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復興支援とコマ大戦の話

前回の続きになります。
前回の記事はこちら

何はともあれ『知ってもらう』ために様々なことをしてきたわけですが、その中でも特に大きかったのが『製造業的復興支援プロジェクト』『全日本製造業コマ大戦』になります。大げさでなくこの2つに関わっていなければ今の自分はなかったでしょう。

製造業的復興支援プロジェクト

製造業的復興支援プロジェクトは、東北の震災に対する復興支援のプロジェクトになります。当時、募金をしても被災地に届くのはいつになるか分からないというニュースが流れていた時期でした。
であれば、せっかく製造業なのだからお金を募金するのではなく
100円で材料を購入して1000円分の価値のあるものを作って提供しよう
というコンセプトで始まりました。

この復興支援の中身については書き出すときりがないので、詳しくは当時のブログ(懐かしのアメブロ)とカナロコさんのYOUTUBEを見ていただければと

被災地の壮絶な現状を見て、それでも笑顔でいる人たちと触れ合って、
自分の人生観が大きく変わった出来事になりました。

そして同じ方向性を向いている人達とのプロジェクトとはいえ
複数の人となにかをやっていくことの難しさ、
それぞれのできることをできる範囲での支援、
自分にできないことは他の誰かができる、適材適所
といったことを身をもって体験したのでした。

全日本製造業コマ大戦

そして全日本製造業コマ大戦。
ここでの自分は初代の行司(要は審判)を務めさせていただきました。
まあ、身内ネタで終わるだろうと気軽に受けたのですがこれが非常に甘かったのです。

2012年から始まったコマ大戦は、全国大会、世界大会を開催するまでになりました。そして多くのメディアに取り上げていただきました。自分はたまたま初回の行司をしていた関係で顔だけは売れました(笑)

当時の話はMONOistさんに書かせて貰っていますのでよろしければ御覧ください。結構いいこと書いてます(自画自賛)

そして今に続いていく

こうしてとにかく『知ってもらう』ことは一応達成されたことになります。
まぁ、当時は行司の人として知られていたので自分の本業はほとんど知られてなかったですけど。。。
10年経った今では本業へ繋がっていますし、実は書籍を書かせて貰うきっかけも、この2つのイベントがあったからこそなのです。

当時よく言われていたのが
『顔が広くてうらやましい』とか、
『本業放ったらかしで何やってんの』とか、

とにかく『知ってもらう』ためには1年2年程度の活動では足りなくて8年ぐらい意識して動いてやっとというのが実感です。
そして当時は頼まれごとは基本断らない、将来は本業に繋げるという方針で動いていましたので、自分としては本業放ったらかしとはちょっと意味合いが異なっていました。
とにかく当時は色々なことを経験させていただきました。これはかなりいい経験でしたし、確実に自分の身になっています。

とはいえ、ここ数年は方向転換をして
『なんでもやらせてもらう』から『やることとやらないことを分けて考える』ようになっています。

これについては、また次回に続きます。