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2022年の振り返り(転職、離婚、引っ越し、そして父母の死)

こんにちは、@molmolken (もりけん) です。

みなさんの2022年はいかがでしたでしょうか。

今年はロシアがウクライナに侵攻したり、安倍元首相が銃撃されたり、ハンターハンターが連載再開したり、チェンソーマンのアニメ & 第2部連載が始まったりと激動の1年でした。コロナと共存する社会は一定の成熟期を迎え、知り合いがコロナに罹ったと聞いてもそこまで驚かなくなった一方、まだまだコロナに起因する問題も山積みで、言いしれぬ不安が社会を覆っているような印象を受けます。

ところで私の2022年も、激動の社会に負けず劣らず、今までの人生史上1, 2を争うレベルで大変でした。
様々なことがありましたが、身近な方にも報告していたりいなかったりという状況なので、拙筆ながら心の整理も兼ねてここに記したいと思います。

転職しました

退職の様式美

2013年4月に新卒入社したKLab株式会社を、2022年12月31日付けで退職しました。入社前のバイト時代を含めるとちょうど10年在籍しており、めちゃくちゃ長くいたなーという印象です。
退職エントリを書きたい気持ちはあるのですが、正直手がまわっておらず、自分の筆の遅さを憎むばかりです。

さて、次の仕事ですが、さっそく2023年1月から新しいところで働き始めます。10年間ゲーム会社で働いてきましたが、次はゲームでないドメインに挑戦します。

転職を決めた夏の時点では「有給消化期間で積みゲーを崩して~、積読も崩して~、マネジメントも勉強して~、英語も勉強して~、コードも書いて~……」と夢いっぱいだったのですが、現実は非情であり、ほとんど何もできませんでした。
3ヶ月くらいニート期間を挟んでもよかったなーと後悔しています。


離婚しました

2022年8月に離婚しました。結婚したのは2019年7月だったので、およそ3年強の結婚期間でした。
結婚式にお呼びした方には直接お伝えしたかったのですが、後述の理由もありこの時期はメンタルが不安定だったため、この場を借りて謝罪させていただきます。申し訳ありませんでした。

身近な方には周知の事実ですが、離婚は2回目なのでいわゆるバツ2というやつです。自分に対し「二度あることは三度ある」という言葉をかける心ない人間が数人いましたが、現在彼らはみな東京湾の底に沈んでいます。

離婚の理由としては色々ありますが、「コロナ禍でリモートワークとなり、一緒にいる時間が長くなり、だんだんと膨らんだ不和がついに限界を迎えた」という理由が一番説明しやすく納得感もあるかなと思います。
それ以上の話を聞きたい方は、自分の口に美味しい日本酒やワインをたくさん注ぐと対価として口から溢れ出てきます。たまに別の物も出ます。

離婚には至りましたが、元妻との関係は悪くないので、今も連絡はとっていますし、たまに飼っていた猫に会いに行ったりもしています。
転職活動や後述する理由のため、離婚をした8月はとても忙しい時期でしたが、新居探しや引っ越しは年内でいいよと言ってくれた元妻には感謝しています。


引っ越しました

12月某日、めちゃくちゃ良い天気だった

離婚にともなって引っ越しをしました。それまで赤羽橋に住んでいたのですが、11月頭に墨田区押上に転居しました。

押上に引っ越した理由としては、実家が東京北部だったこと、東京北東部に知り合いが多く住んでいたことなどがありますが、何よりも駅前に大きいライフやニトリがあり、ソラマチにはさまざまな商業施設、飲食店が揃っているので、かなり暮らしやすいというのが大きいです。
押上の良さを熱烈にアピールしてくれたフォロワーには感謝しています。

引っ越し後の役所の手続きや諸々の住所変更などは年内になんとか片付けたものの、部屋作りがまだ全然進んでいません。
家具を揃えるため船橋のクソデカIKEAに行きたいです。


母・父が亡くなりました

さて、ここからが本題です。

2022年10月5日に母が、10月25日に父が亡くなりました。
母が62歳、父が61歳だったので平均寿命と比べてもだいぶ若いですね。
亡くなった理由は両名ともに癌でした。

自分には弟と妹がいますし、親切な親戚にも恵まれたため、離婚し両親を失っても幸いにも天涯孤独にはなりませんでした。
ただ、弟妹は2人ともまだ学生で経済的にも自立していないため、一家の長としての責任やプレッシャーを感じています。

当初、母と父の為人や、癌が見つかるまでの状況、闘病生活、亡くなった時の話、その後の葬儀や遺品整理などを備忘録も兼ねて整理しようと思ったのですが、あまりに長文になってしまったので、そちらは別にまとめ、こちらでは事実をメインに簡潔にまとめるだけにします。

母について

母はコロナ禍の2020年末から体調が悪くなっていたのですが、元来の病院嫌いのために通院を勧めてもなかなか行かず困っていました。
翌年の2021年春にようやく病院に行ってくれたのですが、そこで腎臓に癌があり、肥大化していることが判明しました。

