は以下の4つです。1.安倍前首相の2020年の戦没者追悼式典における演説の表現に引っかかるものがあったこと。2.『五色の虹』/三浦英之を読んで、戦前戦中の満州に興味が湧いたこと。3.『五・一五事件』/小山俊樹を読んで、当時の日本の世論形成(犬養毅を殺した殺人犯、クーデター犯に対する減刑を求める、同情的世論があった)について、関心を持ったこと。4.コロナ禍の日本の世論や政治的決定プロセスの雰囲気と戦前期のそれに共通するものがあるかないか、あるとしたら何かという疑問が湧いたこと。

 以下が読書リストです。加藤/半藤両氏の史観を軸にしたのは、一次資料、二次資料の出典が明確で、その解釈についても納得のいくものだったからというものが主な理由です。また、その他の本と整合性も取れていること、加藤氏の学術的な評価も特段の問題がないことが挙げられます。

 通史理解の基軸とした本
『それでも日本人は戦争を選んだ』/加藤陽子  ★
『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』/加藤陽子 ★
『とめられなかった戦争』/加藤陽子
『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 上』/NHK取材班編著 ★
『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 下』/NHK取材班編著 ★★
 特に下巻は日本の大衆メディアが戦争に乗っかってどう成長していったのかがよく分かるので、おすすめ。
『昭和史裁判』半藤一利/加藤陽子 ★★★
 政治家個人に焦点を当てて、彼らが果たした/果たさなかった役割について論じている。松岡洋右の国連脱退の裏話や、熱河事変に関する昭和天皇の勅令もみ消し、昭和天皇本人に対する評価などが面白い。
『昭和史 1926-1945』/半藤一利

各論
『なぜ必敗の戦争を始めたのか』/半藤一利編
『ノモンハンの夏』/半藤一利 
『日本の一番長い日』/半藤一利 ★★
『五色の虹』/三浦英之 ★★★
 事実は小説より奇なり、この本単体で読んでも非常に面白いです。
『五・一五事件』/小山俊樹 ★★★

メディア、世論関係
『空気の研究』/山本七平 ★
『戦う石橋湛山』/半藤一利 ★★

戦後処理
『日本人の戦争観』/吉田裕 ★★★
 戦後、日本人は15年戦争をどのように受容し、解釈していったのかということを、アンケートや戦争に関する刊行物の綿密な調査を通じて明らかにした本。良い本だと思います。
『昭和史 戦後編』/半藤一利

 今回私が知り得た事項は要約すると、以下の4点です。
 1.失敗の主な理由は大日本帝国憲法の枠組みに根本的な欠陥があった。大日本帝国憲法においては、軍の統帥権と内閣の政治決定権を総合して判断する機関は天皇のみという設計であったが、(軍と内閣の意見が相反した場合は天皇が最終決定を下すという仕組み)、天皇に政治責任や戦争責任を負わせることがタブー視されたために、大正時代までは事実上、元老や枢密院が事実上の政策決定最上位機関として働いていた。しかし、元老の逝去後、最上位決定機関が空白となり、誰も決めない、責任を取らない、内閣や軍が独断で判断しても、良く言えば聖徳太子以来の日本の伝統である「和をもって尊しとなす」方式に突入し、全ての意思決定がゴテゴテに回って開戦→敗戦を招いた。この雰囲気は2020年に通ずるところがある。


 2.国際情勢を見誤った。1920年代の国際情勢の雰囲気はヴェルサイユ体制以後、1920年代の国際情勢の雰囲気は、「反戦、軍縮」であったが、日本政府/軍部はそれを見誤った、もしくは無視した。満州の統治や日中戦争の幕引き、太平洋戦争の開戦間際の駆け引きなどについても、国際社会から再三譲歩の条件が提示されていたが、名を捨てて実を取ることができず、結果として国際連盟脱退〜日中戦争の開戦〜戦争の泥沼化を招いた。こうした国際情勢の読み違いは世論レベルにおいても深刻であった。


