「死」の5月と6月〜無事生還〜

タイトルの通り。

死にまつわる重くて暗い内容ががっつり出るので、

そういう話ききたくないって方は今のうちにどうぞブラウザバックしてくだせぇ。

とりあえず、7月、わたし、無事生還した!!!

まず祝いたい!ほんとによく帰ってきたわ!よくやったねわたし!おめでとう!おかえり!と。

そこまでして、一体何があったの?っていうと

まず、5月にわたしの父が体調崩して、救急車に運ばれ入院して、なんとか回復したって出来事があった。

急に体調を崩して、さっきまで元気だったのが一変して身動きがとれないぐらいになってしまったので

正直「死」を感じてすごく怖かった。

今回父が悪くなった箇所の場所が良くなかったこともあって、ほんとにヒヤヒヤした。

すこしでも悪化がすすんだら、命に関わるようなレベルだったから。

人ってこんな簡単に死んでしまうんだなって。(父は死んでないけど)

人は一瞬で弱く脆くなってしまうものなんだなーって思った。

実は、私はお父さんとの関係はあまり良くなくて、あることをきっかけに私から一方的に避けるような態度をしていた。


そして、不思議とそのことを父にちゃんと伝えなきゃ、と、父との関係を1人の人間として正したいなと思っていた矢先で


父が体調を崩してしまったのだ。ほんとになんだか不思議だった。


生きているうちに、ほんとのじぶんのきもちを相手に伝えるってすごく大事なんだなと余計感じた。


父が無事回復してから、父にほんとのじぶんのきもちを伝えた。


解釈の行き違いとか、1人の人間としてお互いを再認識したりと、いろいろとわだかまりが解けて、今はすっかり仲良くなった。

ただ元に戻って仲良くなるって感じではない。

なんか心が通い合っているような、

滞っていたものがスーッと通った感覚だ。


そして、来たる6月。


本格的な、私の「死」が起こった。


実は、ちょっと父の話にも関わるんだけど、5月あたりから「先祖供養」というものをやっていた。


その供養の中には「家系のブロックを解放するワーク」


というものがある。


それぞれの家系にはそれぞれの家系ごとに無意識に存在する価値観や考え方、がある。


それを生きてる私たちは無意識に先祖がやってほしいことをやっていたりする。


その価値観や考え方は、自分を生きていくときに、都合がいいものであれば気にはしないが、


自分のやりたいことに対して家系のブロックに直面するとき、


どこか足かせになって結局ひっぱられて断念したり、切り離したくなったりする。


でも、それじゃ意味がない。


結局家系に同化してることと変わりないから。


私は自分を生きたいと思ってるからそうはしたくなかった。(そういうことがあって父にもほんときもちを話そうと考えていた)


そして自分が本当の意味で自由に生きるために、いろんな項目を自分で作って、真剣に考えて解放を続けていた、5月6月。


ふと、もう、ずっと繰り返してる問題(ドラマ)から楽になりたいと思った。


これは完全に「自分の物語」になるんだけど、


25年間生きてきたなかで、無意識にずっとあった自分を突き動かす「原動力」みたいなものから


解放されたいと強く思うようになった。


自分の「物語」が続いていて、それが繰り返され、また原動力にもなっているもの。それが「何なのか」は半分は分かっていて、半分は分かってはいなかった。


そのような最中で現実で起こったある小さな出来事がきっかけで、


わたしはパタリと生きる気力をなくして、大きな絶望を感じた。


もちろん、ベースには「自分を生きたい」があった。


そして、もう解放されたい思いで、自分のほんとうの気持ちをある相手(心から自分が信頼したい人)に伝えた。


わたしはなるべく慎重に自分のきもちを話して、いろいろと説明をしたんだけど、


だめだった。


とても悲しくて悔しくて辛かった。


自分の視野がせまいかもしれないことは分かっているけど、


とてもとても悲しかった。傷もついた。


それぐらい私も弱くて脆い「人間」なんだなと感じた。


先祖供養の解放ワークである項目をやっていた時に起きた内容がちょうどドンピシャだったので、


ここから先は通らせない!みたいな、一気にパチンと弾き出されたような感覚にびっくりしたのと同時に、


今はどうすることもできない「なにか」があるのかもしれないと思った。


もう、死んでしまいたいと思った。それぐらい私には辛いことであり、ほんとうの絶望を感じていた。


そこからはほぼ「死」のことしか考えられなかった。極限まで自分を追い詰めて、どうしたら死んで楽になれるのかなとか


正直考えてしまっていた。何回も言うけど、それぐらい私にとっては辛いことだった。


そしてそのような絶望の最中で、たまたま私は

ブッダスクールが毎年開催する夏至のワークを見つけて


「希望」って言葉にピンっときて


ほぼ死で覆い尽くされて意識が朦朧としてる中で


ギリギリの状態で参加した。笑


もともと私はブッダスクールの夏至と冬至のワークは絶対に参加するぐらい大好きで


夏と冬を迎えて乗り越えるためにこれは絶対参加しなきゃっしょ!


