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【介護日記】認知症母とつむぐ新しい街での日々


「ねえ、ほんとうに大丈夫?」

何度も、いろんな人から聞かれながら、この秋に引っ越した。


コロナウィルスが依然猛威をふるっている中、母と小さくなりながら、そうっと都会を抜け出し、この街にたどり着いた。

故郷に戻りたくないといった母が、唯一首を縦にふったこの街は、私が二年だけ大学生活を過ごした土地でもある。


母はアルツハイマー型認知症で、今は物忘れよりも、うつ症状が強い。
きっとそれは構うヒマなんてないくせに都会に独り呼び寄せた私のせいで、でも今悔いてもどうしようもなくらいだけど、虚ろになっていく母の姿を見ないようにして横目で見つめてきた私も、仕事のストレスも加わり、気づけば二人して心の沼を大きく広げていっていた。

そうして、慣れない都会での生活に、母と二人、自家培養した底なし沼の淵に立ち、ゆっくり倒れそうになっていた。

だけど、この街に越してきて、私たちの沼のまわりに小さな草花が咲いていたり、人々が生活を営んでいる声が聞こえてきたり、気持ちのいい風が吹いていることに、少しずつこわばった体がゆるんできている。


場所を変えたからといって、劇的に状況が好転するわけでも、私のとげとげしい言動がずっと和らぐわけでもない。
母の認知症がすっかり消え去って、以前のように快活で生にあふれた彼女に戻るわけでもない。

それでも、朝夕に聞こえる
「おはよーございます!」
「お、今日は早かね、忘れもんないね」
「大丈夫!いってきまーす」という子どもたちと近所の人々の会話や、
知らない者同士でもスーパーで隣り合わせれば「今日は柿の安かごたね」と自然と話す人懐こさ、
ゆっくりぼんやりと歩く老人たちのスピードが街の流れになっているこの環境に、
知り合いもいない土地でうずくまっていた母の心も、仕事に追われどこにいるかわからなくなっていた私の心も、日々ほぐされていっている。

散歩中、鼻歌を歌うようになった母。
言葉を発するようになった母。
よく食べるようになった母。
おだやかに笑う母。


「ねえ、ほんとうに大丈夫?」

そう聞いてくれた方々に、今のところはこう答えられる。

「この街でなら、生きていけそうです」



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