見出し画像

INFJが「価値観を見つける10の質問」やってみた

今日も今日とて自己分析。

こちらの動画を参考にさせていただきました。


れっつらごー

1.会った時に刺激を受ける人は?それはなぜ?

高校時代の友人S。
人混みにいても自分の形を保てるところに憧れるから。
人の顔色をうかがうことを嫌う(というより「何でそんなに気にするの?」)スタンスで、やりたいことをし、やりたくないことはやらない。
自分が今を生きることに集中できるところが強いと思う。
そう生きてみたいと心の底から憧れる。

2.人生で大きな決断をした時の判断基準は?

人生で大きな決断と言ったら浪人することかな。
「最後までやり遂げたい」と思ったから意固地になった。
こういう時の頑固さは我ながらドン引きするほどだけど、ここまでこだわる時は周りがどう言おうと自分が納得しないと分かっているので…
「判断基準」の答えになってない気もするけど、とにかく無性に「こうするんだ!」と一方向しか見えない時は必ず従う。
普段は慎重すぎるほどあれこれ先を考えてしまう自分にとっては貴重な衝動。

3.これまでの人生で一番努力した経験は?

この手の質問には就活中にもとても頭を抱えた。
なぜなら本音で言えば「生きることに努力している。」が答えだから。
周りから見れば「浪人生活」とか「卒業研究」とか、そういう「もっと大変なイベントがあったんじゃないか」と思うんだろうけど、そういう何かの目的・ゴールに向かってひたむきに取り組むことはさほど苦ではないし、努力とは感じない。
そんなことよりも、自分が納得できる答えのない「生きる」ことの方がよっぽど努力していると思う。
(でもこれをそのまま言ってしまったらめんどくさいだろうから困る)

4.親の生き方のどこが好き?どこが嫌い?

父の生き方
・好き:堅実に目の前のことを見て生き、先のことは何か起きてから対処する自信があるところ
・微妙:感情よりもルールや規則が絶対で、誰にでも弱さがあることを認めないところ

母の生き方
・好き:身内のためなら身を削ってでも尽くそうとし、何が起きてもまずは相手の事情を汲み取ろうとするところ
・微妙:被害者意識がやや強く、たまに感情が暴走するところ

5.嫌いな人、苦手な人はどんな人?

傲慢な人。反省しない人。
もう一つ言うと「お互い様の精神を欠き、自分にも当然欠点があることを見落として他人を批判する人」があるけど、これはブーメラン。
そう思わない人間になることが今の目標(悟りの境地だよ)

6.どんな教育方針で育った?

・嘘をつくな
・時間を守れ
この2つだけはお尻叩きの対象だった。
どちらも信用に関わることなので大事だよね。

7.好きな有名人、周りの人、キャラクターは誰?

スヌーピーのように生きたいと思うことはある。
自分の内側に湧く喜怒哀楽を素直に感じ、ちょっとキザに表現し、好き勝手に生きているよう見えて他人の傷みには誰よりも優しく寄り添えるキャラクター。

8.これまでで一番感動した出来事は?

3.の努力した出来事と同じで、答えに困る問い。
日々のちょっとしたことに感動の連続だから(例えば冬なのに便座があったかい時とか)、何か特定のイベントで感動した!という記憶はあまりない。
強いて言うなら「大人になってから方丈記を読み直した時」とかかな…

9.これまでに読んで一番好きな本は?

トーン・テレヘン作「ハリネズミの願い」
正直「星の王子さま」と迷うし、気分によってどちらが一番好きかがコロッと変わるけど。
弱さに寄り添いたい時は「ハリネズミの願い」派で、勇気が欲しい時は「星の王子さま」派かな。
どちらも違った目線から「集団の中での孤独」を愛したくなる作品。

10.死んだあと、どんな人だったと言われたい?

「優しい人」「ストイックな人」「愛情深い人」「こだわりの強い人」…
何でも良いから、会いに来てくれた人みんなにそれぞれ異なることを言ってほしい。
自分が持っている複数の自分の顔を一つでも多く認められたと感じられたら嬉しいんだろうな。
1人に全てを見せることはとてもじゃないけどできないから。
みんなの中に「私にはこう見えていた」っていうものがあったら良いな。
その姿がどんなものであるかはどうでも良いのかもしれない。

*10の質問を終えて

最後の問いについてはこれまで考えたことがなかったので、新たな気づきを得るきっかけになった。

よく「INFJは人の目を気にしすぎる(どう思われているか気になる)」と説明されるが、自分にはその傾向はあまり当てはまらないのではないかと感じていた。
(HSPの気質が「気にさせている」と感じる時はたまにあるが)

なぜ当てはまらない(=私は人の目を気にしているわけではない)と感じるのか。

私は、とにかく相手が許容してくれればそれで良いのかもしれない。
そもそも「相手が私のことをどう思ったか」の部分は私にはどうしようもない。
その後の部分、相手が私について何らかの印象を持った結果、「私を対等な生き物として認めたかどうか」ここが問題になるのだと思う。

「対等な生き物として認められていない」と感じた時、その相手は5.で見た「苦手な人」と判断しソッと距離を置くのだろう。

「対等な生き物として認められている」と感じたなら、「どんな人と思われているか」まで掘り下げる必要はない。

そもそも自分がどんな人であるか分からないまま、分からないことを良しとして生きているんだから、周りから「こんな人」と口を揃えて言われるはずもない気がする。

果たして、私の友人たちは私を「どんな人」だと言ってくれるのだろうか。
想像するだけで楽しい。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?