匿名noteアカウント20日目
noteに書くことを、日頃、顔を合わせる人たちには言いたくない。
逆から言うと、
日頃、顔を合わせる人に言いたくないことを、noteには書いてある。
なぜなぜ。
言いたくないことを言っている。
何が、そうさせる。
今のところで、「これのおかげかも」と思ったことがある。
匿名で書くということだ。
普段、色々なものを背負っている。
自分本体、プラス、おまけ。
おまけは、たくさんあるんだけど、
ルックス、声質、年齢、性別、職業などなど。
どちらが、おまけか分からない、おまけ付きのお菓子のような、大きなおまけ。
どちらが本命なのか、その2つの両方が揃うから意味があるのか、はたまた、どちらもおまけ程度のものなのか。
匿名で書くときは、おまけ取り外し可能。
何かに登録するときに、幾度となく聞かれる性別、年齢、世帯主、年収のようなものが一切不要になる。
“自分には、ほとんど何も残らない”
普段、おまけに振り回されていることを実感する。
おまけを無くすと、もはや透明人間かと思うほど自分があやふやになる。
匿名のnoteを投稿するのは、おまけを売りにしていたお菓子から、おまけを無くすようなことなのかもしれない。
だから、おまけを売りにしている普段の私では言えないことを、お菓子だけをお届けする私なら言えてしまうのだろう。
「なんと、おまけ付き!(お菓子だって悪くないんだよ。食べてみてね。)」
のカッコの部分が言えているんだと思う。
お菓子を美味しいと言ってもらえれば、おまけなんていらないんだと、胸を張って言える。
私のnoteを、「スキ」と言ってくれる人がいるし、ダッシュボードを見ると、どんな形であろうとnoteを開いてくれた人がいることが分かる。
おまけがなくても、いいのかな。
と思わせてくれる。
平凡な日々の中、「自分を見てほしい」と思いながらも、実はおまけを全面に押し出し、おまけを盾にしている。
自分からおまけに成り下がっているんだね。
おまけで膨れ上がってパンパンの自分。
匿名でなくたって、顔を突き合わせてでも、透明人間のような自分が、自分なんだと思えたら身軽に生きられるのかなあ。
私の存在なんて、世間の皆様からしたら、どこをどうとったって、おまけなんだろう。
社交辞令の「初めまして」では、いかにおまけの部分だけ付いていくかがポイントなのかもと思うほど。
おまけを取り払うと、ほとんど何も残らない自分。
だからこそ、おまけを、もっと軽々と、そして、高らかに、アクセサリーかのように、まとっていたいと思った。
以上、匿名noteアカウント、20日目の透明人間がお送りしました。