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「死ねよ」という言葉

今年二回目のnote。

本当はいつもドリームロードのことを
考えて、勉強を始めたことや日々の
思いを綴ろうかなと思ってましたが
どうしても気になることがあり。
数年後に未来の自分用に
今の気持ちを忘れないためのnote。

私は熊本で育ちましたが、私の母は
方言は混じりながらも「ことば」が
とても丁寧だったのかもしれません。
その当時私の周りも俗にいう
「汚いことば」を使うことがなかったので
時代なのかな。

私が名古屋の今の旦那さまと出会い
初めて彼の家族と出会ったときに
方言の違いはもちろん
「ことば」の違いに驚きました。
冗談混じりに家族内で
「ばかやろう」「しばくぞ」とか。
もちろんそこには笑顔があり
コミュニケーションのひとつとして
盛り上げるため?のその「ことば」
ただ私には衝撃だったのは覚えていて。

みんなイイ人だし普段はことばも丁寧で
家族内だけの会話だけど
違和感はあったのです。

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結婚してしばらくたったある日
何気ない会話のなかで
自分自身が笑いながら
「もー!ばかやろうだね笑っ」
と言ったことに危機感が起こります。
同じ時間の中にいることでわたしが
「汚い」と思っている言葉を
私自身も受け入れていたのです。

郷に入ればといいますが、私は自分
の違和感を、価値観を大事にしたい。
「汚いことば」と私が感じるのは
「当人を知らない第三者が聞いた時
 誤解を招きうることば」でもあるかと
思います。私基準で「聞いていて
心地よくない」というのもあります。

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それからは意識はしていたものの
子供たちは成長と共に各々の世界を
広げ、ここ最近よく聞くのが

「は?死ねよ」

必ずしも誰かを対象にしたものでなく、
何か嫌なことがあるとそれすら対象に
なって使われている様子😵

かなりの頻度で使われているので

「やめて、嫌なことば!」

と注意します。子どもたちも
「死ねよ」と本気で言っている訳も
なく、「冗談じゃん」と。

分かってる、分かってるのだ

冗談で死ぬという言葉が
「言葉のあや」みたいに出てくる
のが不快なの。

職業柄わたしは「死」ということに
直面する機会が多くありました。

仕事だからと感情的になることは
なくとも、私自身には「死」は
軽々しく使う言葉ではなくなり、
私の中の様々な感情をもたらす
ことばの1つです。

別にわたしはイイ人でもないし
ダイエットも今年も何度も挫折し
時にイライラして家族に伝染させて
謝ることもしょっちゅうで。
嫌なときは顔に出ることもあり
意識しないと人を不快にさせて
しまうこともあるかもしれない。

人間だから完璧ではなくて
でも私は私の価値観は大事に
したいなと。
乱暴は時に誰かを傷つけ
ことばは思うより響きます
良くも悪くも。

SNSにあまりどっぷり浸かって
いない私に比べて、子どもたちは
SNSという世界が当たり前の日常で。
そんななかで

「死ねよ」

と何気なく発してるタイムライン
を見ると
(この人は好きでも、、、
   このことばはやだな😞)
と感じる私。

考えても仕方ないし、
相変わらずうちの子たちも
私に「やーめーて!」と言われて
もなお、「死ねよ」ということも
あるわけですが、
自分が聞いて気持ちよくなかったり
言われて嫌なことばは
あんまり投げてほしくないなぁと
わたしは今日も「ことば」を
いい気持ちになるように
使おうと思うのでした☺️

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なかなか投稿出来ない中で
つぶやきのように書き留めたnote
を読んでくださり
note親友には感謝です🙇

日記がわりでもあり
アウトプットさせてもらえるnote
にも感謝☺️

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