その後、服薬によって腎臓を小さくし、2021年末に無事摘出することができました。予後は良好で、退院後はまた以前のようにご飯を食べたり出かけたりしていました。

ところが、2022年7月に再び癌が見つかりました。今度は膵臓、肝臓と脳にも転移していました。脳の腫瘍のせいであっという間に右半身が動かなくなり、入院生活を余儀なくされました。
その後も治療を進めていたのですが、8月には担当医の勧めで緩和ケアの病棟に入りました。
コロナ禍で病院はどこも面会できない状況ですが、緩和ケア病棟は1日10分だけは面会できたので、家族と交代で会いにいくことができました。平日でも昼間に行かなければいけないため、仕事の調整をしてくれた上長や同僚には深く感謝しています。

その後、亡くなる前日の10月4日に病院から連絡があり、ここ数日が山場だということで、急遽夜間の面会が許可されました。以前より担当医から、少しずつだが確実に病状が悪化しているという話は聞いていたので、比較的穏やかな気持ちでいられました。
面会後は実家で待機していたのですが、10月5日に日が変わってすぐに病院から連絡があり、駆けつけると既に母は亡くなっていました。

その後は諸々の手続きや方々への連絡、葬儀の準備などでてんやわんやでした。葬儀が終わり忌引き休暇が明けて仕事に復帰しても、かなりパフォーマンスが低い状態が続いていました。

葬儀から2週間ほど経つとようやくメンタルも持ち直し、仕事の調子も戻ってきたのですが、そんな折に今度は父が亡くなりました。


父について

時は遡り、母の腎臓癌が見つかった数ヶ月後、2021年の秋頃に、父にも悪性腫瘍が見つかりました。
父は首のリンパに腫瘍の転移がみられるものの、その腫瘍が元々どこで発生したのかわからない、いわゆる「原発不明癌」でした。
首の痛みはあるものの、幸い父は食事が摂れ体も動いたので、通院して抗癌剤治療を行いながら以前と変わらずに働いていました。

その後も闘病生活を続けていたのですが、2022年夏に事態が大きく動きました。癌が腸間膜という腸のまわりの腹膜に転移し、固くなった組織が腸を締め付け、食べたものが腸を通ると激しい腹痛が起こるため、食事を摂れなくなってしまいました。
病院から出された専用の栄養ドリンクは飲んでいたものの、食事を摂れないと急速に体力が落ちていきました。

2022年9月、担当医からは入院を勧められていたのですが、前述したように緩和ケアの母がいつ亡くなるかもわからない状況だったため、父は入院を固辞していました。
自分たち兄弟も、先行きの不安からその選択を受け入れてしまっていましたが、今思うと無理にでも入院させるべきだったのではないかと考えずにはいられません。

10月になって母が亡くなり葬儀が終わると、翌日から父は母と同じ病院に入院しました。コロナ禍で一般病棟は面会ができなかったので、そこからはLINEでのやりとりだけになりました。

父が退院したら母が亡くなった後の手続きを一緒に進めないとなーと考えていた矢先、10月24日に突然病院から電話がかかってきました。父の容態が急に悪くなったので、緊急で面会が許可されました。

葬儀ぶりに会った父はかなり弱っていました。血圧は低下し、強い痛みのためか薬のためかはわかりませんが、話しかけても返事があったりなかったりといった状況でした。

面会後は兄弟一緒に実家で待機していました。わずか20日前の母とあまりにも状況が同じだったため、こんなことが2度もあってたまるかと励ましあっていたのですが、日が変わった10月25日に病院から連絡があり、駆けつけると父も亡くなってしまいました。

父の葬儀について

父が亡くなった後の手続きや葬儀はビックリするほどスムーズに進行しました。なんせわずか20日前に同じことをしていますからね。葬儀屋も無理を言って前回と同じ方に担当してもらったので、やりとりにかかるコストをかなり減らすことができました。

それでも人生初の喪主はなかなかに大変でした。お寺の住職とのやりとり、親戚への連絡、葬儀の詳細の決め事、喪主としての挨拶などには、仕事で得たスキルを大いに役立てることができました。マネージャーやってて良かったと強く思いました。

おわりに、そして2023年について

ここまで読んでくださってありがとうございます。長文・乱文で失礼しました。

いま思い返すと、8月をよく乗り切れたと思います。仕事をしながら、転職活動もしながら、離婚の話し合いや手続きを進めながら、母がいつ亡くなるかわからない状況で面会に行っていました。

メンタル的にはやはり母と父が続けて亡くなった10月~11月が最悪でした。父の葬儀が終わった数日後に引っ越しをしたのは、今思うと正気ではなかったと思います。この時期は仕事のパフォーマンスも露骨に下がってかなり迷惑をかけてしまいました。


さて、2023年ですが、色々と新しいチャレンジをしていきたいと考えています。
新しい土地、住居にもそろそろ慣れてきましたし、1月から新しい職場での仕事も始まります。
前からやりたいと思っていたものの、やっていなかったことがたくさんあります。ゲーム配信もしてみたいですし、昨年は全然書いていなかったブログも月に1~2本は書きたいです。数年前に辞めてしまったインスタも復活したいですし、せっかく10年近く取り組んできたゲーム作りも何らかの形で世に出したいです。
あとは経験と収入のために副業もしたいですが、そろそろ時間が足りないですね。生活の効率化や省力化、やるべきことの選択と集中を強く意識する必要がありそうです。

また、母父の死によって人生の終わりも強く意識するようになりました。死ぬまでにやりたいこと、いわゆる「バケットリスト」も作りたいです。

人間いつ死ぬかわからないですから、その時に後悔しないように生きたいですね。
(4時間30分)


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