『STAND BY ME ドラえもん』観てきました(2014年08月20日執筆)
※この記事は、私が以前利用していたさくらインターネットのサービス「さくらのブログ」に掲載していたものですが、この度サービス終了(記事は残るけど新しい記事の追加はできない)することになったため、こちらに転載したものです。
特に注意がない限り、記事の執筆当時の内容になります。
(今読んでみて分かりづらい部分の表現の修正はありますが、内容自体は手を入れていません)
いや~見てきました『スタンドバイミードラえもん』。
見てきた映画よりも、その帰りにやったガシャポンの方がテンション上がりましたけど。
「ドラえもんのデスクトップアドベンチャー2」は、ダブり一回でコンプリート!ヽ( ´ー`)ノ
「ちょっこりーずパーマン」は2号が出るまでやろうと決めてたんですが、残念ながら1号が出ませんでした…。
さて、
一応先に書いておくと、ネタバレ有りです。
といっても、もともと原作の有名エピソードを再構成した話ですので、あんまりネタバレに神経質になる必要はないかもなぁとも思います。
あと、今回は私の理屈バカっぷりが炸裂してますが、ちょっとその理屈を出さないと説明し切れない部分がありましたので、その辺りはご了承ください。
私は『ドラえもん』に関しては基本原作ファンで、アニメもそれなりに好きというスタンスです。
だもんで、とにかく宣伝で「泣ける」を押しまくってる時点で、ドラの原点はギャグ漫画だと思ってる私にとってはかなり鼻につく感じでしたが、最近友人に「寛容になったほうが幸せ」とたしなめられたので、なるべく先入観を廃して観てみようとしたわけですよ。
でもその直前に例の「映画の独自設定」の話を聞いてしまって、ややソウルジェムが濁りつつあったんですが。
で、観て帰ったあと、今までのアニメドラを思い出補正で高く評価しすぎてないかと、とりあえず手元にある
「のび太の結婚前夜」と「帰ってきたドラえもん」
を見返したりしましたよ。
宇多丸さんか、俺は。
まず先に良いところを言っておこう。
CMなどでも自明なとおり、映像面はかなり良い出来です。
キャラの解釈という部分では好みの差が出そうですが、私はアレはアレでありだと思います。
原作やアニメのドラのまんまに3D化は不可能(スネ夫の髪よりもむしろのび太のメガネがネック※1)である以上、ある程度の改変はやむなしだと思いますし、商業的に考えてもある程度話題性のあるブラッシュアップは必要だろうし。
(でないと結局「普通のアニメでいいじゃん」という結論になるだろうし)
特にたいした役ではない犬がちゃんとF先生デザイン風になってる(ちょっと体がアンバランスだけど)など、こだわりも感じる。
映像面に関して不満はほんの3つ。
・まず、背景(特に遠景)がリアル寄り過ぎて、ディフォルメの効いたキャラとの整合性がいまいち。
・キャラはジャイアンが妙にかわいい造形になっており、のび太の乗り越えるべき壁としては弱いかなぁと。
・あと動きに関しては、3Dでときどき無理やり2D的なギャグモーションをしようとするので、なんかものすごく違和感。
でもそれ以外はとくに指摘するようなところもなく、いいバランス感覚だと思いました。
※1:のび太のメガネは目と融合しており、涙はめがねのふちから出たりする
さて、お話について。
観た率直な感想は、
「なんかまとめサイト読んだみたいだなこれ。」
たとえばこんなん。→ドラえもんの感動する話 (←註:ここにはもともと、タイトル通りのまとめサイトのリンクが貼ってありましたが、当該サイトがなくなってしまいました)
たしかに一本の作品になるように構成はされてる。でも95分に7つのエピソードを詰め込み、さらにその間にドラえもんがのび太と出会って、別れが辛くなるようになるまで友情を培う過程を描かなければいけない。
無理だ!とは言わないまでも、かなり手腕が問われる課題なんじゃないかと思う。で、それがいまいち成功してないような。
クドカン呼んで来い!
「だったらお前は泣かなかったのか?」え、いや泣きましたよ。ええ。
でもそれは、今まで馴染んでいた「ドラえもん」のキャラクターを踏まえて、さらにこれまでの秀逸エピソードを思い起こせてくれるんですから。そりゃ泣きますわ。
でも、こんな素直じゃない言い方をしなければいけないくらい、ひっかかる部分が多かったんですよ。
一番わかりやすいのが「のび太の結婚前夜」のエピソードかな。
他のエピソードなら、もうドラえもんの主要キャラなんて日本人なら誰でも知ってるという前提で話を進めるというのもそれはそれでありだと思うけど、この話は未来ののび太青年が出てくる。本編ではめったに出てこない人物(?)だ。
この話では、しずかパパが青年のび太を評して語るシーンが話の肝のひとつだけど、どうもこの映画で提示される青年のび太像とこのパパンの評が重ならない。それもそのはず、
そんなものはこの映画では表現されてないからだ。
直前にわりと無駄に長いシーンがあったので、尺がないとは言わせないよ!
