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私に出せる音

匿名なのに自己紹介を。

前のやつの続きです。

前の自己紹介を読んでくれた方がいました。
スキをくれた方がいました。
3人の方からはコメントをいただきました。

3人とも、楽しかったとか、もっと知りたいとか、肯定的な言葉をかけてくださりました。

(ぴぴぷるさんHalさんツグミさんありがとう)

私、単純。
嬉しくて、しっぽをフリフリ。
続きを書くことにしました。


まず、ツグミさんの質問に答えてみよう。

私は、山を見ながら育ちました。
山に入って、おにごっこをしました。
植物をちぎったりもしました。

その山のてっぺんは、あたりが暗くなり始めると電気が点きます。
周りに何にも明かりがないので、一等星よりも明るく、堂々と光っています。

ふもとには、県外者も初詣に来るような神社があります。

年明けを避け、県外客の少なくなる1月2日ごろの夜に、散歩がてら、初詣によく行きました。
無人販売の誕生日おみくじが置いてあって、それを買うのが恒例でした。


寺も近いです。
ちょっと有名なお寺です。
小学校のバス遠足は、バスをその寺の駐車場に停めていました。

寺には、ハトが大量繁殖。
バス遠足出発前に、ハトに糞を落とされて、すごく悲しい気持ちになったのを覚えています。

「家に帰るまでが遠足です」と先生に言われたけれど、家に帰ってからも遠足気分そのままに、母へ遠足の報告をしました。

母に、「“うん”こで、“運”がついたんやね」と言われて、私はラッキーなんだと思いました。
その頃から私は、単純のようです。


次に、私が、ググッと心を動かされることを紹介しようと思います。

人間の無力や醜さ、絶望感を見つめながら、それでも、そこから見える光を見つけようとする姿、また、それ自体をも愛する姿には、美しさや強さを感じます。

逆に、自分が全能で万能、
全ての人を救うことができる、
これが正義なんだと、
何の疑いも持たない人、
暗い部分の存在を否定する人を、美しいとは思えませんし、心も動きません。

抽象的すぎて、分かりにくいですね。
すみません。

正しく例えられているか、分かりませんが、これでもかというほど鮮やかで整った造花よりも、咲く場所を選べず、枯れることが運命づけられた儚い生花の方を愛おしく感じてしまう、という感じでしょうか。


少し、自己紹介らしい話も。

私は、高校生まで部活が人生の全てのように思っていましたが、違ったようです。

部活が無くなっても人生は続きました。

高校を卒業してから、はまったことの1つに、献血があります。

私は、痛いことが好きです。
生きている心地がするからでしょうか。

痛いし、血が見えるし、いいことしているし、私的には欠点がないんですね。献血。

私は、自傷願望があります。
もっと若い頃は、リストカットをしたり、頭を壁に叩きつけたり、食べまくって吐いたりしていましたが、今はしていません。

願望は湧きますが、今はしていません。

どうしてでしょう。
生きるのに疲れたからでしょうか。
生きる世界が広がったからでしょうか。
自分から死ぬことを諦めたからでしょうか。

自己紹介なのに、はっきりしませんね。


そうなんです。


私って、はっきりしない人間なんですよね。
いつか、私は透明人間です、なんてnote書いたぐらい。
自分をあやふやな存在だと思っています。

そんな私に自己紹介を書かせてくれて、ありがとう。
そんな私の自己紹介でも聞いてくれて、ありがとう。


自己紹介を考えていると、自分の中身の無さをひしひしと感じました。

スッカラカン。

私を振ると、カラカラカラと、渇いた音がするんでしょうね。

そんな音でも、聞こえないふりをしたくないし、その音を楽しめるくらいに生きていたいなあ。

それに、少しずつでも色の違う音を探して、不器用でも音楽を奏でていきたいなあ。

あなたの音も聞いてみたいよ。

違う音色が出るようになったら、また、自己紹介してみたい。

その時、どうなっているだろう。
私に出せる音。


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