 3.メディアや当時の世論の戦争責任がうやむやにされている。同時代の日本の世論は庶民から文学者まで、(石橋湛山を除いて)猫も杓子も侵略や開戦、軍拡について賛成意見だった。日本の全国規模メディアも戦況報道に乗じて成立し、規模を拡大してきた経緯があり(親族友人が送られた最前線の情報を国民は知りたがる)、好戦的な世論がフィードフォワードに働いて、戦争を支持する報道が加熱した。軍や内務省の検閲だけが問題だったのではない。


 4.戦後処理も曖昧なままに終わった。冷戦のフロンティアであるという地政学的な理由から、戦争責任の所在はうやむやにされ、東京裁判で陸軍がスケープゴートになり、細かい検証がされないまま海軍善玉陸軍悪玉論、昭和天皇に対する責任追及不問という空気が出来上がっていった。こうした曖昧な戦後処理が、歴史認識問題としてアジア諸国との間の軋轢となって、今日に至っている。

その他に読んだ本は以下の通り。
『イッツ・オンリー・トーク』/絲山秋子 ★
いわゆる「うつ病」が気軽に吐露されるようになった時代の到来を象徴する00年代初頭の作品。空気の色は変わっていないですが、時代が下って貧困や暴力がより切実に差し迫っているでしょう。

『東京飄然』/町田康 ★
町田版モヤさま。若干原稿料稼ぎ的な匂いを感じなくもないが、町田節は全開、何も考えずに読むのに最適。ファン以外が読んでも何のことやらだと思います。

『資本主義リアリズム』/マーク・フィッシャー ★★★
再読。やはり共感するところが大きいです。個人的にいろんな考えの種本になっています。これを起点にしつつも、加速主義的な方向に与したくはないというのが今の心情。

『チョンキンマンションのボスは知っている』/小川さやか ★★★
人類学者が香港のウガンダ人コミュニティの人的つながりについて調査した本。私自身がミャンマー駐在時にお世話になった友だちや先輩が形成していたコミュニティを彷彿とさせ、非常に懐かしく、リアリティを持って読めました。マーク・フィッシャーの資本主義批判に対するオルタナティブなアンサーにもなっていると思う。

『知覚の扉』/A・ハクスレー ★★

50年代のUKの知識人がメスカリンを食って、その効用について綿密に記した本。一種の芸術論にも、禅論、マインドフルネス論にもつながっています。70年代のヒッピーのバイブルになったことも頷ける。今後こういう本はもう出せないでしょう。ペヨーテ食って気付いたらビルを破壊して、警察に捕まった友だちのことを思い出しました。

『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか』/Matt Wilinson ★

自然科学っぽいものも読んでおこうと一冊チョイス。進化に関する本。11月に100キロ歩く予定なので、歩きとは何かという観点から。歩行による報酬系回路の形成が人間の移動の動機になっているという話が面白かった。ランナーズハイ的なエクスタシーのみならず、頭を使って道筋や移動計画について色々予測を立てながら歩いた結果、その予測が正しかった、うまくいった時に得られる快感みたいなものも歩行のモチベーションとなっているとのこと。



