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2回の流産に続き、死産した私の話

タイトルのままです。
以下、「妊娠・出産」に関わるセンシティブな内容が含まれているのでご了承ください。
また、あまり構成も考えずつらつらと書いていきます。

2度流産に続き、次の年、私は死産の処置を行いました。
安定期はとっくに過ぎていて、25週での子宮内胎児死亡となりました。

少し事務的な説明になりますが、
法律で言う「死産」…妊娠12週以降(「墓地、埋葬に関する法律」にも対応していて、12週以降は火葬が必要でもある)
医学的定義で言う「死産」…妊娠22週以降(「生育限界」と言って、現代の医療で救える限界が22週以降とされています。中絶できるのは22週未満、逆に22週未満の胎児に何かあっても助けてくれません)

どちらにしろ死産なんですけどね。
ただ、22週過ぎている場合、生まれて少しでも息があれば「出生届」を提出します。と同時に「死亡届」も必要です。この場合、戸籍に残ります。
今回の場合既に亡くなっていたので、戸籍には残りません。

それが良いことか悪いことかは人それぞれだと思いますが、私自身はこれが最後の妊娠と決めていたこともあり、戸籍に残したかったなというのが本音。
…でも、もう諦めます宣言しておいて、その一方「じゃあもうベビー肌着捨てるか!」という気持ちにもなれませんでした。情けない。
スポーツや勉強であれば、たとえ目標通りではなくても、過程は残ります。東大理Ⅲではなくても、その人なりに結果は残ります。
さすがに「死ぬ気で頑張ってもFランでした」っていうのは、ほとんど聞いてたことないです。
でも、妊娠・出産は違います。6週だろうが12週だろうが、39週だろうが亡くなってしまえば(子供がいない場合、法的には)親にはなれません。養子等は別として。「次また赤ちゃんくるよ」と言っても、その子と亡くなった子供は別です。
(「戻ってきてくれた」と言う人もいますけど)

ちなみに私の心境としてはもちろんショックなのですが、自分の過去の過ちを考えると、子供に罪はないけど因果応報かも、とも思っています。
不適切な表現かもしれませんが「バチが当たった」と言う人がいてもおかしくないです。「ざまあ」と言う人もいるでしょう。

また、「失う」というのは悲しいことですが、「得る」ことがあったからこそ起こることでもあります。
特に「大切な人を失う」経験、誰もして欲しくないですが、ではその人がいなかったらそれで良かったのか?とも思えません。
今この文章を読んでいる方の中にも、両親や兄弟姉妹、子供、配偶者、パートナーetc...を亡くされた方がいるとは思いますが、
とっても悲しいと思いますが、でも「いなければよかった」とは思わないのではないでしょうか。
その人がいたからこそ経験したわけです。
なので私は悲しいですが、そこまで絶望的な気分にならなかったというか、自分の人生の一部として、もう天に帰った娘を忘れず、一歩一歩進んで行こうと思っています。
私が、もう使うことのない母子手帳に書き込んだ言葉は、「生まれてきてくれてありがとう」「短い間だったけど、一緒に過ごせて楽しかったよ。」でした。もちろん生きてるわけじゃないですけどね。

ちなみに「死産」の処置ですが、一般的な出産と何一つ変わりません。
人によっては「普通の出産より少し楽なのでは?」と思う方もいるかもしれませんが、まーったく変わりません。
ましてやある程度の週数になってしまえばなおさらです。
私の場合、25週の胎児とはいえ頭の大きさはすでに7センチ、身長は30センチを超えていました。
誰が見ても立派な「人間の子供」でしたから、促進剤を使って普通分娩でした。
とはいえ私も一人目よりはるかに小さいので正直「前よりマシかな…?」なんて思っていたのですが、逆でした。
3500gオーバーの一人目より痛いのなんの。いやーあれはもうやりたくないです。。。
…しかもその苦しみの先には、何一つ希望がありません。
他の陣痛室の女性は、全員苦しみの声の後に産声が聞こえていました。その中でたった一つしかありませんでした、産後静かな部屋は。
立て続けに響き渡る産声、喜びの声、希望に満ち溢れる状況が、壁1枚隔ててあるわけです。これは精神的にきついものがありました。

産後も、以前はあれだけ恋しかった「誰にも邪魔されない食事」「静かな就寝」がこんな形で叶うことになると思いませんでした。
棺に入れられたわが子の亡骸の横で(病院側の配慮もあり、死産でも母子同室になりました)、黙々と食事をしていました。
寝るときも、誰にも邪魔されません。母乳を欲しがる赤子はいないわけですから。
静寂がこんなにも辛いものになるとは。

先ほど説明したように、「産後」ですからダメージも変わりません。
ただ、お腹の子供は頭を下にしていたことや、綺麗な卵膜に包まれて出てきたこともあり、お腹の中のダメージは最小限に済み3日後には退院できました。親孝行な娘です。
ですが、退院した次の日には火葬する必要がありましたので、私は急いで子供服を買いに行き、ミシンを使って彼女に合わせたドレスを家で作りました。
女の子でしたから、フリルやレース、リボンのついたかわいらしいドレスです。彼女にとっては最初で最後のお洋服です。
家庭科の成績が壊滅的だった私にしては、上出来だったと思っています。
"生まれて"から見送るまで2日間もなかったのですが、それは良い思い出になりました。
お友達を作ることもなく旅立つので、棺が置かれているベビーベッドにはたくさんのぬいぐるみを置いておきました。私が母親としてできたことはそれくらいです。

そして今は、既に小さな骨壺に入っています。悲しいですが、仕方ありません。
自分の娘の骨なんて拾うもんじゃないですね。

以上が私に起きた、5日間の出来事でした。たった5日間ですが密度の高い日々を送っていたような。
もう気にすることのないカフェイン飲料を、未だに躊躇いながら飲んでいます。
ちなみに死産というより周産期死亡(妊娠22週以降の死産と、生後7日以内の新生児死亡)というのは妊婦1000人のうち2人くらいしか発生していないようですね。胎児死亡の原因となった臍帯過捻転(へその緒が捻れて酸素が行かなくなる)も、何千分の一の確率で起きる不運な事故だそうです。なので、自分のように流産と死産をここまでやっている人は珍しいかもしれません。

それも運命ですね。あとは子宮ガンの再検査が良好になっていれば良いのですが、自分の場合はどうでしょう。
どういうことが起きようと、その現実を歩むしかありません。希望も人生、絶望も人生。
自分ができることは、やはり現実を受け入れ、それを糧に生きることぐらいでしょう。

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