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石に誓ってどうする

松濤美術館で開催中の真珠― 海からの贈りものとサントリー美術館のART in LIFE, LIFE and BEAUTYに行ってきました。

毎週、眼福に貪欲。ごきげんよう、もくれんです。

幼い頃、祖母の宝石箱を見るのが好きで、何度も祖母に石の名前を聞いていた。祖母にとって私はたった一人の孫娘だったので「いつかあなたがこの指輪をつける日がくるわよ。」とにこにこしながらお話ししてくれた。私は自分の指には大きすぎるその指輪を嵌めてみて眺めるのが好きだった。

新卒で入った会社が宝石商だったもので、図らずも宝石の粗利に詳しくなり「たかが石」と思うようになってしまった。換金するなら金・プラチナのほうが資産価値が高く、マリリン・モンローは「ダイヤモンドは女のベストフレンド」と歌っていたが、そうでもないよなと思う。だからって、太い喜平の金チェーンがお友達かと言われると悩むところだが。一度だけ、付き合っていた男性に指輪をねだったことがあったが、そのときも店員さんに「何カラットで、何グラムの指輪ですか?」って聞いたのを覚えている。買う前から換金する前提の質問。私は愛に飢えているくせに、愛に懐疑的だ。

ちなみにその指輪はしばらくずっと身につけていたが、ケンカした翌朝などに目に入ると憎悪しか浮かばぬ代物となり、すぐにつけるのをやめてしまった。そして、はじめて「指輪ってこんなに嫌なもんだったのか」と思った。私の両親がしていないのもよくわかる。してても良いことあんまりない。

そんな私だが、ファッションジュエリーで一番好きなのは指輪だ。手軽だし、イヤリングみたいに痛くならない。ネックレスのように汗でかゆくなったりしない。ちなみに、ファッションジュエリーなる指輪はいくつか持っているのだが、クリスマス後に手に入れた指輪を毎日つけていたら会社で「もくれんさん、それどうしたんですか?彼氏ですか?」と聞かれて、クソほど嫌だなと思った。買うときに「わぁかわいいなぁ。買っちゃえ!」という気持ちが半減。自分で買ったというと微妙な雰囲気になるあの感じは最悪だ。「あ、そうなんですね。。(悪いこと聞いちゃったかな。)」みたいな。私は聞かれるたびに、心のなかで悪態ついてる。あまりにそういう質問がめんどくさくて、お気に入りの指輪だったのにつけなくなってしまった。

前に纏う服でもファッションについて書いたが、洋服よりもジュエリーのほうが、パーソナルな情報を雄弁に語る。既婚なのか未婚なのか、本物をつけているのかイミテーションなのか、ブランド好きか否か、いつも同じものをつけているか、新しいジュエリーを仕入れているか、など。そのひとの所得や立場がわかりやすいアイテムだと思う。洋服は「コレ高いの?安いの?」というものがあるが、ジュエリーは高いか安いかはわかりやすい。私は大変性格が悪いので、結婚式に参列するたびに女性たちの本日のやる気とどんなアクセサリーをつけてきているかをチェックしていて一人で着物警察ならぬジュエリー警察をしている。綺麗に装っていても、なんとなく普段の様子や価値観が垣間見えるから面白い。

H.P.FRANCE BIJOUXに1,2万くらいの細い10金のリングがあり、少しずつ買い足して重ね付けしていく方がいると店員さんが教えてくれた。確かに独身女性で細いリングを何個もつけている人をよく見る。(今はコロナで減ったかもしれないが。)「換金できなさそうだな」と思いながら見ているが、たぶん彼女たちは換金とかじゃなくてお守り的につけてるんだろう。

これでも、昔はどこそこのブランドの指輪を結婚するならつけたい、というのがあった。が、悲しいかな、歳を取ると不倫の話がバンバン耳に入るようになり「不倫野郎がつけていたブランドの指輪かぁ」などと気が滅入ってしまうようになった。ナポレオンを袖にした王妃ジョセフィーヌの名を高々と掲げたCHAUMETはある意味肝が座っている。いいのか、ジョセフィーヌで。あの夫婦、どっちも不倫してるやん。

もはや石に誓う気にはさらさらなれない。ましてや誓いの証のジュエリーなど嵌めていたくもない。

いつか指が太くなって、祖母の指輪をつけられる日がきたら「誰に買ってもらったの?」なんて言われることもきっと無いだろう。その時は指輪に合うお洋服を着て、小さい頃の夢を叶えよう。そのときを夢見て、今日もそのために歳を重ねる。





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