以下は、ボツ記事の序文です。供養のために掲載しておきます。

 突然ですが、安倍首相の2020年の戦没者追悼式典から一部を抜粋してみたいと思います。

 「今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。」

 当たり障りのない手垢のついた表現ですが、よくよく考えてみるといくつか疑問が生じます。まず、「平和と繁栄が戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれている」とはどういうことなのでしょうか。犠牲と平和の関係性が曖昧です。両者の間にはいったいどのような関係があるのでしょうか。
 素直に解釈するならば、「尊い犠牲」がなければ、「平和と繁栄」が実現できなかったというように解釈できます。そうだとすれば、まるで、圧政を敷いていた悪しき為政者たちを倒すための市民革命の犠牲者、もしくは侵略を受けた国の国防の戦いの犠牲者への追悼文のようです。
 しかし、15年戦争は政権打倒や国防の戦争ではありませんでした。むしろ諸外国に対する攻勢に出発点があります。終盤には日本列島も攻撃を受けていますが、それは諸外国に対する攻勢を中止しなかった顛末です。その結果起こった犠牲が「尊い」のかどうかという疑問も生じるでよう。自分で殺した仲間の死を「尊かった」などと言うのは、落語か漫才のオチくらいのものです。
 戦争の結果、物理的、経済的に得たものは何もありませんでした。逆に多くのものを失いました。その後の日本の成長は植民地なくして成し遂げられたものであり、偶然に冷戦の恩恵は受けたものの、概ね石橋湛山が戦前から主張していた小日本主義的な路線の上にあります*1。本当に、あの戦争での犠牲がなければ「平和と繁栄」は訪れなかったのでしょうか。
 「あの戦争がなければ日本は無きものにされていた」と主張する人もたまにいます。しかし、リットン調査団などの資料を見れば、欧米諸国が日本を潰そうという気はさらさらなかったのは火を見るより明らかです。ヴェルサイユ体制以後、20年代は反戦と軍縮というのが国際情勢のキーワードでした。外交での交渉による問題解決が主流になりつつあるで、むしろ、欧米諸国はソ連と中国が接するところの極東のバランサーとして、安定して存在して欲しかったようです。また、後述するように、日本に有利な条件で戦争を避けるチャンスはいくつもありました。そして何より、日本は戦後、戦争をしなかった場合よりも多くのものを失ったが、なんとか形だけは保って今日まで存続しています。それが戦争など必要なかったことの何よりの証左でしょう。
 最初の疑問に戻りましょう。史実を踏まえて、自ら攻勢に打って出た戦争において、同胞の「犠牲」によって、得られた「平和と繁栄」とはいったいどういうことなのでしょうか。論理的に解釈するならば、それだけの死者を出して初めて、「平和」に気付いたのであり、「平和」に気付いた結果「繁栄」がある、という解釈以外ありえないように思われます。「かつての日本人は相当数の同胞を失わなければ、平和の重要性に気づかなった」という悔恨と捉えるのが良いでしょう。(史実に基づいた他の解釈があれば、提案してほしいです。) それを「尊い」というのはいささか人の死をバカにする皮肉に響きます。負け賭博につぎ込んだ大金を「ギャンブルをやめるための尊い勉強代」と言っているのと同じに聴こえませんか。
 疑問はまだあります。「私たちは決して忘れません」という表現です。さきほどの解釈に従えば、「かつての日本人が大量に同胞を失わなければ、平和の重要性に気づかなかった」ことを「決して忘れない」と言っているのですが、1930年代から1945年にかけて日本で起こったことを時系列にまとめて1000字程度でまとめよと言われて、書ける日本人はどれだけいるのでしょうか。タモリ倶楽部の視聴率より低いように思われます。私自身、センター試験レベルであればほとんど間違えない程度に日本史を学んだことがあるにもかかわらず、満足に書くことはできません。受験生だった当時でも難しかったでしょう。それで「忘れていない」と言えるのでしょうか。甚だ疑問です。
 戦争なんてやりたくないというのは、おそらく誰でも理解できることです。戦争をやりたいという人は、自分や自分の大切な人が戦争で死ぬことを想像できない人か、血や死体を見るのが好きなサイコパスくらいでしょう。それでも戦争が起こったことが不思議で仕方なく思うし、その事自体が恐ろしい。
 一方で身の回りを振り返ってみれば、そんなことは日常茶飯事でもあります。例えばイジメやハラスメントの問題がそうでしょう。イジメは良くない思っている人や、イジメの話を聞いて心を痛める人が世の中のほとんどなのに、世の中ではイジメが横行しているのはなぜでしょうか。おそらく誰もクリアカットに答えられないと思います。
 誰もが避けたいと思っていること、「そうはならないだろう」「そうなって欲しくない」と思っていることがいつの間にか現実と化すこと、いつの間にか自分がそれに加担していることは往々にしてあり、それを避けること自体、相当の意志とテクニックを要するのだと思います。そんなことを、ぼんやりと考えていました。
