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幻の伊丹映画

 『お葬式』以前より監督作を模索していた伊丹が、具体的な構想を固めていた企画がある。それが、家出した若い娘たちが信仰集団の中で共同生活を送ることが社会問題化した「イエスの箱舟事件」の映画化。
 この事件は結局、社会や家庭から居場所を奪われた者たちが寄り添って共同生活を行う場でしかなかったため、千石は不起訴となって過熱していたマスコミ報道も沈静化。再び彼らは共同生活へと帰っていった。
 この騒動に伊丹は興味を持ち、自らの監督・主演で映画化を企画。脚本家・池端俊策に脚本執筆を依頼し、九州に拠点を移していた千石のもとで、伊丹らは長期にわたる取材も行った。しかし、ある時、何かのきっかけで伊丹と千石がトラブルとなり、伊丹が興味を失ったことから企画は中止となったと言われている。
 この企画は、『遠くへ行きたい』などでも組んだ恩地日出夫監督と共同監督を予定していたという。以前、恩地監督にインタビューする機会があった際、この件について尋ねたことがある。

――伊丹さんが映画監督になる前に、恩地監督とイエスの方舟事件を映像化する企画があったそうですね。伊丹さんが共同監督を持ちかけたそうですが?
恩地 いや、あれは伊丹がやりたくて俺に監督しろって言うから、まずホンを作ってみるかって感じで一緒にやってたんだけど、「本当はおまえが監督やりたいんだろ?」って伊丹に言ったら、本人も「やるか」って言ってるうちに企画自体が潰れてね。

『映画秘宝』2018年11月号

 なお、取材に同行した池端は、その後、ビートたけし主演のテレビドラマ『昭和四十六年、大久保清の犯罪』(83年)が高視聴率と高い評価を得たことから、たけし主演の実録ドラマ第2弾として、千石イエスを主役にした『イエスの方舟』(85年)の脚本を書いている。


 『お葬式』の直前に企画されたのは、種村季弘の『食物漫遊記』を原作にした食をめぐる芸術映画。
 当時、伊丹から構想を聞いたプロデューサーの岡田裕が、その内容を語っている。

「主演は松田優作で、映画館の中で美味そうな食物の映画を見ながら彼がおせんに焼きイカを食べていると、段々身体が小さく縮んで小人になってしまう。その小人がどういうわけか大きな食用の氷のかたまりの中にまぎれ込み、ベルトコンベアーに乗っかって砕氷場にもっていかれぐしゃっとくだかれ、そして氷イチゴのカップの中にまぎれこむ、という風な話」(『シナリオ』1984年11月号)

  この企画は技術的な問題もあり、岡田が難色を示して先送りとなった。この『食物漫遊記』のエッセンスが『タンポポ』へ受け継がれることになる。
 同作でハリウッドに市民権を得た伊丹は、現地に事務所を構えてアメリカ映画のオファーが寄せられるようになったが、その中には「ゴジロー」なるゴジラもどきの怪獣映画まであった。伊丹によると、それは次のような物語だった。

「原爆で巨大化したトカゲのような怪物ゴジローが、コモド島に住んでいるんです。それがね、食っていけないので、日本映画に出演したりして細々と暮らしているという設定なんだよ。それなのに、コメディーではなくて、ものすごくシリアス。けっこうおもしろかったけど、やるとなるとたいへんなので断りました。」(『テレパル』1992年5月23日号)

 これは、日本でも翻訳された『ゴジロ(GOJIRO)―南太平洋の巨大トカゲと日本少年の愛と友情の物語』(角川書店)が原作と思われるが、実現していれば、伊丹版『大怪獣のあとしまつ』になっていたかもしれない。

 大江健三郎原作の『静かな生活』を除いて、オリジナル企画にこだわったように見える伊丹だが、筒井康隆の『文学部唯野教授』、山崎章郎の『病院で死ぬということ』も、伊丹が映画化に意欲を示した作品である。
 最も実現に力を入れた企画は「日米合同捜査」をテーマにした警察映画だった。伊丹的な切り口で文化、人種の壁を乗り越えて事件を解決する物語の取材を重ねる中で出会ったのが初代内閣官房安全保障室長の佐々淳行。それが佐々の自伝『目黒警察署物語』の映画化企画へと発展するが、昭和20年代の街並みを再現するには莫大な製作費がかかることから断念。
 また、『マルサの女2』では、前作に引き続き山崎努を起用して大阪に都落ちした山崎が復讐に転じるストーリーも検討された。
 『ミンボーの女』公開からわずか半年後という伊丹映画としては異例の短いスパンで公開予定だった次回作「大病院」は、病院治療の闇を告発する内容と言われていたが、伊丹への襲撃事件によって公開が延期され、自身の死生観を反映した『大病人』に形を変えた。
 死の直前も、警視庁の銃器対策担当者に取材していたという伊丹十三。次回作では何を描こうとしていたのだろうか?



初出『映画秘宝 2012年1月号』に加筆修正

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映画監督伊丹十三とは何者だったのか? 伊丹十三と伊丹映画を、13本の記事と4本のコラムをもとに再発見する特集です。

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