みたいな感じで祭りのような感覚で参加してた。


だけど今回は状態が状態なだけにマジでギリギリで生きていて(Real Face - KAT-TUN)、なんかもうよく分からないけど


「希望」ってワードだけにアンテナをたててとりあえず飛び込んじゃえ


って感じだった。笑


そしたらワークショップの前半は「よく分からないな〜今はそれどころじゃないな〜」って感じで


あまり理解できなかったんだけど、中盤から


「あれ?なんかその感じすごくわかる...!今のわたしにドンピシャだ!」


みたいになって、今回のワークショップの要である


呼吸法のワークで無事生還することができた。


という話だった。


急に話が終わってしまったって感じだけど、笑


呼吸法を何回かやっていったことでいろんな思いを解放できたり、


自分が繰り返してることが「何なのか」も深いところで理解できたり、


少しずつ言語化できなかった自分のモヤモヤがなんなのかも


明確になってきたりした。


まぁとにかく、今、外側の現実がどうであれ


行き詰まっているときに自分の内側の選択する力と希望を見出す力 ー未来が見通せるー ことがすごく大事なんだなと思った。


5月は5月病などに続いて6月も自殺者が多くなる時期らしい。


今回わたしもいろんな要因があって死にたいって思った(もしかしたら5月病とか6月のマジックに少しかかってしまったのもあるのかもしれない)けど、


何はともあれ


「自分で自分の希望は捨てない」


ことが何より自分を救うのかなって思った。


ほんとに。


それぐらい、自分たちの内側は


「選ぶ」という力をほんとは持っているんだな、


っていうことに気づいた。


そして、今でもまだ悲しいし、心にポッカリ穴が空いてしまっているけど、


その分、私の内側を整理するためにとても大事な発見をしたし、


いろんな気づきが起こった。


なんかむしろ少し「解放感」もある意味では感じている。


なぜなら結果はどうであれ、私は相手に今までの自分で包み隠したりせずに、ほんとうのきもちを伝えることができたし、


ほんとの正直な弱い自分を見せることができたからだ。


ほんとにそれ以上包み隠すことはないぐらい。


それだけでも私にとっては大きな一歩だった。


そして、これから自立する上ですごく大事なステップだったなと思う。


とても地味で見えないけど、これから自分が自分の人生を生きていく上で


自分が今どこにいて、どういう状態で、何を繰り返してるのか、


何に影響されているのか、


ということを内側で整理するのは、いまのじぶんにすごく大きな影響を与える。


あと、自分で自分の背中を押せる力に変わる。


自分のことを知ることはやっぱりとても大切だ。


自分のことを1番知ってるのは自分だし、知ってるのに知らないふりをするのも自分だ。


そして、事実として気づかないのもまた、自分だ。


死に際をさまよったけど、今回それだけ深いところに潜って、大切な気づきと発見を持ち帰ることができた。


そんな5月6月だった。


年齢関係なく、


ワークショップ気になった人、絶望してる人、死にたいなって思ってる人、なんか分からないけど、ずーっとボケーッと生きていてこの先どうしたらいいか分からない人、未来が全く見えない人、


今は動画販売してるみたいです。

呼吸法のワークは7月まで有効らしい(もう7月入っちゃったけど笑)


今絶望して、生きるのが辛いと感じてる人ほど


やってみると大きい解放になると思います。


今から動画購入してやってみても多分問題ないと思いますし。

もし、わたしと同じような感じで生きるのが辛いっていう人がいたら、


ぜひ届いたらいいな〜。


いろんな感情を感じて進んだり戻ったりするかもだけど、それでもいいから


わたしもゆっくり少しずつ進んでいこうと思う。


よし!もう7月に入ったし!そろそろ本格的にラオスの計画はじめるぞーーぃ!

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