 だからこそ、この夏は1930年から1945年の日本史について勉強してみたいと思いました。資料が十分に揃っていて、それでいてそう遠くない過去という特性上、客観的に分析できる距離感にありながら、統一された理解が社会に浸透していない題材という点に興味を惹かれたからです。
 他に学ぶべきことは色々ありましたが、相当の時間を割きました。踏み切った理由は他にも色々あります。1つには、若くて柔軟な頭があるうちに一度深く考えてみるべきテーマだと思っていたことです。私は今年で30になってしまいました。ここまで来てしまうと、物事の見方をに変化させられる柔軟な思考力と感性が備わっている時間帯はそう長く残されていません。また、偶然に『五色の虹』という本を読み、満州建国大学という存在を知って、満州とはなんだったのかということに興味を持ったのもあります。となると、満州事変から連なる15年の戦争にも興味が出てくる*1。『五・一五事件』という今年出た中公新書の新刊がすばらしく面白かったのもあります。去年の夏は幼少期を上海で過ごし、帰国後に15歳で終戦を迎えた祖母に戦争当時の状況を一日かけて当時の雰囲気をインタビューしていました。その延長線上で、もう少し最新の学術的見解に触れてみたいと思ったことも理由の一つです。
 『暴力の時代が来る』という記事に書いた問題意識から、本来、意思決定すべき人物や機関が責任を取りたがらず、あらゆることが曖昧なまま、空気で世の中の趨勢が決まっているこの2020年の雰囲気が、15年戦争の頃と似ているのではないかと直感したというのもあります。
 元号が平成になった直後に発表された『昭和天皇独白録』以後、昭和天皇回りの情報も徐々に公開され、昭和天皇にたいするタブーも少しずつ薄れてきています*2。新たに公開された外交文書や、当事者たちが亡くなり、遺品の公開などが進み、二〇〇〇年以降、日本の近現代史の研究は急速に進んでいる印象も受けます。そして、加藤陽子氏の一連の著作をもって、外交史、政治史的な側面からは学術的なレイヤーで一旦の決着がついているようにも思われます。
 一方で、メディアや世論がどのように戦争に加担したのか、そもそも国民の世論そのものがどう戦争に加担したのかといったことはまだあまり顧みられていないようです。東京裁判も含む戦後処理においては日本陸軍が一種のスケープゴートとなり、話が単純化されました。そこには冷戦下における地政学的な衝突地帯におけるGHQの思惑も絡んでいたようです。そのおかげで、「メディアや国民は軍部の被害者だった」と、いつまでも被害者ヅラをしているのが現状です*4。イジメの例で再考してみたいと思います。「あのときはジャイアンに従うしかなかったんだ、だから、イジメに加担させられた僕も被害者なんだ」というスネ夫の意見を、イジメられた側のび太がおいそれと納得するでしょうか。もしくイジメられたのがのび太ではなく、あなたの子どもだったら? 自分の間違いを認めることは辛く、難しいことです。
 そしてそれは、教育現場やマスメディアで行われているような、太平洋戦争末期の悲惨な状況を各論的に読み聞きするだけの行為では達成されず、むしろそこに至るまでに何が有り、何がそれを動かしたのか、それを決定した人の思考に何があったのか、それを享受した人々の思考は一体どのように変化したのか、に着目することなくして理解されることはないと思われます。
 今回の読書の目的は、世の中に対して正史理解や反省を促すという主張にあるのではなく、今後周囲の環境が似たような状況に陥った時に、その香りをいかにしていち早く嗅ぎ取り、私自身がどのように行動すべきかという規範を作り、私淑する友人たちをどのように守るかという戦略を立てる点にあります。おそらく違った理解もあるでしょう。しかし、私の今後の人生のために役に立つと思われる解釈を施すことが目的です。
 

*2 天皇関係の文章は相当に秘匿されているらしい。皇族関係者もアクセスが難しいという。平成天皇が明治天皇がかつて歌会で詠んだ和歌の内容(政治的な内容ではない)を確認するのに何ヶ月もかかったとのこと。昭和天皇は戦中、戦後を通して日記をつけていたらしいが、誰もそれを見ることはできないようである。出典『昭和史裁判』半藤・加藤

*1 現代の視点から見れば、満州事変とは1945年のポツダム宣言受諾までの15年戦争の開始地点として捉えられているが、同時代においては、そこから15年戦争を続けるという目論見や観測はなく、むしろ日露戦争で獲得した満鉄の利権に絡んだ一種の戦後処理的な捉え方をされていた。
出典『それでも日本人は戦争を選んだ』/加藤陽子,『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 下』/NHK取材班編著

*3 出典『戦う石橋湛山』/半藤一利
*4 出典『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 下』/NHK取材班編著

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