気になって試しに大山ドラ版(個人的には渡辺監督版と呼びたい)「のび太の結婚前夜」を見返してみると、そこに繋がるような青年のび太がきちんと絵がかれている。
要するに、原作が空気のように有名な作品で陥りがちな、「言わなくてもわかってるでしょ?」をやっちゃってるのよね。
でも、上記のように、そういう割り切り方もあるとは思う。尺の問題もあるし。
ただ、それをやるなら、キャラクターの性格や感情に関わるような部分での改変はやっちゃダメなんじゃ?
はい、
例の映画独自設定のこと言ってますよ。(怒)
個人的には、この独自設定自体は、ちゃんとお話のための仕掛けとして機能するならまあいいか」くらいに思ってたんですが、最後まで見終わったところで「別になくても成立するんじゃ…?」という感じでしたし、そのわりに数名のキャラに悪印象を加えるというマイナス効果もあるし、それでいて映画自体でその改変に乗っ取ったキャラを描けているかというとそうでもないし…。
ひっかかる部分といえば、普通にドラアニメ見てる方はあまり気に留めてないでしょうけど、原作ファンだとわりと普通に認識してるんじゃないかなぁという部分に、ドラえもんのエピソードごとの視点の高さの違いがあるんですが。
コアなファンなら言うまでもなく、『ドラえもん』は小学一年生~六年生といういわゆる「学年誌」に連載されてました。
(正確にいうと他にも連載があったんですけど本題に関係ないので割愛)
F先生は読者の年齢に合わせて、それぞれ話の内容やキャラの年齢などを微調整して描かれているので、単行本で読むとキャラの性格が年齢にあわせてちょっと変わってたりするんですよね。
一番わかりやすいのがしずかちゃんで、高学年だとわりとおしとやかなしずかちゃんが、低学年だとガサツ(のび太のことを「あんた」って呼んだり)になったりします。
その辺を、TVアニメ版のスタッフがアニメ化にあたってある程度統一させているので、とくにひっかかることなく観ていられるわけです。
それに関することとして、リアリティラインの話もしとかないと。
フィクションの場合、どれくらいリアルであるか、もしくはどれくらいハメをはずすかという基準を作者が意識的もしくは無意識に設定していて、それがブレるとお話に違和感や不協和音が生じるんですよね。
『ドラえもん』の場合、一話完結ものというのもあって、わりとこのラインが変わります。
メインはギャグなのでややリアリティ低めなラインが、たまにハイブロウなテーマをやったり感動寄りのエピソードをやったりすると、ぐぐっと上がったりします。
でもそれは基本、一話完結だから成り立つのであって、これをつなげて一本の話にしようとすると、当然ひずみができます。ギャグ漫画の倫理観を感動エピソードに持ち込むと、たんなる「酷い人」が出来上がります。
一番わかりやすいのが大長編(映画原作)で、それでは「ギャグ寄りのドラえもん」のラインは最初から排除されます。
よくいう「映画版のジャイアンはいいやつ」というのは、そういう意味では当然とも言えます。
さて、ながなが前置きをしましたが、今回のドラがやっちゃってるのがこの「倫理観の混在」です。
今作ではのび太の対しずかちゃん恋愛エピソードの中に「たまごの中のしずちゃん」を取り入れてるんですが、あの話はギャグじゃなければ人としてどうよ?って話なので、今回の「泣けるドラ」に組み込んでしまうとのび太が本当にどうしようもないクズに見えてしまうんですよ。
これ以外にも、今作の中で「え、それって…?」と思う部分が少なからずあったんですが、だいたいこれが原因だと思います。
要するに、アニメ版・劇場アニメ版スタッフに比べて、
そういう部分の配慮がすごく雑。
逆に言うと、アニメ版はそういう部分は実に丁寧に作られていたんだなぁと、再認識。
これはあくまで憶測ですが、「『ドラえもん』の感動エピソードをつなげて一本の作品にする」というパズルに夢中になりすぎて、その物語の中で生きている人物や世界に優しくなれなかったんじゃないですかねぇ…。
あ、そうそう。雑といえば、
周囲の大人の書き方がすごい雑。
俺は渡辺版「帰ってきたドラえもん」の「四つ目のハンバーグ」が大好きなんだ!(見てない人には謎な激昂)
…とまあ、私としてはそんな感じですが、そんなに細かいところ気にしなくてもいいんじゃね?って方には悪くないかも。
とにかく映像はなかなかにすばらしいので、それに金を払っても損はないかも。かも。
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