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佐賀とポンパドウル

東京、パン戦国時代。

ごきげんよう、もくれんです。

値段が高くてこじんまりとした店構えのパン屋さんが増えたように思う。パン特集をHanacoが組み始めたのは何年前だったか。私が子どもの頃のパン屋と言えば、神戸屋ベーカリーやアンデルセンぐらいのもんで、大して高級パン屋はなかった。海外から来たパン屋だけではなく、日本人が経営する小さな高いパン屋がとにかく目に入る昨今である。もはやパン屋ではなくブーランジェリーといった方が正しいかもしれない。

もう数年前になるが、佐賀に転勤していた頃、私の救世主は横浜元町で生まれたパン屋、ポンパドウルだった。

佐賀でポンパドウルを見つけたとき、感動した。佐賀にもこんなおしゃれチェーン店のパン屋があるなんて!!佐賀にはアンデルセンも神戸屋もなかった。その代わり、個人経営の街のパン屋(しかもそこまで高くなく美味しい)が何店舗かあった。とはいえ、悲しいかな、東京と違い密集して店が軒を連ねているわけではない。むしろ商圏がかぶらないように程よくどのパン屋も遠い。そんな中、ポンパドウルが会社から行ける距離にあるのは大変ありがたく、足繁く通っては「横須賀海軍カレーパン」やら「塩パンロール」やらを買っては席で食べていた。

赴任して間もない頃、本社とモニターをつないでいる状態で私がパンをパクついていると東京の先輩からSlackが届いた。「ぽんぱどうる」と。私がデスクにおいていた真っ赤なポンパドウルの袋がモニターに写って、東京に中継されていた。「そうそう、ポンパドウルです。」と返すと「美味しそう。佐賀にもあるんだ。」と言われた。先輩が驚くのも無理はない。私だって見つけたときびっくりしたもの。

東京に帰ってきてから、ポンパドウルのことはすっかり忘れていた。そもそも我が家の近くや私の行動範囲に店舗が無く、中々お見受けしないのだ。また、冒頭に書いたとおりこだわり屋の個人経営パン屋の台頭により、近所に美味しいパン屋が増え、そもそもチェーンのパン屋に行くことが無くなってしまった。

ポンパドウルを記憶の彼方に置いてきて数年後の今日、佐賀で出会った友人と一緒に深川製磁のティールームでお茶をしていた。一脚5万円前後のティーカップで紅茶を飲み、佐賀の思い出に話の花を咲かせ、ミッドタウンの桜を見て帰った。ミッドタウンから六本木ヒルズに向かう途中、ポンパドウルがあった。ああ、そういえばここにあったな、と思った。六本木に来てパンをテイクアウトすることはあまりないので、存在は知っていたが中に入ったことはなかった。佐賀の友人とお茶をした日だったから、なんとなく懐かしさを覚え、店内に入ると「ポンパドウル夫人」の肖像画が飾ってあった。そうだった、ポンパドウルの由来はかの有名なポンパドウル夫人だった。パリのベルサイユで優雅に暮らしていた彼女も、まさか自分が遠い極東のパン屋の名前になるとは思ってもいなかっただろう。しかも、そのパン屋は日本の全国チェーン。日本の地方都市でも、自分の名がパン屋として知られているとは、きっと想定外。

随分遠くまで旅してきてしまったものである。ああ、そうだったそうだった、ポンパドウルはそんなルーツの名前だった。そんな艶やかな貴婦人の名を冠するパン屋のパンを佐賀でめちゃくちゃ食べてたんだなと思ったら、なんだかちょっと今更おかしかった。

久しぶりに食べた塩パンロールは相変わらずきれいな三日月でしょっぱくてパンの素朴な甘さと絶妙なバランスで美味しかった。なんだか今日の思い出みたいだ。じんわりと名前のない幸せが胃袋におさまっていく。六本木に来たら、またポンパドウルでパンを買おう。ちょっとベンチに座ってパクついて、あの頃を思い出すセーブポイント。横浜元町のパン屋だけど、私にとっては東京で佐賀に出会わせてくれるパン屋になった。六本木に行ったらまた足を運ぶとしよう。

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