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黒い蝋燭 (3)

3

21年前の暑い夏の日に私は夫の十蔵さんと奈々とで海に出かけた。
奈々は生まれて初めての海で、家を出る前、いや前日からはしゃいでいた。
海に着いて2人はすぐに水着に着替えたが、私は着替えずに砂浜にシートを敷いて、海と2人を眺めるつもりだったので水着も持ってきてなかった。十蔵さんは「おまえも水着になればいいのに」と昨日からしつこかった。

早速、浮き輪を膨らまそうとして十蔵さんが空気入れを頑張って何度も何度も踏んづけ、汗だくになっていた。奈々は波打ち際でキャッキャ言って言って1人楽しそうにしている。
パンパンに膨らんだ浮き輪と対称に疲れて十蔵さんはしぼんだようになってしまっていた。
大きな浮き輪は紐付いていて引っ張って遊べる。奈々は頭から浮き輪を入れ、両手を出した。
しぼんだ十蔵さんに紐を渡して、私に「いってきます」と笑顔で手を振って2人で海に入りに行った。
私は暑さに耐えかねて、海の家にパラソルを借りに行き、パラソルの陰でうちわをあおいでいた。
浅いところで遊んでいた十蔵さんと奈々は、いつの間にか遊泳区域の中程にいた。

海で遊んでいる人は少なかった。
浅いところで5人の小学生がバチャバチャやっている。5人がみんな水中眼鏡をかけているから見分けがつかず、1人が分身しているようにも見えた。
遊泳区域ギリギリのところをサメの浮き輪にしがみつき2人の女の子が静かに浮いている。
砂浜では遊泳区域ギリギリの2人を気にしているライフセーバー。笛を咥えているが、まだ1度も鳴らしてはいない。
近くのカップルはオイルを塗る塗らないでもめている。
ビーチボールで本格的にバレーを始めた男性3人組。
他にもたくさんいたかと思うけど、印象的なのはその人達。

ビーチバレーの3人組ががトスやレシーブで繋げ、40回を数えたあたりから分身の術みたいな小学生も、ビーチバレーに気を取られ50回をこえてからは一緒にカウントをし始めた。
「ごじゅうさん、ごじゅうよん、ごじゅう……」
55回とほぼ同時くらいに笛が鳴った。
ロープで区切っていた遊泳区域をサメの浮き輪が越えていて、高台からライフセーバーが指差して注意していた。
サメが遊泳区域に戻ったあとビーチバレーに目をやると、ビーチバレーの3人組と小学生もサメの方を見ていたらしく、ビーチボールは風で転がってオイルを塗ってピカピカの男がキャッチしていた。
「いくぞ!」とピカピカの男が3人組の方へレシーブしたとき、また風が吹いてビーチボールは私の前に転がってきた。
転がっていくボールを取りに行こうとした時、海の中程で十蔵さんの引っ張る浮き輪からスポッと奈々が消えた。十蔵さんはしばらく泳ぎ気がついた。
奈々は足が着かずに飛沫をあげもがいている。十蔵さんが急いで助けに行く。
私が「奈々」と叫んでライフセーバーも高台から降りてきていた。
十蔵さんは奈々の元まで行ったけど、暴れる奈々の頭突きが顎にヒットし、沈んでいった。

ライフセーバーとピカピカの男、バレーの3人が海に入り奈々と十蔵さんを助けに行く。
流れていく浮き輪はサメの2人が拾い上げ、分身の小学生達とオイルの女性は海の家に救急車を要請しに行ったようだった。

ライフセーバー達により奈々と十蔵さんは沖に上がってきたが、グッタリして顔は真っ白。
2人は並んで寝かされ、ライフセーバーと心得のあるバレーの1人が心臓マッサージを始めた。

私は一歩も動けずその場にへたり込み見ていたが、目の前が真っ暗になった。


目を開けたが目を瞑っているのかと思うくらいそこは真っ暗闇。さっきまでの青い海や青い空、白い砂浜の影も形もない。
周りを見ても前後がわからなくなるくらい闇。
怖くなってまた目を瞑るけど、真っ暗には変わりなかった。
次に目を開けた時、うっすら明かりが灯っていた。今にも消えてしまいそうな、ローソクが溶けてロウの液に火がついている。
「その明かりは、今海で溺れた2人の寿命。もうすぐ消えますよ」背後から声が聞こえてきた。
「私は死神」「あなた、2人を救いたくないですか?契約して頂ければ、このローソクに寿命をつけ替える事ができますよ」
そう言ってローソクを手渡してきた。
その黒いローソクを手に取ると死神が「消えないように気をつけてくださいね。消えると大事な人が死にますよ」
私はローソクを消えてしまいそうな火に近付けた。
手は震えて、全身から汗が噴き出る。ローソクは私の焦りとは裏腹になかなかついてくれない。瞬きするのを忘れてしまうくらい集中していた。
手が震えて上下するローソクで火は揺らぎ、力が入るほど手が震える。
額の汗が流れ、目に入り瞬きした瞬間だった。ローソクの火は白い煙を1本スッと上げて消えた……
あっと声を上げたあとすかさず、死神が
「早くしないともう1本も消えますよ。消えたら死にますよ」と声がして、すぐに私はもう1つのの火にローソクを向けた。
次は失敗できない。
そんな事が頭を過り更に手は震え出した。右手に黒いローソク、左手で震える右手首を掴み震えを止めようと力を込める。
全身から流れ出る汗は止まることなく流れ出す。ローソクに向かう時間は1秒が1時間にも感じるほどだった。

消えかける火は私の持つ黒いローソクに移り、勢いよく燃え上がり出した。
元の火は消え、そこに残ったローソク液の上に黒いローソクを固定した。
緊張が解けたと同時に死神の声がした。
「おめでとうございます、よかったですね。あなたの大事な人が1人救われました」
「さて、その黒いローソクは『死神のローソク』です。死神のローソクで生きるその人は『死』がつきまといます。でも、今すぐ死ぬよりかはいいでしょ?」
「また、ここであった事は誰にも話をしてはいけません。話すとあなたは死にます」
「でも、死にたい時にはこの話をするとすぐに死ねますよ」
「これだけは憶えていてくださいね」
「今度あなたに会う時は、ここであったことを誰かに話た時か、寿命が来た時かーー」
「ではまた、いずれ……」
私の喋る余地もなく、死神の声がする方で何かがキラッと光り、真っ暗だった視界はパッと明るくなり、眩しい太陽の下に戻ってきたが、私は倒れてしまった。


目を開けた時今度は真っ白の部屋だった。でもすぐにそこが病院だとわかった。
悪い夢を見ていたのだとも思ったが、どこから夢でいつから夢を見ていたのか、考えれば考えるほど夢じゃなかった気がして血の気が引いた。
私の寝ていたベッドを囲むカーテンが開き白い制服の看護師が「気がついたんですね。先生を呼んできます」とだけ言い立ち去ろうとした。
私は看護師に「どっちが生きているんですか」と聞いた。
看護師は聞こえていたと思うが何も言わずにカーテンの向こう側へ出ていった。
そのあと先生とさっきの看護師が一緒に来て、十蔵さんが亡くなった事を聞いた。


つづく



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